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下落合に残る擁壁や塀のいろいろ。 [気になる下落合]

薬王院塀1.JPG
 大正の中期、宅地開発が進むにつれて、下落合ではさまざまな擁壁や塀が造られている。それらは、目白崖線の急峻なバッケ(崖地)斜面を固め、土砂の崩落を防止するために造られたり、起伏の多い下落合の住宅敷地の土留めとして建設されたり、あるいは住宅や墓地を囲む敷地の境界線として設置されたりしている。早い時期の素材には、お馴染みの大谷石が多用されているが、大正末から昭和初期にかけてはコンクリート製のものが急増している。
 下落合で大谷石の擁壁というと、まず目白文化村Click!の境界に設置されたものが印象深い。「スキー場」Click!の急斜面にもほど近い、落合第一小学校Click!前に拓けた第四文化村の渓谷にそびえる大規模な擁壁だ。前谷戸に発した渓流が暗渠化されたとはいえ、湿気から住宅を守るために大量の盛り土をして構築された擁壁だが、85年後の今日でもビクともしていないのはさすがだ。同じく箱根土地の仕事では、第二文化村とのちに勝巳商店が1940年(昭和15)に販売する「第五文化村?」Click!との境界に設けられた、大谷石による長大な擁壁が印象深い。また、山手通りへと下る第二文化村の突き出た坂道敷地にも、同様の擁壁が見られる。目白文化村のさらに西、アビラ村(芸術村)にも大谷石の擁壁が多い。たとえば五ノ坂などの上部、林唯一邸Click!古屋芳雄邸Click!の界隈には、いまでも当時そのままの石組みを見ることができる。
 諏訪谷Click!に残る擁壁は、大谷石製のものとコンクリート製のものとが混在している。東側の湧水源に近い崖は大谷石による構造だが、南側の崖はコンクリートによる擁壁が開発当初から築かれていた。崖沿いを厚めのコンクリートで覆い固め、まるでつっかえ棒のようなデザインの補強支柱が壁面へ垂直に添えられている。この工法は、現在でも活用されていて、同じようなデザインのコンクリート擁壁を随所で見ることができる。新宿区内でいうと、筑土八幡町の崖線に今年造られたばかりの巨大な擁壁が同じかたちをしている。佐伯祐三Click!が描いた蘭塔坂(二ノ坂)Click!の擁壁も、南に面した崖線のコンクリート補強壁が諏訪谷のものとほぼ同じ仕様だ。
諏訪谷大谷石.JPG 第四文化村大谷石.JPG
第二文化村大谷石.jpg 五ノ坂大谷石擁壁.jpg
 また、西坂にあった、まるで板チョコを並べたような形状をした独特のコンクリート擁壁も、山間部の道路などをクルマで走ると、今日でもあちこちで目にすることができる工法のひとつだ。聖母坂ができる1931年(昭和6)以前、諏訪谷と不動谷(西ノ谷)Click!を抱えるこの谷間の出口は、東西両側の崖地がこの擁壁工法で覆われていたらしいことが、松下春雄Click!が描いた『徳川別邸内』Click!(1926年)の背景からもうかがい知ることができる。さらに、笠原吉太郎Click!が描く『下落合風景を描く佐伯祐三』(1927年)の背後にも、似たような擁壁らしい形状が描かれているようだ。笠原が描いたような擁壁は現在、新宿区内では赤城下町の崖線に当初の姿のまま残っている。おそらく、当時としては最新のコンクリート擁壁工法のひとつだったのだろう。
 コンクリートが多用されはじめた擁壁だが、一般の住宅や施設を囲む塀などにも、セメントが用いられはじめている。以前にご紹介した、中村鎮Click!の「中村式鉄筋コンクリートブロック」方式も、住宅や塀の造りへ盛んに取り入れられた。下落合界隈のコンクリート塀を、いくつか見ていこう。まず、佐伯が「制作メモ」Click!「セメントの坪(ヘイ)」Click!と記した曾宮一念邸Click!の前、諏訪谷北側の野村邸のコンクリート塀は、いまでもその痕跡がかろうじて確認できる。昨年までは、塀の痕跡はもっと随所に露出していたのだが、道路整備が行なわれたためかなりの部分がアスファルトの下になってしまった。その断面を観察すると、鉄筋が用いられておらず、大きな良質の玉砂利(もはや小石と呼んだほうが適切だ)とセメントで固められた、非常に分厚い塀だったことがわかる。板で型を造り、大きな玉砂利を混ぜたセメントを流し込んだだけの、ごく簡易な構造だったのだろう。
西坂セメント擁壁.JPG 徳川別邸内1926(部分).jpg
諏訪谷セメント擁壁.jpg 筑土八幡町セメント擁壁.JPG
二ノ坂三ノ坂擁壁.jpg 赤城下町セメント擁壁.JPG
 諏訪谷の塀が大粒の玉砂利を用いていたのに対し、第三文化村に接して建てられた西洋館の塀は、非常に細かな玉砂利(キメが粗い砂とも呼べる)を捏ね、手間をかけて造られていた。ひび割れがほとんど見られないこの塀は、かなり薄めに造られているので、きっと鉄筋構造ではないかと思われる。つい先日、この西洋館は取り壊されてしまい、新たに4区画で建売住宅が販売されるそうなので、きっとこの塀もすぐに壊されてしまうのだろう。
 最後に、佐伯が「墓のある風景」Click!で描いた、薬王院のコンクリート塀Click!を見てみる。おそらく、上記でご紹介したコンクリート塀の中で、薬王院のものがもっとも古いのではないかと思われる。ところどころ、表面が剥脱した内部には鉄筋などまったく見えず、土塀と思われる土質の壁面がのぞいている。それ以前に建設されていた土塀の一部を活かしたのか、あるいはコンクリート塀の芯として新たに薄い土塀を築いたものか、詳細はわからないけれど、他には例を見ない独特な構造をしている。おそらく、明治末か大正初期に築かれた塀ではないだろうか。まるで、アーモンドにチョコレートをコーティングしたような、現在では見られないコンクリート工法だ。
諏訪谷セメント塀.JPG セメントの坪(ヘイ).jpg
第三文化村セメント塀.JPG 第三文化村1926.jpg
薬王院塀2.JPG 薬王院塀3.JPG
 こうして、下落合に残るさまざまな擁壁や塀を見てくると、大谷石の構造物ひとつとってみても、加工の手法や積み上げの工法が、それぞれ開発業者によりまったく異なっていたのがわかる。コンクリート構造にいたっては、いまだ工法が落ち着かず試行錯誤の時代だったせいもあるのだろう、個々バラバラな仕事だった印象を受ける。コンクリート構造物をすべて撤去するのは厄介なせいか、ときどき散歩をしていると道端などで、大正末から昭和初期に造られた塀の残滓を発見できる。それらはおしなべて、今日では高価で手に入らなくなったらしい、河川敷で採集されたとみられる良質な玉砂利がふんだんに使われているので、おおよそ見分けがつくのだ。

