先日、西武デパートで開催されていた「生誕130年・柳原白蓮の生涯展」を見に出かけたのだが、その展示物のひとつを見て思わずのけぞってしまった。展示の中に、柳原燁子(白蓮)Click!と九条武子Click!がお揃いであつらえた、紋入りの黒羽織が架けられていた。それだけなら、「揃い羽織だなんて、ふたりは相変わらず仲がいいんだな」……で通りすぎたのだが、その裏地の柄と羽織の名称を見てビックリしてしまった。
 羽織の裏には、朱色も毒々しい山の朝焼けが描かれ、2羽のカラスがカーカーと飛んでいる絵柄であり、羽織名もその絵のとおり「あけがらす」となっている。館内は撮影禁止で、また同展の図録にも収録されていない展示品だったので、思い出しながら描いたのが冒頭の拙画だ。ウロ憶えなので、実物の羽織とはかなり異なっているかもしれないが、いちおうお読みいただく方にイメージが伝わるよう、拙くて恥ずかしいが描いてみたしだい。
 柳原白蓮は夫への“三行半”を新聞紙上で発表し、九条武子は下落合の丘上でネコを手に“道路工事”をするなど、大正期を象徴するようなこのふたりの女性は、もともとどこか「とんでいる」とは思っていたが、実は、ものすごく「ぶっとんでいた」のではないだろうか?
 江戸東京地方で「あけがらす」といえば、いま流行りの「江戸東京本」や落語をかじったことのある方なら、説明はまったく不要だろう。江戸の新吉原Click!を舞台にした、「黒門町の師匠」こと8代目・桂文楽が得意とした古典落語の噺だ。堅物の若旦那が世間知らずだと困るので、大店の主人がふたりの遊び人に頼んで、若旦那を吉原へ連れていってもらう。遊郭の2階に連れこまれ、なんとか逃げ出そうとジタバタする若旦那だが、ふたりの遊び人に脅されて、きれいな花魁とひと晩すごすハメになってしまう。
 ふたりの遊び人はといえば、遊女たちにあっさりフラれて不首尾のまま手持無沙汰で朝を迎えるのだが、若旦那は花魁の部屋からなかなか出てこない。若旦那があまりにウブなので、気に入った花魁がなかなか離さない。若旦那のほうも、初めての経験に恍惚となって帰ろうとしない。遊び人たちは呆れてふてくされ、最後のオチはともかく、ふたりそろって寂しく明け方に開いたばかりの大門をくぐって帰路につく……というようなシチュエーションだ。つまり、女たちにフラれて、すごすごと吉原から朝イチに引き上げるみじめな男たちのことを、象徴的に「あけがらす」と呼んでいる。
 
 さて、この噺を柳原白蓮か九条武子のどちらか、あるいは両人が知っていて、お揃いの羽織をこしらえたとするなら、羽織の裏に縫いこまれた2羽のカラスは、不首尾ですごすごと寂しく帰っていく、くだんの遊び人の男ふたり連れということになる。あるいは、落語よりも古い江戸新内Click!で有名になり、清元Click!でも取り入れられた『明烏夢泡雪』を下地とする心中物語とするなら、縫いこまれたカラス2羽は男女の道ゆきとなるのだが、どうもこちらはふたりの揃い羽織に似つかわしくない。
 この羽織がお揃いで縫われたのは、九条武子と白蓮が知り合った1920年(大正9)7月から、九条武子が急死する1928年(昭和3)2月までの間、8年弱にわたる間のどこかだ。このふたりが、江戸の古典落語や新内・清元に通じていたとはとても思えないが、宮崎龍介Click!のもとに走った白蓮は、なぜか吉原と急接近をすることになる。吉原の遊女たちの間には、歌人としての白蓮ファンが大勢いたのだ。
 まず、1926年(大正15)に吉原の花魁・森光子が駆けこんで助けを求めたのを皮切りに、白蓮のもとには吉原を脱出した何人かの娼妓たちが逃げてきて、宮崎家はまるで遊女たちの“駆け込み寺”のようになった。頼られた宮崎家では彼女たちを食客として保護し、宮崎龍介が関係していた労働総同盟の仲立ちで、彼女たちが遊女を「自由廃業」する手助けをしている。おそらく、白蓮が「あけがらす」の噺を吉原遊女の口からエピソードとして聞いたのは、この時期ではないだろうか。
 大正末の当時、九条武子は下落合753番地Click!に住んでいて、白蓮のいる宮崎家は高田町雑司ヶ谷3621番地Click!(現・西池袋2丁目)にあった。双方の家は、直線距離で800mほどしか離れておらず、ふたりはよく目白駅界隈で落ち合っては、当時開店していたパーラーでお茶を飲んでいたらしい。なにかとウワサのこのふたりが、喫茶店でおしゃべりをしていたら、周囲の客たちはシーンとなって耳をそばだてていたのではないかと思うのだが、地元の伝承によればふたりは喫茶店でよくおしゃべりを楽しんでいたようなのだ。
 
