……ということで、またひとつオマケ記事Click!です。w
  
 1973~74年(昭和48~49)という年は、目白崖線沿いの下落合から下戸塚にかけ、映画やTVドラマの撮影が集中していた時期のようだ。下落合では、こちらでも何度かご紹介している日本テレビ開局20周年記念ドラマの『さよなら・今日は』Click!のロケが行われており、少し下流の下戸塚から関口にかけては映画『神田川』Click!(監督・出目昌伸/東宝)が、まったく同時期に撮影されている。
 ロケ場所が新宿区なら、映画会社やTV局、撮影所などからそれほど離れてはいないし、俳優たちを長時間にわたり拘束する必要もなく、移動などでも効率的かつコスト的に有利で、またスケジュールが詰まっている人気俳優を起用するのも、さほど困難ではなかったのだろう。そしてもうひとつ、同じ時期に下落合でロケが行われたらしい作品があるのを見つけた。1974年に放映された、木下惠介の『バラ色の人生』(TBS)だ。
 木下惠介は、親父が好きだった映画監督のひとりだが、木下惠介アワーと呼ばれたTV作品も親父はよく観ていたような気がする。わたしが子どものころ、いちばん印象に残っているのは進藤英太郎の『おやじ太鼓』(1968~69年)だが、他の作品は子どもには“地味”すぎるのか観た憶えがない。わたしの記憶に残る作品というと、向田邦子Click!と組んだ木下惠介・人間の歌シリーズの1作『冬の運動会』(1977年/TBS)ぐらいだろうか。
 木下惠介のドラマをあまり観なかったのは、俳優たちの台詞や動作、表情のみで物語を展開し、登場人物の思いや心の機微、行動などの解釈を視聴者へ全的にゆだねるのではなく、やたら状況や心理を“絵解き”するナレーションが多いクドさと、その言葉づかいの野暮ったさからだったように思う。
 たとえば、『冬の雲』Click!(1971年)ではこんな具合で、かなり大げさかつ「大きなお世話」ナレーションに、もはやついていけない。むしろ、俳優の台詞よりナレーションのほうが多いのではないかとさえ思えてくる。「一度はほぐれそうに見えた感情は再びもつれたまま、夏に入る日のそよ風は、桐原家の居間に何を語りかけるのか?」……などという芦田伸介のナレーションで“つづく”になったりすると、「だからだから、なにがど~したってんだよう?」と反発さえおぼえるのは、わたしのひねくれた性格のせいなのかもしれない。主題歌も仰々しく、とても1970年代の作品とは思えないし、だいたい電話がかかってくるときの田村正和を中心にした、あの家族全員の立ち位置はいったいなんなんだよう!?……と、キリがないのでこのへんでやめるけど。w


 さて、そんな苦手な木下惠介のドラマなので、もちろん『バラ色の人生』Click!(1974年/主題歌Georges Moustaki「私の孤独」)もまったく観ていない。でも、ネットでそのタイトルバックを観たとき、下落合を流れる神田川で撮影されたとみられる映像が目にとまった。どのようなドラマなのか調べてみると、美術学校へ通う版画家をめざす画学生の物語で、寺尾聰や香山美子、仁科明子、森本レオ、草笛光子などの俳優が出演しているらしい。画学生は、川沿いの古いアパートに住んでいるようだが、どうやら美校生というシチュエーションの設定からして、落合地域の匂いがする。
 タイトルバックに使われている川のシーンは、いずれも汚染がピークになったころ、1970年代半ばの神田川Click!をとらえたものらしく、その水辺風景の最後近くに挿入されているカットは、まちがいなく下落合1丁目11番地にあった工場の敷地から、低い落差の堰堤が連なる神田川の水面近くにカメラをすえて撮影されたものだろう。カットの中には、下水から流れこむ生活排水で泡立っている川面が登場したりもするが、毎夏に子どもたちが川遊びや水泳を楽しめ、アユが遡上する水質にまで回復した今日の神田川Click!からみれば、まるで悪夢の情景を見ているようだ。
 では、画面に映されているものを具体的に検証してみよう。まず、川面には手前と奥に、ふたつの低い堰堤(流れの段差)がとらえられている。手前が下落合1丁目11番地、流れのカーブの奥が同1丁目12番地の南側に位置する神田川の堰堤で、画面からおわかりのように下流から上流を眺めている。画面中央に映っている小さな橋は、滝沢さんが設置した私設橋(通称「滝沢橋」Click!)で、1974年の当時はクルマは通れず、人間だけが往来できる狭くて小さな橋だった。その橋を渡った右手には、園藤染工場の建屋と煙突があるはずだ。正面奥に見えている鉄塔状のものは、西武線・下落合駅近くの鉄道変電所に設置された高圧線鉄塔Click!の一部で、高圧線(谷村線)はここからさらに終端となる田島橋Click!の南詰め、東京電力の目白変電所Click!へと向かう。



