西落合1丁目208番地(現・西落合3丁目)にアトリエをかまえていた大内田茂士Click!は、1986年(昭和61)に『落合の街角』と題するタブローを残している。(冒頭写真) 福岡県立美術館に収蔵されている同作は、大石田が73歳のときの作品で、アトリエの近所を描いた画面ということになっているらしい。1986年(昭和61)といえば、わたしの下落合時代とはすでに同時代であり、そのどこかの街角を描いたものであれば、その特定は容易なはずだった。だが、どこかで見たことがありそうな街角にもかかわらず、これが落合地域のどこを描いたものか、わたしにはさっぱり思いあたる街角がない。
 結果からいえば、このような街角は80年代の落合地域には存在しないし、電柱に貼られた看板の「上田外科」も、少なくとも1986年(昭和61)現在には存在していない。そもそも、この画面には不思議な情景が数多く描かれている。まず、遠くの電線にとまるカラスが、手前の交通標識にとまるカラスよりも、はるかに大きく描かれている。手前のカラスを“実物大”だと解釈すれば、奥のカラスは羽を広げると3mほどにもなる、南米のコンドルほどのサイズになるだろうか。
 また、画面を右から左へ横切る道路を観察すると、どうやら2車線ではなく一方通行の1車線であることがわかる。「30」と描かれた制限速度が見えるので、2車線道路とすれば右側通行になってしまってありえないからだ。つまり、画面を横断する道路は右から左への一方通行なのだと想定できる。だが、よく交差点の路面などに塗布されている、ブレーキのききをよくする茶色いスリップ防止塗料と制限速度を表す数字が、1車線で左右に分かれて表示されている場所をわたしは知らない。画面の状況をそのまま解釈すれば、クルマの左側タイヤだけブレーキのききをよくする塗装のしかたなのだが、少なくとも落合地域の1車線道路でこのような路面の施工を、わたしは見たことがない。
 もうひとつ、制限速度が「30」(時速30km)の表記についての課題がある。下落合(現・中落合/中井2丁目含む)と上落合は、昔ながらの道筋がそのまま舗装されているのでカーブや入り組んだ道路が多く、またガードレールを設置するスペースもとれないため、ほとんどの1車線道路は制限時速が「20」(時速20km)に設定されている。落合地域で「30」が多いのは、耕地整理で碁盤の目のように比較的ゆったりとした広めの道路が確保でき、ガードレールが多く設置された西落合地域だ。換言すれば、「30」の制限速度表記のある一方通行の道路は、必然的に西落合の可能性が高いことになる。


 次に、ガードレールの課題だ。手前に描かれたガードレールは、緑と白に色分けされた特徴的なものだ。この意匠のガードレールは、小学校か幼稚園のごく近く、つまり子どもたちが集まりやすい登校路の周辺にしか存在しない。同じかたちのガードレールでも、学校や児童施設から離れた通常の街角であれば、白1色に塗られるのが東京都建設事務所の“お約束”になっている。これらのことを前提に、西落合の落合第六小学校の周囲をいくらあたってみても、このような道筋も街角も存在していない。いや、落合地域じゅうの学校や幼稚園の周辺、緑と白に色分けされたガードレールが存在しそうな、落合第一小学校から落合第六小学校までの周囲をあたってみても、このような風景は存在しない。
 画面の中で唯一、具体的な名称が描かれている先に触れた電柱の「上田外科」看板だが、下落合(現・中落合4丁目)の下落合みどり幼稚園Click!前には、ドラマのロケにも使われる上田医院Click!が実在するけれど、内科・小児科が診療科目であって外科ではない。ただし、西落合には「城田外科」医院が実在している。この電柱看板の向きをはじめ、各種の交通標識やカーブミラーが向いている方角も、画面を右から左へ横切る一通の道路用なのか、それとも左から画面奥へとつづいているらしい、より細めな路地状の道路へ向けた標識なのか、その角度や向きが曖昧だ。
 陽光は、手前の右寄りから射しているように見えるのだが、空が単純な青ではなく青紫がかっているところをみると、早朝か夕暮れに近い時間帯のような空気感をおぼえる画面だ。だが、光線に色はないようで、道路向こうに建つ3階建て(?)の住宅(低層マンション?)の壁は真っ白く輝いて見える。道路標識からすると、画面左手にはより細い道路があり、そのまま右から左へ走る一通道路の向こうへ、つづきの細い道路が“十字”にクロスしているような雰囲気だ。緑が繁る道路の向こう側は、土地がやや低くなっていく斜面状の地形なのか、樹木のてっぺんが画家の視線とほぼ同じ高さに描かれている。

 
 以上のようなテーマや課題を総合すると、このような地形や道筋を備えた学校ないしは幼稚園近くの風景『落合の街角』は、大内田アトリエのある西落合にも下落合にも、また上落合にも、1986年(昭和61)当時あるいはそれ以降も実在しない。作品とほぼ同時代である、1984年(昭和59)および1989年(昭和64)にカラーで撮影された空中写真を仔細に観察しても、描かれたような地点は落合地域にはないのだ。
 大内田茂士は、興味をおぼえたさまざまなモチーフを集め、コラージュ手法で画面を構成するのが好きな画家だったようだ。画面に登場するカラスも、大内田が好きなモチーフのひとつだったらしく、そのサイズや姿態は遠近法をまったく無視して自由に“構成”され描かれている。ということは、落合地域のさまざまな場所で採取し、スケッチをしていたモチーフを、まるで部品を組み合わせるようにコラージュし、心象風景として象徴させたのが『落合の街角』ではないだろうか。
 わたしの「どこかで見たような風景」という感触は、1986年(昭和61)当時に落合地域のあちこちで目にし、記憶していた風景の断片、その部分部分が画面のあちこちに散りばめられているせいなのかもしれない。
 この作品を描いたとき、大石田茂士は73歳になっていた。ひょっとすると、重たい画道具一式を下げて写生現場へと出かけていったのではなく、アトリエにこもって以前に各地で描きためておいた落合風景のスケッチ帳を参照しながら、キャンバスの前で自由自在に画面構成をしていたのではないか?……、そんな気もする作品なのだ。


 ある友だちに、大内田茂士の『落合の街角』を「どこだろ?」と見せたところ、やはりわからなかったらしく、画面の時間帯は夜明けで真っ黒な2羽のカラスは「あけがらす」Click!にちがいなく、九条武子邸Click!の周辺を描いたもの、すなわち落合第四小学校Click!の周辺を描いたものにちがいないといわれ、思わず噴き出してしまった。w

◆写真上:1986年(昭和61)に制作された、大内田茂士『落合の街角』。
◆写真中上:『落合の街角』に描かれたカラスと、一通の道路面を拡大したもの。
◆写真中下:上は、1989年(昭和64)の空中写真にみる西落合の落合第六小学校とその周辺。下左は、1986年(昭和61)に制作された大内田茂士『仮面と卓上』。下右は、同じころに描かれたとみられる大内田茂士『張り子の仲間たち』。
◆写真下:上は、1984年(昭和59)の空中写真にみる西落合1丁目208番地の大内田茂士アトリエ。下は、大内田アトリエ跡の現状。
★その後、大内田茂士のご子孫であるわたなべさんより、描かれた道路は西落合にある大内田アトリエの近くの四つ角だが、自身が面白いと思うモチーフを組み合わせて画面を構成していることをご教示いただいた。したがって、『落合の街角』は現実には存在しない「落合風景」とのこと。また、落合風景を描くようになったのは画家の晩年で、散歩をしながら気に入ったモチーフ(電線や小鳥、カラスなど)を見かけるとよく描いていたそうだ。