 そんなある日、宮崎白蓮が「ねえ武子さん、“あけがらす”ってご存じ?」と、逃げこんできた花魁から聞いたエピソードを話しはじめたかもしれない。「まあ、お茶のお道具かなにかかしら?」と九条武子は思いつくまま答えたのかもしれない。「そうじゃなくてね……」と、白蓮は落語「あけがらす」のあらすじを語って聞かせた。「まあ、遊女にフラれて寂しく帰る、殿方のふたり連れですって?」と、九条武子はティーカップを置くと「すみません、お代わりをくださいな」とウェイターに手をあげ、「お姉さま、そのお話、もう少し詳しくお聞かせいただけませんこと」と身を乗りだした。
 しばらく、ふたりでヒソヒソ話していたかと思うと……、
 「ねえ、お姉さま、お揃いの羽織をあつらえませんこと?」
 「あのね、いま、わたくし昔とちがって手許不如意なの」
 「ううん、わたくしに任せて。三越呉服店にいい知り合いがいるのよ」
 「……でも」
 「羽織裏は、もちろん真赤な朝焼けに“あけがらす”がいいわ」
 「2羽そろって、飛んでゆくの?」
 「そうなの、寂しくて真っ黒なカラスなのだわ。来週あたり、ご都合どう?」
 「じゃあ、わたくしも久しぶりに、日本橋までご一緒するわ」
 「羽織の裏に凝るなんて、江戸東京らしくていいことよ。一度やってみたかったの」
 「武子さん、カラスはすごく寂しそうじゃなければダメよ」
 「はい、もちろん心得ております、お姉さま」
 「ホホホ。すごく真っ黒で、ちょっとおまぬけなカラスが、カーカー2羽よ」
 「黒いモーニングと石炭で、カーカー。……オ~ホホホホホホ」
 ……と、このふたりが口に手をあてて笑ったりしたら、店内の客はみんなふり向いたかもしれない。そして、ふたりとも上機嫌で喫茶店をあとにした。
 この想定が大筋でまちがっていなければ、羽織裏に飛んでいるちょっととぼけた“あけがらす”は、ふたりにフラれた(見放された)“遊び人”の男たち、男爵・九条良致と炭鉱王・伊藤伝右衛門にほかならない。
 
 白蓮が花魁の話を聞いて、自由に生きられなかったこれまでの自分も、吉原の遊女たちとさほど変わらないと感じていたとすれば、その話を聞いた九条武子もまた、思いあたるフシが多々あっただろう。“籠の鳥”をなんとか脱した当時の彼女たちは、遊女に拒否された遊び人ふたりが、すごすごと寂しく大門をくぐる「あけがらす」Click!の小噺に、どこか小気味よい共感をおぼえたかもしれない。目白駅界隈でときどきお茶してたこのふたり、いったいなにをたくらんで、楽しんでいたものだろうか?w

◆写真上:「生誕130年・柳原白蓮の生涯展」に展示されていた、羽織「あけがらす」を思い出して描いたイメージ拙画。現物とは、かなり異なるかもしれない。
◆写真中上:左は、同展のパンフレット。右は、白蓮がかわいがっていた京人形「みどり丸」。かなり大きな人形で、かわいいというよりも存在感がかなり不気味だ。
◆写真中下:下落合と上屋敷の近所で、仲がよかった宮崎白蓮(左)と九条武子(右)。
◆写真下:左は、下落合の九条邸から歩いて10分ほどの高田町上屋敷3621番地の宮崎白蓮邸跡。右は、秋草がしげる下落合753番地の九条武子邸跡。