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黒めがねの旦那の「パリ正宗」。 [気になるエトセトラ]

 

 目白の鬼子母神近く、旧・北辰牧場の道沿いの雑司ヶ谷45番地あたりをメインに、点々と暮らしていた映画人がいた。戦後、東宝の役員から相談役となる森岩雄だ。森は、大正期から昭和初期にかけシナリオライターや映画評論家、さらに翻訳家として活躍していた。森が初めて目白界隈に住んだのは、ちょうど鬼子母神のケヤキ並木の並び、秋田雨雀邸の目と鼻の先だった。彼の著作には、当時の目白・雑司ヶ谷界隈の様子が詳しく描写されている。
 森岩雄は、大正期にヨーロッパへと遊学し、パリでは日本人画家たちのサロン仲間とのつきあいができたようだ。佐伯祐三Click!が決して寄りつかなかった(ということになっている)、藤田嗣治や薩摩次郎八を中心としたサロンだ。制作に熱中してパリの街中を彷徨し、サロンへ一度も顔を見せず挨拶にも訪れない佐伯は、彼らから「ドンキホーテ」とあだ名され、終始バカにされていた証言さえ残っている。当時、パリの代表的な日本人サロンだった、薩摩や藤田の集りへおもねらない日本人画家は、変人あるいは異端として排斥されていたのだろう。
 薩摩や藤田の取り巻きのひとりに、石黒敬七という、しじゅうサングラスをかけた柔道家がいた。ヨーロッパの軍隊や警察へ柔道を教えてまわっていた、のちに“黒めがねの旦那”と呼ばれ、特に戦後はNHKラジオのクイズ番組「とんち教室」などで有名になる人物だ。書籍などへ頻繁に掲載される薩摩/藤田サロン写真の中、もっとも目立つ手前の位置で派手なポーズをとっている男が彼。森岩雄はパリで、藤田サロンを通じて石黒と知り合いになったようだ。
 石黒は、柔道の普及活動のかたわら油絵も描いていたようで、制作した2点が佐伯も入選している「サロン・ドートンヌ(秋の展覧会)」へ、なぜかパスしてしまう。周囲は、藤田が制作を手伝ったから入選したのだろうとウワサしたようだが、展示された作品を見てサロンの画家たちは絶句してしまった。石黒の郷里である、新潟県の柏崎を描いた風景画2作が架けられていたのだが、どうひいき目に見ても、小学生が図画の時間に描いた絵のようにしか見えなかったからだ。「あのプリミティーフさは、間違いなく石黒の純粋作だ」と、周囲の画家たちは納得したという。
 
 また、森は石黒からパリの“蚤の市”で買ったガラクタをいろいろと見せられたらしい。中でも、明治期に海外へ大量に流出した日本刀コレクションが、強く印象に残っているようだ。その様子を、1978年(昭和53)に出版された森岩雄『大正・雑司ヶ谷』(青蛙房)から引用してみよう。ちなみに、「サロン・ドートンヌ」へ入選した作品について、森はモチーフの記憶違いをしていると思われる。
  
 (前略)一九二四年の「サロン・ドオトン」でその油絵が二点出して二点とも入選した。絵を専門に勉強している日本人の画家が多く落選している展覧会に、石黒さんの成功はパリじゅうの話題となっていた。その絵は石黒さんの部屋に飾ってあった。一枚は田圃の中で小童が小便している図、もう一枚は田舎の侘しい葬式の行列の図であったように覚えている。
 さて「蚤の市」のコレクションであるが、片隅に日本刀が十数本束にして置いてある。まるで日本の暴力団のアヂトさながらであった。
 「石黒さん、こんなに日本刀があるが、みんな立派なものなのですか。」
 「いえね、立派なものもあるし、立派でないものもある。こうしているうちに、何のなにがしの銘刀に会えると思ってね。」   (同書「洋行赤毛布物語」より)
  
 先日、荻窪の「文化村」界隈を散歩していたら、杉並区立郷土博物館の分館で「黒めがねの旦那/石黒敬七展」に出くわしたので入ってみた。くだんの日本刀(パリ正宗)も展示してあったので拝見したが、体配(刀姿)からしてすでに正宗でも貞宗の仕事でもない。鋩(きっさき)の帽子返りや茎(なかご)から茎尻のかたちも、正宗とは似ても似つかない代物だった。地鉄や刃文もシラケて、正宗の作品と近似点がただのひとつもない迷刀だ。

