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感応寺はほんとうに「官能寺」だったのか? [気になるエトセトラ]

 目白界隈の歴史を掘り起こしていると、もうひとつやっかいなテーマに「鼠山感応寺」がある。松平白河守定信による「寛政の改革」でスタートした家斉時代だったが、町人たちの怨みをかって「白川の清き流れに魚不住」で改革が頓挫し、大江戸の爛熟期である文化・文政時代を迎えることになる。「鼠山感応寺」は、そんな時代背景の中で1836年(天保7)に建立されるが、わずか5年後の1841年(天保12)に早くも廃寺となり、徹底的に破壊されてしまう。
 鼠山感応寺は、天保期の安藤対馬守の下屋敷跡を中心に建てられたということなので、現在の目白3~4丁目および西池袋の一部(旧・雑司ヶ谷旭出の一帯)あたりだと思われる。ちなみに、安藤家の下屋敷の敷地も、時代とともに微妙に変わる。もっとも広かったのは、江戸初期の安藤右京進時代で、現在の池袋から目白一帯をほとんど含んでいたと思われる。また、8代将軍の吉宗が、頻繁に鷹狩りをした安藤但馬守時代も、のちの対馬守時代よりも広かったようだ。感応寺が建てられた当時、絵図(古地図)をたどっていくと安藤対馬守下屋敷は、当初に比べればおよそ1/3~1/4ほどの敷地になっていたのではないか。周囲の池袋村や長崎村、あるいは高田村の開墾が進み、また将軍家狩場の鼠山を御留山Click!として、大きく削られていたせいもあるのだろう。
 
 さて、この鼠山感応寺をめぐる、大御所政治や大奥の腐敗エピソードを書き始めるとキリがない。下総の法華経寺智泉院の住職だった日啓という僧が、娘のお美代を大奥の中臈(ちゅうろう)へと上げ、11代将軍・家斉の“お手付き”となったのをいいことに、家斉夫妻をはじめ大奥全体を徐々にマインドコントロールしていく。江戸期を通じて、千代田城内のいわゆる“おねだり政治”の最たるものなのだが、そのあたりの詳細は歴史書(中央公論社版『日本の歴史』18巻などに詳しい)にゆずるとして、日啓からお美代の方へ、お美代の方から家斉への“おねだり”で建立させたのが、鼠山感応寺だといわれている。
 1836年(天保7)に完成した感応寺には、本堂をはじめ五重塔、経堂、鐘楼、庫裡僧坊、書院、釈迦堂、鎮守堂、宝蔵、惣門、山門、中門など20を超す建築物が林立したという。惣門前には腰掛茶屋、酒屋、飯屋、蕎麦屋、料理茶屋などの門前町が形成された。ちょうど、目白庭園から西武池袋線あたりにかけてだ。将軍家をはじめ御三家・三卿や各大名家の参詣を集め、特に普段は外出を許されない大奥の女中たちが、お参りを口実にして感応寺へたびたび息抜きに訪れるようになる。その参詣があまりに頻繁なので、さまざまな憶測や噂が生れることになった。それらの流言が、どこまでが事実でどこまでが虚構なのか、正確な記録が残っていないのでわからない。
 
 家斉が死ぬと、天保の改革をめざす水野忠邦は、それらのまことしやかな風聞を利用して、大奥の抑え込みと綱紀粛正を図ったのではないか。幕府の感応寺重用は、将軍家の菩提寺である上野寛永寺や芝増上寺の反感をかっていたと思われ、両寺からのたび重なる讒言もあったのかもしれない。「今般思召これ有り候に付、廃寺仰せ付けられ云々」と、非常に抽象的かつ曖昧な表現で、日蓮宗本山の池上本門寺へ1841年(天保12)、感応寺の破却が命じられた。罪科が故・家斉へとおよび、将軍家の権威失墜を怖れた幕閣たちは、細かな罪状を挙げることなく大奥の家斉人脈も不問のままにしている。巨刹の完成から廃寺までわずか5年という短さも、のちにさまざまな憶測や面白おかしい噂話を生む素地となったのだろう。
 もともと谷中にあった日蓮宗の感応寺は、不受不施の禁制宗門として幕府に弾圧され、天台宗の天王寺に改変させられた。その復活を試みた日啓だが、そこには江戸の富籤(宝くじ)をめぐる巨大な利権が絡んでいたことは、ほぼ間違いないと思う。日啓は流罪(のちに牢死)となり、係累も日本橋晒しや押し込めとなって事件は落着した。でも、池上本門寺から派遣され感応寺に居住していた僧侶たちには、なんのお咎めもなかった。また、大奥でさまざまな工作をしたといわれるお美代の方だが、この事件を契機に大奥を追放され、1872年(明治5)に死ぬまでの間の動きをみると、確かにかなりの“策士”だった様子がうかがえる。

