1982年(昭和57)に、当時の中村彝会の会長で洋画家の鈴木良三Click!は、彝アトリエの移築を茨城県へ強く要請していた。下落合の彝アトリエにお住まいのS様が、自宅の大がかりな改築を計画していたためで、当時は保存に前向きではなかった新宿区を見かぎり、せめて彝のふるさとである水戸市に保存できれば・・・と考えていたようだ。鈴木良三宅に保存されていた、彝アトリエの画道具やテーブル、イス、花瓶などとともに、移築されたアトリエ内に展示する予定だった。
 ところが、このプロジェクトは途中で頓挫してしまった。当時の「いばらき新聞」(1982年9月25日発行)によれば、どうやら茨城県と水戸市との間で、アトリエの移築をめぐって齟齬や軋轢が生じていたようで、結果的には彝アトリエのレプリカを、建設計画が進んでいた茨城県立近代美術館の敷地内へ新築することで話がまとまったようだ。そして、鈴木良三会長は彝アトリエの新築レプリカの画室へ、中村彝の遺品類を寄付している。同時に、どうしても彝アトリエを残したいS様のお宅では、お住まいの大がかりな改築をあきらめることとなった。
 茨城県立近代美術館の建設とともに、中村彝の下落合アトリエのレプリカが同敷地内で起工され、1988年(昭和63)の春に完成した。ただし、アトリエに住まわれている建築が専門でもいらっしゃるS様によれば、レプリカの一部が建築途中の手違いからか、実際のアトリエの構造とは喰いちがう部分が生じてしまった・・・というお話もうかがっている。
 
 彝アトリエは、1923年(大正12)の関東大震災の直後に、中村彝自身による修理・増築(東側壁面)が行われ、また佐伯祐三アトリエClick!から移ってきた洋画家・鈴木誠Click!により、1929年(昭和4)ごろの玄関部分の増築(南東側)が行われている。茨城県のレプリカは、当初の姿を再現するために、鈴木良三の記憶などを元に改めて設計図面が引かれた。大正末か昭和初期と思われる、下落合464番地に建っていた彝アトリエの古い建物敷地平面図(上左)とともに、茨城県にレプリカを建設する際に作成されたとみられる設計青図面(右上)が、アトリエにお住まいのS様宅から見つかった。そして、復元されていくアトリエの様子を順次撮影した、記録写真も残されていた。
  
  
  
  
 今月の24日(日)のクリスマスイヴが、中村彝の82回目の命日だ。中村彝会の会合が、ふるさとである水戸市で開催される予定だとうかがった。でも、会員のみなさんの高齢化とともに、定期的に会合を開くのが不可能になりつつあるようだ。おそらく、最後の彝会の集いになるだろう・・・とのこと。あれほど保存を訴えつづけた中村彝会が、下落合のアトリエに集合できないのが寂しい気がする。
 
 中村彝が、下落合の林泉園にアトリエを建ててから90年。保存へ向けた大きな車輪が、ゆっくりとだがようやく回りだしたようだ。

■写真上:茨城県立近代美術館の敷地内に復元中の、中村彝アトリエの新築レプリカ。
■写真中上:左は、古い建物敷地平面図。右は、レプリカ建設に用いたとみられるアトリエ平面図。
■写真中下:同レプリカの建築の様子。建物のカラーは、アトリエ当初の色彩が踏襲されている。
■写真下:左は、1979年(昭和54)に作成された「中村彝会名簿」。右は物故会員一覧で、岡崎キイClick!鶴田吾郎Click!中村黒光Click!野田半三Click!らの名前も見えている。