キツネが人間に化ける民話は数多いが、人間がキツネに化けて詐欺を働くというのはめずらしいケースだ。以前にも、そんな茶番Click!のひとつをこちらでご紹介しているが、今回は下落合で実際に起きた江戸期の悪質な詐欺事件をご紹介したい。当時の下落合は、幕府直轄の御留山Click!(将軍鷹狩場Click!)であり、あちこちに狐火Click!がともる森林だらけのさびしい風情だった。事件は、ひとり娘の病気回復を祈願するために、上落合の百姓・伝右衛門が雑司ヶ谷鬼子母神Click!へとお参りに出かけたところからはじまる。
 しょっぱなから余談で恐縮だが、豊島区が2010年より制作している「新版・豊島区史跡めぐり」(豊島区教育委員会教育総務部)の街歩きマップで、「雑司ヶ谷鬼子母神」(厳密には鬼のアタマにつく点がない)の呼称が、ようやくルビに「きしもじん」とふられて元にもどった。入谷鬼子母神Click!と同じで、江戸東京ならではの呼称はこうでなくては・・・。都バスのバス停アナウンスのように、まちがっても「きしぼじん」などと訛って呼ばないでほしい。
 伝右衛門は、たいせつな跡とり娘なので、雑司ヶ谷鬼子母神へ7日間かよいつづける病気全快の願掛けをしていた。成願する最後の7日目、本堂で祈願の順番を待っていると、先に経をあげ終えた若い女が話しかけてきた。以下、1982年(昭和57)に新宿区教育委員会から出版された『新宿区の文化財(6) 伝説・伝承』から、再現された伝右衛門と女のやりとりを引用してみよう。
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 女「あなたのお参りは今日が満願ではございませんか」
 伝「あ、そうですが、どうしてそれを」
 女「ええ、私はご近所の者ですが、わけがあってお娘さんのご病気を知っておりますし、そのために願をおかけになっていることも存じております」
 伝右衛門が、おかしな女だなと思っていたら
 女「あなたさまにたってのお願いがございます。何とかお聞き届け下さいますまいか。お聞き戴けるのでしたら、娘さんの病気はすぐにでも直(ママ)してさしあげましょう」
 伝「それほどまでにおっしゃるなら、私も娘の病気が直るように願かけているのですし、ありがたく承りましょう。ところでお話しとは一体何なのですか、私にできましょうか」
 女「申し上げても信じて戴けないかも知れません、実は、私の母がいま殺されようとしているのです。何とかお助け下さい。お願いします」
 と切実なまなこでじっとみつめる。やがて女が
 「下落合に、源右衛門という者がおります。そこへ訪ねて下されば何もかも事情がわかります。何とかよろしくお助け下さい」
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 できれば、この土地のちゃんとした大江戸郊外の方言Click!で再現してほしい会話なのだが、伝右衛門は、若い女の鋭い目つきとただならぬ雰囲気に、どうやらキツネが若い女に化けているらしいことに気がついた。母親が殺されそうだというのは、下落合で母ギツネが捕まって殺されようとしているのであり、子であるこの雌ギツネが助けようとしているのだろう・・・と想像した。
 
 
 翌朝、さっそく伝右衛門は上落合の家から下落合へと出かけ、若い娘がいっていた源右衛門宅を探しあてた。伝右衛門はさっそく、「最近、このあたりでキツネを捕まえなかったか?」と訊ねたが、源右衛門はなにを訊かれても「知らない」と答えた。しらばっくれる源右衛門の様子を怪しんだ伝右衛門は、農家の庭先を観察すると、むしろで覆った竹籠の中になにか動く動物の気配がする。伝右衛門は、さっそく竹籠を指さして追及した。
 源右衛門はすぐに狼狽し、実は親子ギツネを見つけて捕まえようとしたのだが、親だけ捕まえて子ギツネには逃げられてしまったことを打ち明けた。このあたりは将軍家のお鷹狩場なので、動物を捕まえればどんなお咎めがあるかも知れないので、やむをえず嘘をついてしまった・・・と弁明し謝った。事実、下落合は御留山(立入禁止の山)であり、そこに棲息している獣や鳥を勝手に獲ってはいけないお触れが、江戸全期を通じて幕府から出ていたのだ。
 伝右衛門は、源右衛門の釈明にいちおう納得し、キツネを買い取るから譲ってくれないかと頼んだ。でも、源右衛門はある医師に頼まれてキツネを捕獲したもので、生き胆を抜いて医者に売る約束になっていると、伝右衛門の申し出を受けつけなかった。伝右衛門は、5両で買い取ろうといったが、源右衛門は医者に20両で売る約束ができていると断った。「では明日の朝、20両をもってくるから、キツネを殺さないでくれ」とよくよく頼んで、伝右衛門は上落合へもどった。
 

