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明治から大忙しの鐘つき番。 [気になるエトセトラ]

 東京のあちこちを散歩すると、意外に多くの“刻(時)の鐘”が残っていることに気づく。明治・大正期も含めておよそ300年余、江戸東京に時刻を告げていた特別な鐘なので、ことさら地元で大切にされてきた。日本橋では石町に時鐘が設置されていたが、戦争による供出で溶かされてしまうこともなく、現在は小伝馬町の十思公園内にそのまま保存されている。
 江戸市中には全部で9つの時鐘が設置されていたけれど、その時鐘の音が、寺院でつかれる鐘の音と混同されなかったのが不思議だ・・・とよく言われるが、実は音色がかなり異なっていたことが指摘されている。時報の前に、捨鐘(すてがね)といって3回連続してついたので、よけいに差別化は容易だったのだが、鐘つき堂自体の構造も、寺院の鐘楼と時鐘のそれとはまったく異なっている。だから、鐘の音色も大きく違っていたわけだ。
 時鐘の建屋は、二間(約3.6m)四方の広さがあり、その中央に鐘が吊るしてある。鐘の真下の床面は、まるで囲炉裏が切られているように四角くくり抜かれていて、人が落ちないように格子が渡してある。つまり、鐘の音が床面を貫いて床下へと響くような構造になっていた。そして、床下にはその音響を受ける大瓶が地面に埋めこまれていた。まるで、スピーカーのようなしくみだ。鐘つき堂の建物は、さしづめエンクロージャといったところ。そう、どこかで見たことのあるこの構造、能舞台のしくみとそっくりなのだ。

 この構造により、鐘の音がより高くより遠くまで響きわたることになる。鐘楼の独自の構造からか、あるいは地形のせいなのか、江戸の町では上野の時鐘が、ほんのわずかダブッて聞こえたことが語り草となっている。つまり、エコーが発生していたのだろう。もちろん、鐘の音を遠くまで響かせるには、鐘楼の構造も大切だが、鐘つきの技量の高さが大きいことは言うまでもない。時鐘の撞木(しゅもく)は、堅いカシの木に限られていたというが、それを扱うには高度な技量が要求された。篠田紘造の『明治百話』(岩波書店)には、次のようなテクニックが記録されている。
  
 唯見たばかりでは撞木を吊してある綱を引くばかりであるから、これ程容易いことはないようだが、なかなか多年の手練を要するので、馴れぬ中は撞木にばかり全力を注ぎ力一杯に撞くから、近所が家鳴震動するばかりで遠方には少しも響き渡らない。かつそんな事をしていたのでは一日で疲れて翌日の役に立たぬ。何しろ撞木の重さのみでも二十五、六貫あるのだから堪らない。ただほんの縄を動かしてハズミをとり力を入れずに鐘に当てるまでのことだが、これがなかなか難かしく、自然にコツを悟らなければ決して撞けるとはいえないという話です。  (「上野の鐘の話」より)
  
 江戸期には、時鐘を聞いて天気予報をする人物まで現れた。1日の天気の移ろいや、ここ数日の天候をよく当てたそうだ。おそらく、鐘の音の拡がり方や響き方、鐘自体に付着した水蒸気による微妙な音色の違いを聞き分けていたのだろう。
 
 時鐘は、明治に入ってもそのまま使われつづけた。政府のドン(午砲)とともに、時鐘も各町でつかれていた。ただし、1872年(明治5)11月から、それまでの一昼夜12刻制から、一昼夜24時間制へと変わり、しかも4人交代が3人交代となってしまったので、鐘つき番はやたら忙しくなってしまった。でも、その時報は当時の時計よりも正確だったようだ。時鐘の音は大正期まで、地域によっては昭和初期まで、東京の街中に響きつづけていた。

■写真上:日本橋石町にあった時鐘。現在は、日本橋小伝馬町の十思公園内に移されている。
■写真下は、上野の黒門脇にある寛永寺の時鐘。いまでも、精養軒前の同位置にある。は、芭蕉の句にも詠まれて有名な浅草の時鐘。こちらも変わらずに、浅草寺境内にそのまま残る。


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ChinchikoPapa

takagakiさん、わざわざnice!をありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2007-03-23 12:51) 

かもめ

  「カネにうらみはかずかずござる」はこの鐘ではないですよね。 ^-^ヾ
お彼岸の墓参に行った栃木県の片田舎では、このところの盗難事件多発のため半鐘は消防団倉庫にしまわれてました。お寺では賽銭箱(?)が荒らされて、ご本尊を鎖でつなぐかと検討中だそうです。木造ではなく、金属製なんで。このお寺には鐘がありません。戦時中に召し上げられてしまい、そのままになってます。本尊は残ったようです。(笑)
 韓国で見た鐘は床面スレスレに下げられ、床面には丸い窪みがありました。鐘自体にも煙突のような筒がついていたかなぁ? 全体が細長い形だったかと。撞木も低くて膝から腰のあたり。床と天井の両方に反射して遠くまで届くための工夫だと聞きました。
by かもめ (2007-03-25 10:52) 

ChinchikoPapa

そう、半鐘もずいぶん盗まれているみたいですね。目白不動前に残っている、旧・高田町の半鐘は大丈夫でしょうか・・・。ちょっと心配です。そのうち、マンホールの蓋もなくなるんじゃないかと、最近は下を見ながら注意して歩いています。(^^;
アジア各国で、鐘楼の造りも鐘のかたちもさまざまなんでしょうね。キリスト教の教会の鐘楼でも、国や宗派によってはいろいろな特徴があるのでしょうか。
by ChinchikoPapa (2007-03-26 01:08) 

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