 アッというまに建てられて壊された鼠山感応寺だが、破却は徹底的に行われ、いまではなんの痕跡も残っていない。廃寺とともに、本尊は池上本門寺へ、祖師像は鎌倉の薬王寺へ、伽藍の材木は鎌倉比企ヶ谷(ひきがやつ)の妙本寺へと送られた。感応寺の材木で造られた妙本寺の祖師堂は、いまでも見ることができる。寛永寺や増上寺に匹敵するような巨刹が、ほんとうに目白界隈に存在したのか、いままで幻の感応寺と言われてきたのだが、2000年(平成12)に豊島区教育委員会によって行われた「旧感応寺境内遺跡発掘調査」によって、巨大な本堂の礎石が目白4丁目から出土した。これが、感応寺の500基を数える礎石のひとつとみられ、目白3~4丁目と西池袋の地下には同様の礎石が数多く眠っているものと思われる。

 天保期に破却されたのち、感応寺はもう一度江戸期の記録に顔を見せる。牛込市ヶ谷田町の畳屋・太兵衛という男が、鼠山感応寺の再建を再三にわたって寺社奉行に願い出ている。何度願い出ても許可されないので、太兵衛は祖先の眠る牛込原町の経王寺へ参詣し、「感応寺再建成就」の祈祷を上げたあと切腹して果てた。以降、感応寺は人々の記憶からすっかり忘れ去られていたのだが、前世紀末に巨大な礎石が出現したことで、再びにわかに脚光をあびることになった。
 淫らなスキャンダルと、目を覆いたくなる退廃色に彩られた「感応寺事件」だが、ほんとうに感応寺は「官能寺」だったのだろうか? 庶民の流言と、対立寺院などによるとみられるフレームアップが入り乱れ、真相は目白の藪の中だ。

■写真上:トラスト基金のパンフレット設置でお世話になっている、「ゆうど」さんの庭園に残る燈篭。寺院燈篭風の造りをしており、感応寺の境内に並んでいた燈篭のひとつではないかという説がある。
■絵図:『御府内場末往還其外遠隔図書』(1854年・嘉永7)より。は、延宝年間の安藤但馬守(のち対馬守)の下屋敷敷地。は、感応寺廃寺の記述。「思召有之感應寺廃寺」の文字が見える。
■絵図:同じく天保年間の様子。西側が長崎村、南が下落合村、東が高田村、北が池袋村に接している。感応寺境内の東端は、この切絵図のさらに右側、現在の山手線近くにまでおよんでいた。
■図版:谷中にある天王寺(旧・感応寺)の図絵などから想像した、鼠山感応寺の伽藍配置。巨大な本堂は、現在の徳川黎明会から「オーベル目白アヴァンタージュ」あたりにかけて建っていた。
■写真下:2000年(平成12)に目白4丁目19番地、上記のマンション建設現場から発掘された本堂礎石。500基あったとされる礎石ひとつで、なんと半トン=500kgもある巨大さだ。


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Ataraxia

初めまして。私は雑司が谷の住民のものですが、この度自分のブログで雑司が谷の記事を載せていこうと思い、その参考資料を探していたところこちらの記事にたどり着いた次第です。もしよろしければ私のプログの記事にこちらの記事をリンクさせて頂いてもよろしいでしょうか。よろしくお願いいたします。
by Ataraxia (2010-03-18 12:53) 

ChinchikoPapa

Ataraxiaさん、わざわざご丁寧にありがとうございます。
ずいぶん前に書いた記事ですので、一部いまの考えや認識とは若干ずれている箇所もありますけれど、こんな拙文でよろしければ、どうぞご自由にリンクされてかまいません。雑司ヶ谷の地域サイト、ぜひ実現されますよう!
このサイトは、どちらかといいますと山手線の西側に偏っていますので、ぜひ東側のことをいろいろとご教示ください。今後とも、よろしくお願いいたします。
by ChinchikoPapa (2010-03-18 22:10) 

p

初めまして!
半世紀以上前に目白の産婦人科で生まれ、目白の某校にも通ったことがあり現在は江古田に住んでいます。

偶々昨日発売になった「週間・江戸」で「感応寺」のことを初めて知り、色々ネット検索して辿りつきました!

しかも私と同じソネットブログとは驚きです。

慣れ親しんだ地にこんな歴史があったとは!?
現代の地図との位置関係も良く判ります。
道路に面影が感じられますね。

有難うございました。
by p (2011-04-20 13:14) 

ChinchikoPapa

Pさん、ずいぶん以前の記事を見つけてくださり、またコメントとnice!をありがとうございます。はじめまして。^^
目白の感応寺のテーマは、谷中の感応寺(天王寺)あるいは芝居の延命院との関連から、これからも追いつづけたいテーマのひとつです。鎌倉の妙本寺に、目白から移築の建築があるのですが、まだ写真に収められていません。いずれ、目白-谷中とのつながりも含め、より詳しく取りかかりたいテーマなんです。
わたしのサイトは、落合地域(下落合/上落合)が中心ですが、その周辺域を含めていろいろなエピソードやフォークロア、史的事実などを取材し紹介しています。昔の高田町(現・目白)はもちろん、ときに長崎(椎名町)や江古田界隈のことも書いていますので、ときどき覗いていただければ幸いです。
わたしは、TV画面の撮影ではなく、子供のころ録音するのに凝ってました。こちらのサイトでも、下落合を舞台にしたドラマ「さよなら・今日は」(NTV)などを紹介しています。w 今後とも、よろしくお願いいたします。
by ChinchikoPapa (2011-04-20 15:04) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>DorakenBeginnerさん
by ChinchikoPapa (2016-04-09 23:11) 

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