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柏崎で開かれた初の中村彝個展。 [気になる下落合]

 

 中村彝の個展が最初に開かれたのは、東京でも出身地の水戸でもなく、新潟県の柏崎だった。同じ柏崎出身の小熊虎之助の紹介で、新宿中村屋のアトリエを訪ねた洲崎義郎は、こののち彝の親友でありパトロンのひとりとなる。下落合に中村彝のアトリエClick!が建設(建築費650円)できたのは、今村繁三Click!の500円と洲崎義郎の200円による支援が得られたからだ。
 当時は帝大生だった小熊と彝は、岡田虎二郎が主催する日暮里の「静坐会」Click!仲間だった。中村彝が27歳、小熊と洲崎が26歳のときだ。新潟の柏崎は、その洲崎義郎のふるさとだった。「中村彝氏個人展覧会」は、まだ彝が存命だった1920年(大正9)11月7日~8日、「越後タイムス」の主催により、柏崎町役場の建物内で開かれた。
 「越後タイムス」は、1911年(明治44)に柏崎で創刊され、明らかに武者小路実篤らの「白樺」の影響を色濃く受けた、おもにインテリ層向けの週刊新聞だった。柏崎へ吉野作造や平塚らいてふ、島村抱月、松井須磨子らを招いたのもこの新聞社だ。余談だが、そんな進歩的な柏崎をワシリイ・エロシェンコClick!も訪れており、三階節を唄いながら日本海に沈む夕陽を「見つめ」て感動していた様子が記録に残されている。
 このとき「中村彝氏個人展覧会」に展示された作品には、彝の代表作がけっこう混じっている。油絵21点、パステル画4点、ペン画2点の合計27作品が出品されていたことが、同展の出品目録からうかがえる。ただし、彝が存命中のため、あとから作品のタイトルが変更されたものもありそうだ。パステル画の『目白の冬』Click! は変わっていないように思えるが、油絵の『目白の初冬』はのちにパステル画と同様、『目白の冬』Click! (1920年)とされたメーヤー館作品ではないだろうか? でも、1925年(大正14)に発行された『木星』3・4月号の口絵では、なぜか『目白の初冬』のままとなっている。また、油彩の『雉』は、のちに『雉子の静物』(1919年・大正8)と改題された作品のように思える。下落合のアトリエで描かれた、数々の静物画や自画像の最新作に混じり、新宿中村屋で相馬俊子とのことがあった直後、傷心で訪れた大島作品が数点見られる。





 洲崎義郎は、ときどき下落合のアトリエを訪ねては、彝の制作の様子を見学している。中でも『エロシェンコ氏の像』Click!は、柏崎を訪れたエロシェンコとの関わりもあり(洲崎も招聘したグループの一員だったのかもしれない)、ぜひ入手したい作品のひとつだったのだろうが、のちに今村繁三との間で「エロシェンコ事件」Click!の綱引きをしてしまうことになる。『エロシェンコ氏の像』はほんの一時期だが、柏崎に存在していた。
  
 あの、病床で暫く話をしてさえ直ぐ疲れを催すツネさんがブルースを着て、カンバスに向った時は、まるで別人かと思われる位、生々しい怖ろしい力が満ち渡っています。何処から湧いて来るかと思われる輝かしい逞しい力が体中いっぱいにみなぎります。そして其眼はぴったりとモデルとカンバスに吸着して了うかと思われるようです。
 (中略)軈て仕事が終ると、全く疲れ切った旅人が力無く路上に倒れるようにどったりと横になり乍ら、息使いも忙しそうにして居るのでした。私は「人は自分の魂の要求している仕事を為る時、最も自分の肉体にも良い効果を与へなければならないのに、其結果が悪いのはどういう訳でしょう」とききますと、ツネさんは「勿論私は絵を描いていさえ居れば、其から得た疲労を回復するのだけれども休んで居ると、友達が来て話をするので、すっかり無駄な精力を費して弱らせられて了うのだ」と答えました。(洲崎義郎『ツネさんの芸術』/初出:1925年・大正14『木星』3・4月号の「彝さんの藝術」より)
  
 「中村彝氏個人展覧会」の出品目録は残っているけれど、展覧会場の写真は存在しないと言われてきた。ところが、1997年(平成9)に新潟県立近代美術館の調査で、地元の(財)黒船館に数枚残されていることがわかった。同館の資料から引用したのが、これらの貴重な会場風景だ。知り合いの美術研究家の方から、わざわざ原本よりスキャニングしてお送りいただいた。

 1924年(大正13)の12月24日、中村彝の死を電話で知った洲崎は、岡崎キイがわがままな彝に愛想をつかして家出していたほんの一時期(キイ自身も相当わがままで、ふたりはいいコンビネーションだと思うのだけれど/爆!)、キイの代わりに“ばあや”をつとめた土田トウを連れ、下落合のアトリエへ駆けつけている。この土田トウのもとへ、前夜、彝の幽霊(生霊?)が訪れているのだけれど、それはまた、別の物語。
 洲崎義郎を彝に紹介した、同郷の小熊虎之助は、帝大の文学部哲学科を出た心理学者だが、中村彝会とも関わりの深い彼は、日本超心理学会の初代会長をつとめた「超心理学者」=超能力研究家として、あるいは心霊現象をさまざまな角度から研究する稀代の「心霊学者」=幽霊研究家として各分野では高名だ。でも、それもまた、別の物語・・・。

■写真上は、洲崎義郎のポートレート。は、中村彝『洲崎義郎像』(1919年・大正8)。
■写真中:「中村彝氏個人展覧会」の出品目録と、1920年(大正9)11月の会場風景。
■写真下:1920年(大正9)11月7日の「越後タイムス」、中村彝の特集記事で埋められている。


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コメント 4

のろ。jun.

貴重な資料とお話、ありがとうございます。
それはまた、別の話し~~それもまた~~
カテゴリーが増えるのでしょうか?
愉しみにしています♪
by のろ。jun. (2007-04-04 21:15) 

のろ。jun

0328 区長が表明なさったのですね。嬉しいニュースでした。
手元に8名の賛同者署名が届いてます。お送りいたします。
by のろ。jun (2007-04-04 21:21) 

ChinchikoPapa

のろ。jun.さん、こんばんは。(^^
先日、三春堂さんにお邪魔をしましたら、焼き物つながりでのろ。jun.さんをよくご存じのご夫妻がみえて、林泉園の桜老木のお話などをいたしました。
カテゴリーは増やさずに、近々、小熊虎之助がらみで少々不思議な現象について書いてみたいと思います。
また、ご賛同署名をありがとうございます。お忙しいようでしたら、こちらからいただきに上がります。ご遠慮なく、お申しつけください。<(__)>
by ChinchikoPapa (2007-04-04 23:41) 

ChinchikoPapa

いつもご丁寧に、nice!をありがとうございます。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-10-11 11:23) 

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