 それから、伝右衛門は村じゅうを金策に走りまわったが、夜までに集まった金額は15両で、20両まではいまだ5両も足りなかった。翌朝、下落合の源右衛門宅を再び訪ね、「15両しか集まらなかったので、これで勘弁してくれ。キツネを譲ってくれ」と、病気の娘のことも話して懇願した。ついに源右衛門も、事情を了解して15両でキツネを売ってくれた。伝右衛門は、さっそくキツネを近くの山へ逃がしてやり、ホッと胸をなでおろした。
 ところが、たいせつなひとり娘の病状が、3日たっても5日たってもよくならない。むしろ、日増しに衰弱して病状は悪化する一方だった。そして、ついに娘は回復するどころかそのまま死んでしまった。伝右衛門の悲しみは深く、また怒りは激しかった。キツネにだまされたばかりでなく、15両というとんでもない借金を背負いこむことになってしまったからだ。伝右衛門は、落合地域でキツネを見かけしだい、片っぱしから殺してやろうと怒り狂った。
 しばらくして、キツネにだまされた話を伝え聞いた知り合いが、伝右衛門に「源右衛門の家には若い女がひとりいるが、一度見にいったほうがいい」と勧めた。伝右衛門は、久しぶりに下落合の源右衛門宅を訪ねると、彼の姿を見るや若い女がサッと身を隠すのが見えた。そして、伝右衛門はすべてを了解した。雑司ヶ谷鬼子母神で、子ギツネが化けたようなふりをして話しかけてきたのがその女であり、源右衛門と若い女は最初からグルだったのだ。江戸時代、キツネが化けて人をだます話は数多いが、人がキツネに化けた話はめずらしいので、今日まで伝わったのだろう。
 
 その後、伝右衛門がどのような報復をしたか、後日譚は伝わっていない。番所へ訴えても、伝右衛門が村じゅうからカネを借りた借用証文の事実があるだけで、どこにも詐欺を立証できる物的証拠がない。でも、人の弱みにつけこんだ悪質さから、伝右衛門が怒りを押し殺して泣き寝入りをした・・・とは思えない。ある月のない闇夜、家伝のやや黒錆の浮いた2尺2寸の刀を腰にぶちこんで狩猟用の火縄を手に、鉢巻をして龕灯(がんどう)を下げた彼は、「いま流行りの、百倍返してえやつだべ~!」と、下落合村の坂道を駆け上らなかっただろうか。・・・これ以上つづけると、下落合が「祟りじゃ~、明神様がお怒りじゃ~!」の八つ墓村になってしまうので、このへんで。

◆写真上・写真中上:東京の街中に残る、あっちこっちの横丁のお稲荷さん。
◆写真中下:上は、あちこちのお稲荷さん。下は、二代目・竹田出雲・他による歌舞伎『大物船矢倉吉野花矢倉(だいもつのふなやぐら・よしののはなやぐら)』(義経千本桜)の「鳥居前の場」で、狐忠信の八代目・坂東三津五郎(左)と静御前の四代目・中村時蔵(右)。
◆写真下:左は、安政年間に描かれた安藤広重『江戸名所百景』のうち118景「王子装束ゑの木大晦日の狐火」。右は、新宿区教育委員会刊行の『新宿区の文化財(6) 伝説・伝承』。