建築当初の杉邸Click!は、東側と南側にウィング状の張り出しをもつ、はっきり“Г”字型をした建物だった。また、子供部屋などに見られる三角に突き出た出窓と、自由学園明日館のように三角屋根と平屋根とを組み合わせたような屋根デザインとは、よくマッチしていたにちがいない。日本間を除くと、内部すべての洋室は米松材の色付けで造られていたらしい。
 いまでも、大谷石を積みあげた当時の面影が残っているけれど、ゆるやかな坂道になっている道路面から1~1.5mほど高い敷地に杉邸は建てられていて、階段を上らないと玄関ポーチには立てない。つまり、近衛町Click!が成立した当初の敷地造成の姿が、現在でもそのままの状態で残されているということだ。近衛町でもそうだし、目白文化村でも同様だが、大正期に造成された住宅敷地は、接道から1m以上高くなっていることが多い。下水施設などの都合や湿気防止の課題もあるのだろうが、昭和期に入ってしばらくすると道路との段差がなくなる住宅が増えてくる。自家用車の普及にともなう、車庫の問題が浮上してくるからだ。
 目白・下落合界隈の近代建築が解体されると、まず道路と水平に敷地が造成し直されるケースを、これまでさんざん見てきた。敷地の形状が大正時代のままだと、自宅に車庫が造りにくく駐車場を借りなければならないからだ。いまでは、接道面よりもかなり深く掘り下げ、地下室や地下車庫を造成するお宅も決してめずらしくない。換言すれば、あらかじめ道路とほぼ同じ高さの敷地に建てられていた邸宅は、庭の一部を車庫に改造できたため、あえて屋敷全体を造り変える必要がなく、当初の建築が残されてきた・・・ということにもなる。だから、旧・杉邸のように道路面からかなり高い敷地上に、大正期の建築がそのまま現存しているケースは非常にめずらしい。
 1923年(大正12)の関東大震災Click!直前、8月に発行された『住宅』(住宅改良会)から、杉邸内部の様子を引用してみよう。なお、「(略)」としたところは、写真の掲載ページが記載されている。

 

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 緩い坂道から五段ばかりの石段を上つてポーチになります。ホールには二間に二間、家全体への枢機にあたつて居ります。左に折れると四畳半の廊下が客間と居間との南側を通つて外は総ガラス戸です。突当りがサンルーム(略)でドアから庭へ出られます。これは様々に有効につかへますが、只今は勉強室になつてゐました。客間は八畳の外に床と違棚、居間は八畳、共に北側に一間づゝの肘掛窓があつて、境の襖をとると、通しにして大きくつかはれます。/ホールから真直ぐの廊下には、右に女中室湯殿、台所と並び、左に、恰ど台所の口と向つて食堂の口、それから老人室と突当りの子供室に近く便所があります。/食堂(略)は六畳ほどの洋室で、ホールから出入します。老人室はドアから入るとスリツパ脱ぎのある六畳敷で、一隅に仏壇が設けてあります。窓の両側に二つのひらきがあるのは外(略)から見ると大きな柱形になつてゐて構造上からも役立つてゐます。/子供室(略)は板の間で三角の出窓があり老人室との間はヴエランダがつないでゐます(ママ)ヴエランダから庭へ。 (「杜の家―目白近衛町杉卯七氏邸―」より)
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 造成したての近衛町に建つ、周囲を森で囲まれた杉邸は薮蚊が多かったのだろう、当時としてはめずらしく蚊帳を使わずに、窓へ「防虫スクリーン」(網戸)を入れている。杉邸の西側に接して工藤邸は建っていただろうが、室内から窓外を見ても、周囲に家があるとは思えない風情だ。現在からは想像もつかないけれど、『住宅』記事のタイトルどおり、森の中に建てられた洋館の趣きが強い。現在の邸周囲にも、大きな樹木が残されているので、いまお住まいのS様も当初の「杜の家」コンセプトを大切にされているのかもしれない。
 
 

 室内写真を見ると、各部屋の随所にまるで矢絣のようなデザインの、オリジナル窓枠が採用されているのも面白い。確かに外壁といい屋根といい、また窓デザインといい“ライトっぽい”Click!のだ。残念ながら同誌には色彩の記述がないけれど、現存する邸から想像すると、屋根は天然スレートのモスグリーン、2階の窓下までが薄めの卵色をしたスタッコ仕上げ、外壁の防腐剤を塗布した下見板は焦げ茶色・・・というカラーリングだったのかもしれない。
 東側が大きく削られているとはいえ、建築当初の面影や風情をよくとどめている旧・杉邸は、下落合に残る大正建築を代表する、超貴重な作品にちがいない。


■写真上:建築当初のホール張り出しと、現在の同邸の様子。
■写真中:上は、建築当初の杉邸間取り図。下左は1階食堂で、下右は1階和室とサンルーム。
■写真下:上左は1階の子供室とベランダで、上右は2階の書斎からバルコニーを眺めたところ。下左はバルコニーから1階の老人室・子供室のあるウィングを見おろしたところで、屋根の形状がいかにもライト風だ。下右は、現在の同邸で屋根の張り出し形状が当初とは変わっているようだ。