 この「パリ正宗」、実は西園寺公望がパリ滞在中に無銘刀を買い集めて、わざわざ鍛冶屋に茎表へ「正宗」と刻ませ、知人たちへ高く売りつけては遊興費を稼いでいた、いわくつきの偽銘刀なのだ。だとしたら、もう少しそれらしい短刀を探せばいいのに・・・と思うのだけれど、公卿出身の西園寺には、刀を見る目がまったくなかったものか。あるいは、西園寺家に伝わった刀だから正真正銘(せいしんしょうめい)Click!に違いないと、周囲が盲目的に信じるのを見こしての偽銘刀造りだったのだろうか? “黒めがねの旦那”がこれをパリから持ち帰ったのは、銘が真正だと思ったからではなく、おそらくこの寸延びにまつわる西園寺の物語に、強く惹かれたからのように思われる。
 森岩雄は国内の映画界ばかりでなく、戦時中は満州映画協会とのつながりも深かったようで、下落合の第二文化村近くに住んでいた李香蘭Click!とも交流があったのかもしれない。また、石黒敬七は1938年(昭和13)に出版社の特派員として「満州」へとわたっている。

■写真上は、雑司ヶ谷に残る、昭和初期と思われる和洋折衷住宅。この建物を撮影した背後が、ちょうど森岩雄の雑司ヶ谷における初めての住居跡。は、旧・雑司ヶ谷45番地の現状。
■写真中は、有名な薩摩/藤田サロンの記念写真。手前に座り、のけぞっているサングラスの男が石黒敬七。その右隣りは薩摩次郎八で、右端のオカッパ頭が藤田嗣治。は、サロン・ドートンヌに入選した1924年(大正14)ごろの石黒作品。
■写真下:当時、パリでみんなが騙された、西園寺が偽造したらしい「パリ正宗」のひと振り。いかにも下品な体配と帽子で、手入れが悪いのか古研ぎで水錆がそこかしこに浮いている。


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ChinchikoPapa

ウツボは美味しいですね。エイの干物も大好きです。
nice!をありがとうございました。>Krauseさん
by ChinchikoPapa (2008-02-24 20:34) 

ChinchikoPapa

北海道の蕎麦も美味しそうですね。
nice!をありがとうございました。>納豆(710)な奇人さん
by ChinchikoPapa (2008-02-24 20:37) 

ChinchikoPapa

川越は、いつかゆっくりと歩いてみたい街のひとつですね。
nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2008-02-24 20:39) 

ChinchikoPapa

竜尾さん、nice!をありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2008-02-24 20:40) 

ChinchikoPapa

先日招かれた結婚式は、パーティによる人前形式でよかったです。
nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2008-02-24 20:45) 

ChinchikoPapa

絵馬の写真が美しいですね。・・・佐伯の「絵馬堂」はどこなんでしょう?(爆!)
nice!をありがとうございました。>komekitiさん
by ChinchikoPapa (2008-02-25 14:19) 

SILENT

コメントありがとうございます
石黒敬七と藤田の交流、面白いですね。巴里での接点として、白洲正子、島崎藤村、佐伯祐三の3人からも調べてみようと思います。巴里では佐伯と治郎八夫人は絵を描くことで共通の接点があり、藤田は白洲正子に絵を手ほどきもしているようです。藤村も治郎八を通じての接点で、面白い関係が発見出来たらと考えてます。大磯町役場での解答では、不快な対応あらためて御詫びします
。こちら一町民のひとりですが、(^i^)
by SILENT (2008-11-04 07:23) 

ChinchikoPapa

SILENTさん、ごていねいにありがとうございます。
佐伯祐三と薩摩治郎八夫人とは親しかった・・・という記述が、確か「吉薗資料」の中にはみえますね。ときどき、夫人の画室にも通っていたというような情景も、どこかに書かれていたように記憶しています。真偽のほどは別にして、表面的には佐伯が薩摩治郎八・藤田嗣治グループと親しかったという証言や記録はなく、むしろ逆に同サロンへ頻繁に出入りしていた取り巻き連中からは「挨拶にも来ない」という感覚からか、この記事でもチラリと触れましたけれど、なかばバカにされていたようなフシが垣間見えます。これは、サロンに属していた複数の人々(石黒敬七含む)の、のちの証言にも見えてますね。
「裏側」でどのようなことがあったのかは不明ですが、藤田嗣治はおもに海軍に人脈が拡がっていたものか、いわゆる「戦争画」では海軍の戦場を数多く描いているのは興味深く、また石黒敬七は「柔道」のつながりから陸軍とのパイプが深かったものか、戦時中は中国大陸に渡っていて、その間なにをしていたのかが不明というのも、ちょっと惹かれて調べてみたくなるテーマのひとつです。
それから、SIRENTさんが謝られることはないですよ。^^
by ChinchikoPapa (2008-11-04 11:32) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-09-27 11:00) 

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