◆写真上:薬王院に現存する、旧墓地のコンクリート塀裏側の構造。佐伯祐三の『下落合風景』の1作「墓のある風景」に描かれた塀の、ちょうど真裏に相当する風景。
◆写真中上上左は、諏訪谷の突き当たりにみられる昭和初期に建設された大谷石擁壁。上右は、箱根土地によって1925年(大正14)に建設された第四文化村の高い擁壁。下左は、第二文化村と「第五文化村」の境界にある擁壁。下右は、アビラ村(芸術村)の五ノ坂に残る擁壁。
◆写真中下上左は、独特な形状が印象的な西坂のセメント擁壁。上右は、松下春雄『徳川別邸内』(1926年/部分)。中左は、諏訪谷南側の崖地にみられるセメント擁壁。中右は、新宿区筑土八幡町の崖に今年できたばかりの大規模な擁壁。下左は、蘭塔坂(二ノ坂)から三ノ坂にかけての崖地に残るセメント擁壁。下右は、新宿区赤城下町に残る古い格子状のセメント擁壁。
◆写真下上左は、曾宮一念アトリエ前の道端に残るセメントの塀跡。上右は、佐伯祐三『下落合風景』のうち「セメントの坪(ヘイ)」(1926年/部分)。中左は、第三文化村の南に残った取り壊し寸前のセメント塀。中右は、第三文化村内を描いた佐伯祐三『下落合風景』(1926年/部分)。下左は、独特なアールが美しい薬王院の塀。下右は、剥落したコンクリートから土塀の芯が見える。