 神田川の左手は、高い塀に囲まれた工場ないしは倉庫のあったエリア(高田馬場3丁目)で、その建屋のすぐ南側には戸塚第三小学校Click!が建っている。落合地域や上戸塚地域にお住まいの方なら、もうおわかりかと思うが、画面には映っていないすぐ右手の枠外には、妙正寺川の合流点が口を開けていたはずだ。つまり、神田川のこの位置は、「落合」という地名が生まれる端緒となった、北川Click!(現・妙正寺川)と平川(旧・神田上水→現・神田川)が合流する地点の川面をとらえたものだ。画面右手に隠れている妙正寺川の河口では、すでに分水路の暗渠化工事に備えた住宅や工場の解体作業が、あちこちでスタートしていたかもしれない。
 当時の神田川は、水量が少ない夏季や冬季などは、両岸にコンクリートの川底が斜めに露出するような構造をしていたが、雨でも降ったのか映像の水量は少し多めなので、水面に近いカメラはクレーンで吊り下ろしているのかもしれない。あるいは、下落合1丁目11番地の工場敷地内に、川面近くへと降りられるハシゴ、ないしは小さなテラス状の設備でもあったものだろうか。
 タイトルバックに下落合の映像を見せられると、がぜん画学生を主人公にしたドラマの内容が気になるけれど、『バラ色の人生』は残念ながらBD/DVD化されていない。ネットにアップされた映像からは、どうやら最終回に草笛光子が急死してしまうネタバレの経緯と、タカラの「リカちゃん」(香山リカ)人形のモデルである香山美子がキレイだなぁ……ぐらいしかわからない。とりあえず、大きなお世話の妙なナレーションが聞こえてこないのはなによりだ。



 木下惠介は1933年(昭和8)、落合町葛ヶ谷660番地(のち西落合2丁目596番地)にあった、オリエンタル写真工業Click!が運営するオリエンタル写真学校を卒業している。そのころから、すでに落合地域には馴染みがあったのかもしれない。ちょうど同じころには、長崎町大和田1983番地のプロレタリア美術研究所Click!(のちプロレタリア美術学校Click!)へ、黒澤明Click!が通ってきていたのが面白い。なにかと比較されるふたりの映画監督だけれど、ふたつの学校は直線距離でわずか1,000mほどしか離れていない。

◆写真上:落合橋から、上流にある撮影地点の方角を眺める。堰堤上の右手に見える、茶色いむき出しの鉄骨あたりが、神田川と妙正寺川の合流点だった跡。
◆写真中上は、1980年代に撮影された下落合を流れる神田川。宮田橋から下流をとらえたもので、左側と正面に見えているビルは富士女子短期大学(現・東京富士大学)の時計塔と旧校舎。は、木下惠介の『バラ色の人生』タイトルバック。
◆写真中下は、タイトルバック映像に映るものたち。は、1968年(昭和43)に撮影された同位置の写真。は、1963年(昭和38)の空中写真にみる撮影位置と画角。
◆写真下は、滝沢橋から下流の撮影位置方向を眺める。サクラ並木が繁っていてわかりにくいが、左手に妙正寺川の河口跡がある。は、同ドラマに出演しているシャキシャキとして好きな女優のひとり香山美子。は、1975年(昭和50)の空中写真にみる撮影場所。すでに妙正寺川を神田川に合流させない暗渠化工事がスタートしており、周辺の環境は大きくさま変わりしようとしている。
おまけ
近所で空を見ていたら、「おや、あの影は?」ということで追いかけてみると、やはり大きなオニヤンマだった。今度は、琥珀色の翅が美しいギンヤンマを撮ってみたい。