大正期に洋画家たちがよくマンガを描いていたのを、曾宮一念Click!や中村彝Click!、岸田劉生Click!を例にあげてご紹介Click!にしたことがあったけれど、今度は1930年協会の“マンガ家”たちについてご紹介したいと思う。1927年(昭和2)発行の『アトリエ』7月号に掲載された、同協会の画家たちが互いに描き合ったマンガと、日置加賀夫の文章とがそれだ。
 この時期、1930年協会のメンバーたちは、第2回1930年協会展Click!の仕事や展示準備で忙しかったのではないか。『アトリエ』7月号は6月中に出ていると思われるが、おそらく同展の真っ最中に書店の店頭へ並んだものだろう。もっとも多く描いているのは木下孝則だが、彼がいちばんヒマだったのだろうか。8点の似顔絵のうち、半分の4点を彼が描いていた。また、2点をなぜか1930年協会へ参加してたとも思えない野長瀬晩花が描き、1点を前田寛治が、最後の1点を木下孝則の兄である木下義謙が自身で描いている。『「一九三〇年丸」の乗組員』と題する記事を、少し長いが同誌から引用してみよう。
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 一九三〇年協会は日本通ひの汽船です/ひるがへすオレンヂ旗も美し
 口笛も爽やかに里見氏は/汽罐部室で閑言
 あゝ バーミリオンに燃ゆる、/ノアール・デイボアールの石炭は美しと、
 さてまた厨房で/小鴨や玉葱をクツクするのは/林武氏、佐伯夫人、
 写実ならでは夜も明けぬ、前田寛治氏/『靴屋』もやつたり『花』もいけ!(ママ)
 船客掛は野口氏や木下兄弟
 パリ仕込みのあか抜けた/日本娘の御相手するのは孝則氏
 老人やN夫人と五月の庭や吊橋の礼/賛するのは義謙氏だ。
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 木下兄弟は「船客掛」で、渉外的なお相手ばかりしているようなので、やっぱり少しヒマだったのかもしれない。(爆!) 里見勝蔵Click!がこのころ、バーミリオンに取り憑かれている様子がみえて面白い。同じ時期、佐伯祐三Click!もバーミリオンClick!をよくパレットに絞り出していた。下落合の家々には、オレンジがかった赤い屋根が多かったせいだろう。何枚も描いた八島さんちClick!の屋根も、バーミリオンがつかわれている。松下春雄Click!が描いた「下落合風景」シリーズClick!にも、赤い屋根の家が数多く登場していた。
 
 
 
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 海がしけて空かき曇りや(ママ)/キヤプテン佐伯が
 よろこびによろこびに/打ち震へ
 海が凪いで 空晴れ渡りや(ママ)/セイラー小島はのうのうと
 エスタークなるセザンヌに/思よせての制作だ、
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 なぜか、佐伯が船長ということになっている。前年、帰国半年後の1926年(大正15)9月、第13回二科展へ石井柏亭と有島生馬の推薦によりパリ作品を19点も出品して、いきなり二科賞を受賞していることから、佐伯の知名度がいちばん高かったことによるのだろう。パリでなにかと佐伯の面倒をみ、ヴラマンクなどにも紹介して先に帰国していた里見勝蔵にしてみれば、どこかに忸怩たる想いがあったかもしれない。1930年協会の結成にしても、もともと佐伯の発案ではない。
 空がかき曇ると、佐伯が喜びに「打ち震へ」ているという記述が興味深い。快晴の青空よりも、曇り空を描くほうがやはり好きだったのだろう。どうりで、彼の「下落合風景」シリーズClick!の画面は、どんよりとした空模様Click!がやたら多いはずだ。中には、晴れ間があるのに、あえて曇り空にしてしまった作品もあるのではないか。
 
 
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 さてあまたある船客に/ひしめき合ふは画学生
 船賃一円こりや廉い/貴様のセザンヌちと古い/俺はヴラマンクのひい孫だ
 俺はルオール珍らしがらう/フリエーズは俺のぢいさんだ
 思ひ思ひのスタイルで/草土社系をあざわらう。
 とにもかくにも/千九百三十年協会は/日本通ひの汽船です
 初夏の空にひるがへる/オレンヂの旗色も(ママ)美しさ。
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 いきなり年会費の話が出てきて、1円はこりゃ安いとうたっている。いったい1930年協会の記事なのか、それとも現在よく見られる一般記事を装った、同協会の媒体広告なのだろうか。第2回1930年協会展の開催に合わせるように、この記事が掲載されていることを考え合わせると、同協会と『アトリエ』(アトリエ社)とがタイアップしてこしらえた、展覧会の認知度を高めるためのアピール広告ではなかったろうか。そう考えると、「船客掛」=渉外担当のスポークスマンと思われる木下孝則が、もっとも多く似顔絵マンガを寄せている理由もわからなくはない。でも、「草土社系をあざわらう」などと書いて、はたして大丈夫だったろうか? 60cmほどの重たい簿記棒Click!を手に、いきなりアトリエ社の編集部へだいぶくたびれてはいたろうが、岸田劉生が殴りこんできやしなかっただろうか。
 
 
 それにしても、マンガを描いた4人の画家のうち、確かに木下孝則の作品がいちばんこなれかつ優れている。当時、彼は本業の絵画よりも、マンガのほうがうまかったのではないか。(爆!) ここに佐伯のマンガが残されなかったのは、返すがえすも残念。

■写真上:木下孝則が描いた佐伯祐三。8人のマンガで、全身像は唯一佐伯だけだ。
■写真中上:同じく木下孝則が描く、上から下へ林武Click!、前田寛治、野口彌太郎。
■写真中下:野長瀬晩花が描いた、上から下へ小島善太郎、木下孝則。
■写真下:上は、木下義謙が描いた木下自身。下は、前田寛治が描く里見勝蔵。共通しているのは、みな実際よりもやや老け顔で描かれていることで、3年後の1930年を想定しているのだろうか。