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同業者

ひび割れ補修材で使いきりタイプのものがありますよ。

私どもでも何度か使いましたが、ビタっとひび割れは止まります。

http://www.ktm-cp.com/?pid=21401324
by 同業者 (2010-06-30 11:39) 

ChinchikoPapa

水車小屋で拙記事をご紹介くださり、ありがとうございます。当時、武家屋敷内にある水車小屋までが、火薬製造に動員されたらしいので、ひょっとすると幕命で造らされたのかもしれませんね。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2010-06-30 11:48) 

ChinchikoPapa

高圧線の鉄塔が見える、一面のススキが生い茂った河原のような草地の道を、海岸に向かって自転車を急がせているのですが、いけどもいけども海がなかなか近づいてこない・・・という、カフカ的な状況夢をみることがあります。nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2010-06-30 11:59) 

ChinchikoPapa

同業者さん、コメントをありがとうございます。
このサイトをお読みの方の中には、大正時代あるいは昭和初期に造られたコンクリートの擁壁や、塀のひび割れに悩んでる方がおられるかもしれませんね。業者に依頼しなくても、カンタンに修理ができそうな国産補強製品は、そういう方たちには朗報だと思います。
by ChinchikoPapa (2010-06-30 12:17) 

ChinchikoPapa

これだけ音楽がネットからダウンロードされるようになりますと、CDの売上げ枚数だけでは、ヒットのめやすにはなりにくくなってきたのかもしれませんね。nice!をありがとうございました。>Webプレス社さん
by ChinchikoPapa (2010-06-30 12:20) 

ChinchikoPapa

わたしの20,000nice!から、わずか10ヶ月で70,000nice!とはすごいですね。おめでとうございました。またこちらにも、いつもnice!をありがとうございます。>ねねさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2010-06-30 14:01) 

ChinchikoPapa

「税金を支払うために仕事をしてる」・・・そんな感慨を抱くのが、消費税10%という数値だと思います。企業の経営面からみても、つらいですね。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2010-06-30 14:07) 

ChinchikoPapa

描いた絵が、そのままタイル表札になるというのは面白いですね。かなり複雑な描画でも、そのまま焼けるのでしょうか。nice!をありがとうございました。>イタリア職人の手作りタイルさん
by ChinchikoPapa (2010-06-30 14:10) 

ChinchikoPapa

お隣りに魔女が住んでいるとは、うらやましい限りです。うちは裏にお化けが住んで、いや、タヌキが化けただけなのかもしれませんが・・・。nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2010-06-30 19:43) 

ponpocopon

Papaさん こんばんは 東大寺の二月堂へ行く坂道に割った屋根瓦を塗りこんだような塀があって(廃物利用?)、その色合いと風情がとても素敵なので思わず写真を撮ってしまいました。
by ponpocopon (2010-06-30 22:40) 

ChinchikoPapa

うちは浴室や階段には手すりを付けていますが、手すりの太さや色までは考慮しませんでした。いろいろな課題があるものですね。nice!をありがとうございました。>dorobouhigeさん
by ChinchikoPapa (2010-07-01 11:37) 

