山手通りの排気塔建設現場/2004年12月)

 山手通り(環6)の地下高速道路の排気塔をめぐる動きが、この秋、最終段階を迎えた。幅7m×長さ27m×高さ45mの排気塔を設け、地下高速からの排ガスを浄化しないまま、中落合・中井とその周辺へ撒き散らす計画が明らかになったとき、地元住民はもちろん反発した。まるで超高層ビルのような排気塔の完成予想図に、わたしも慄然としたひとりだ。45mといえば、初代ゴジラと同じ大きさじゃないか。山手通りの中央とはいえ住宅街のまん中に建つわけで、排ガスの影響はむろん、日照、景観、風害、大震災時の危険性などを考えればノーという声が上がるのは当然のことだ。
 さっそく有志が集まって工事差し止め訴訟を起こしたが、最高裁まで争って敗訴。排気塔は建設されることになった。成長とともに軽くなったとはいえオスガキ(下)が喘息持ちだったせいか、隣りの下落合に住むわたしも他人事ではなかった。風速4.6mの風(季節風など)が吹いた場合、無処理で高濃度の排気ガスが各方角の住宅地へ確実に接地することが、環境総合研究所のシミュレーションで明らかになったからだ。中落合・中井の14町会がそろって、土壌大気浄化(排ガス浄化)システム導入を要請したときも、首都高速道路公団はあっさりと拒否する。いわく、「予算がない、施設面積がない、工事はすでに進行している」…。まさに既成事実の積み重ね、時代に逆行するような思想と姿勢なのだ。土壌大気浄化システムなら、巨大な排気塔の建設さえも不要だというのに…。
 それでも、東京都や新宿区を巻き込んで地道につづけられた運動の成果はあった…といえる。まず、地上の山手通りの車線が、片側3車線の計6車線計画から、現状どおり片側2車線のままとなった。そのかわり、広い歩道を設置し街路樹を植えて並木道にすることが約束された。いまは、住民と公団が話し合って樹木の選定中だ。できるだけ大きく育つ、葉を広げる樹木がいい。
 排気塔の大きさや規模も縮小された。残念ながら45mの高さは変わらないが、巨大な壁のような形状は変更され、幅7m×長さ6.3mの六角形の煙突状×2本となる。公団は風害を防止し、圧迫感をおぼえるような景観を避けるためとしているが、その実際は建ってみないとわからない。排気塔には、低濃度脱硝装置と電気集塵機がかろうじて設置される。しかし、これでは猛毒の二酸化窒素(NO2)は除去できても、排ガスに含まれる窒素化合物(NOx)の90%を占める一酸化窒素NOは野放しのままだ。排気塔からNOが大量に吐き出されれば、空気中ですぐにも化合してNO2になるのは目に見えている。
 いまから40年前、下落合から中落合にかけて放射7号線(十三間通り)ができて間もなく、建物の高層化と住環境の悪化を心配した中落合=旧「目白文化村」の人々は、広大な道路が貫通しているにもかかわらず、道の両側を第一種住宅専用地域(容積率100%)のままという、おそらく日本で初めての「景観条例」に近い環境保全施策を実現している。現在でも、中落合の十三間通り沿いは低層住宅のままが多く、下落合側の沿道とは好対照の景観を形成している。いまでこそ田園調布や国立市をはじめ、景観や環境の保全運動は珍しくなくなったが、これは40年も前の出来事だ。この運動を推進した中心の7人は、誰からともなく「七人の侍」と呼ばれたそうだ。

 

(山手通りから中落合3・4丁目を望む。反対の下落合側とは対象的に、低層建築が多く“ビル街”にはなっていない)
 今回の山手通り地下高速道路の排気塔反対運動のヘゲモニーをとったのは、「侍」ならぬ多くの女性たちだった。(山手もついに江戸下町化してきたのか?)  住空間に対する限りない愛着と、住環境に対する住民の誇りや熱く粘り強い想いが、いまの下落合や中落合、中井といったかけがえのない地域を形成しているとすれば、まさに「過去(歴史)は未来を照射する」のが今回の運動であり、これで終わりなのではなく、これからの街作りの大きな糧のひとつとなるのではないかと考えたい。「100年前に起きたことは、100年先にも起きる」、人の生活や営みというのはそういうものだと思う。