ChinchikoPapa

いまは、水玉模様のことを「ドット柄」というのですね。その流れですと、巴散らしは「カンマ柄」でしょうか。w nice!をありがとうございました。>cocomotokyoさん
by ChinchikoPapa (2010-07-01 11:45) 

ChinchikoPapa

ponpocoponさん、コメントとnice!をありがとうございます。
いわゆる、「練瓦塀」という仕様ですね。古い街に出かけると、日本家屋でときどき見かけます。練塀に瓦を埋め込むのは、見た目もきれいで豪華ですし、壁面の強度が増すということで、2つのメリットがあったのではないでしょうか。今度、ぜひ撮影された写真をアップしてください。
by ChinchikoPapa (2010-07-01 11:48) 

ChinchikoPapa

WCの日本代表に限らず、ここ数年の日本のサッカー界の技術向上には、目をみはるものがありますね。nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2010-07-01 11:59) 

ChinchikoPapa

「サルビア」も「髪」も、悩ましい“乙女”歌曲が多く作られた1960年代の作品でしょうか。悩ましくて、あんまりですね。w nice!をありがとうございました。>tamanossimoさん
by ChinchikoPapa (2010-07-01 12:07) 

ChinchikoPapa

わたしも記事をプリントアウトしているのですが、PCをお持ちでない古老の方へのおとどけ用で、自身では保管していません。^^; nice!をありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2010-07-01 15:32) 

ナカムラ

本当にこの界隈は見飽きませんね。
by ナカムラ (2010-07-01 18:07) 

ChinchikoPapa

「今、この町は抹茶色に支配されている」という表現が、なんとも大磯らしくていいです。抹茶色に染まった潮風の香る街ですが、事実、お茶も盛んですね。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2010-07-01 18:16) 

ChinchikoPapa

ナカムラさん、コメントとnice!をありがとうございます。
あとからあとから、調べてみたいテーマが見つかって、ほんとうにキリがないです。キーボードを打つのが、もどかしく感じることも多いですね。
by ChinchikoPapa (2010-07-01 18:20) 

ChinchikoPapa

いつも美しい写真をお見せいただき、ありがとうございます。
nice!をありがとうございました。>Shin.Sionさん
by ChinchikoPapa (2010-07-02 10:06) 

ChinchikoPapa

最近、パン食が減って和食が増えているのですが、体調がなんとなくいいように感じます。nice!をありがとうございました。>父ちゃんさん
by ChinchikoPapa (2010-07-02 10:12) 

ChinchikoPapa

美味しい百合根の料理がたくさんできそうだ、などとすぐに考えてしまいました。w nice!をありがとうございました。>ほりけんさん
by ChinchikoPapa (2010-07-02 15:24) 

ponpocopon

Papaさん こんばんは
東大寺で撮った塀をアップしましたので是非ご覧ください。
唐招提寺にもあったのですが、東大寺の方がきれいでした。
by ponpocopon (2010-07-03 19:49) 

ChinchikoPapa

ponpocoponさん、コメントをありがとうございます。
また、わざわざ記事をアップくださり、ありがとうございました。さっそく、「塀」つながりでTBさせていただきました。w
by ChinchikoPapa (2010-07-03 20:38) 

ChinchikoPapa

わたしも、病院での健康診断は受けますが、特別にガン検診というのは受けたことがないです。健康診断では、胸部X線と胃のバリウム検査、あと希望すれば直腸検査だけですね。nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2010-07-03 20:43) 

ChinchikoPapa

コメントが遅くなりました。nice!をありがとうございました。>吉田さん
by ChinchikoPapa (2012-12-11 13:41) 

ChinchikoPapa

昔の記事にまで、nice!をありがとうございました。>じみぃさん
by ChinchikoPapa (2012-12-11 13:42) 

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