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島津一郎アトリエを拝見する。(下) [気になる下落合]

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 島津一郎アトリエClick!を所有・保存されている方に、アトリエを東西からはさむように配置されている各部屋を、次々とご案内いただいた。それぞれの部屋は、アトリエ建築にありがちな窮屈さが感じられず、いずれの部屋も広く感じられ使い勝手もよさそうだった。アトリエ自体が広いばかりでなく、隣接する各部屋もそれなりのスペースが確保されていて、ゆったりとした印象だ。改めて、本アトリエ建築の大きさに目をみはる。
 応接室を拝見する際、ドアに刻まれた菱形のフォルムと、その中心に彫刻された花に目を奪われた。なんの花だろうか、リンドウともダリアともつかない花は、半ば抽象化されたデザインのようにも見える。ドアの枠や花の浮彫りには、まるで鎌倉時代の彫刻手法である鉈(なた)彫りを想起させるような、独特のノミ使いがみられる。あるいは、現代の鎌倉彫りに残る技法のひとつのような質感のデザインで、かなり“高彫り”の凝った仕上げとなっている。早稲田大学建築史研究室が2010年(平成22)に作成した『旧島津一郎アトリエ実測調査報告書』(2010年)によれば、現代の建築用語では「手斧目を残す仕上げ」・・・というらしい。
 それら木彫りの質感が、用いられている木材に表れた流麗な杢目の模様と実によくマッチして、独特な美しさを形成している。ドアの金具にも凝っていて、玄関や応接室のドアには橘花を図案化したような、特注と思われる大きな蝶番(ちょうつがい)が取り付けられている。鉄製らしい蝶番は、あらかじめ腐食を防ぐために、ていねいな錆びつけが行われていたものだろうか? 赤錆が浮いている下の表面は、頑丈そうな黒っぽい地肌をしている。
 しぶい色合いを見せているドア自体のデザインは、玄関のどっしりとしたオーソドックスで重厚なデザインのものから、応接室の華やかな木彫りのあるもの、装飾性を排除したシンプルで軽量そうなドア(風呂場やトイレ)まで、用途の異なる部屋ごとにさまざまだが、鉈彫りのような木彫表現は各ドアとも共通していて、建物内のトータルな統一感を醸しだしている。また、鉈彫り表現はドアまわりだけでなく、一部の柱や天井の梁にもほどこされている。
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 外壁の一部は、ベージュ色のモルタル仕上げだが、アトリエ内部の壁はほとんどがホワイトに近いクリーム色の漆喰塗りとなっている。下落合のアトリエ建築ではよく見かける、腰高の木壁は島津アトリエにはほとんど見あたらず、ツヤの出た焦げ茶色が美しいフローリングの床面近くまで、白に近いクリームの漆喰壁がつづいている。風呂場(現キッチン)のドアの、向かって右手にある腰高の壁は板材の新しさから、後世の修理・普請によるものだと思われる。全体的な印象では、クリーム色の漆喰壁による効果から、明るくて清潔感あるいは静謐感の漂うアトリエ内部の意匠だが、西側の応接室へ入ると雰囲気はガラリと変わる。
 応接室は、壁面のほとんどが堅板張りといわれる木壁で、クリームの漆喰壁は天井と、天井に近い壁面に少し残るだけの造りだ。その木壁一面には、やはり鉈彫りのような質感の木彫表現がほどこされている。床面は、アトリエと同様にフローリング仕上げなのだが、南寄りの位置には掘りごたつが設置されている。また、西側には大きな暖炉が備えつけられ、床面には玄関と同じ矢羽型のタイルが敷きつめられている。暖炉の「洋」と、掘りごたつの「和」の対比がひときわ面白い。天井はクリームの漆喰に、鉈彫りのようなデザインがほどこされた梁が5本わたしてあり、全体的に木の質感に囲まれた暖かい雰囲気のユニークな部屋に仕上げられている。
 つづいて、東側の書斎とキッチン(島津アトリエ時代は風呂場)を拝見する。書斎は、南東に面して非常に明るく、アトリエ内と同様に床面はフローリング仕上げだ。応接室と同じぐらいのスペースだが、書斎のほうがやや幅が狭くタテに細長い部屋となっている。北面には造りつけのすりガラス戸棚が設置され、その横のドアから風呂場(現・キッチン)へと抜けられる設計だ。ドアの右手には、先に書いた新しい腰高の板壁があるのだが、建設当初はここにも造りつけの戸棚が設置されていた。書斎の西壁面には、アトリエ中2階へと上がる階段が設けられているが、階段の下部が書斎の収納スペースとして有効に活用されている。書斎の天井は、応接間のデザインとはまったく異なり、西洋館ではよく見られる天井蛇腹と呼ばれるオーソドックスな仕様を採用している。
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 階段を上がって、南に面した明るくて暖かい中2階へと入る。東西に細長く造られた、フローリングによる廊下状の中2階は幅がかなり広いので、もともとは陽当たりのいいテラスあるいはサンルームとして意図されてもいるようだ。広いアトリエとの境目は、階段と同じ団子を連ねたようなデザインの手すりがついたガラス窓になっており、アトリエで作品を制作するときは窓に吊るされた厚めのカーテンを閉めて、南からの光を遮断したものだろう。
 南側の窓は、建物の外観からもわかるように、陽光をめいっぱい取り入れられるように背が高く、また横幅も広い。引き違いの大きなガラス窓が8枚も嵌められており、そこからは庭全体を見渡すことができる。また、南面窓の外側の柱にも、北側の採光窓と同じような「飾柱」が見られる。窓の下にはフラワーボックスが設置されていて、季節ごとに緑や花を飾ることができるようになっている。現在は植物が置かれていないけれど、ここに蔦や花の鉢植えをあしらえば、ますます別荘地に建てられた高原の建物のような趣きになるだろう。
 なお、タブロー制作用のアトリエに近接して、島津一郎が建てた彫刻アトリエも現存している。こちらは吉武東里の設計ではないようで、建築時期も絵画用アトリエよりは新しいようだ。絵画アトリエよりははるかに規模が小さく、室内の広さも8~10畳大だと思われるのだが、現在は所有者の方が物置に使用されていて拝見できなかった。
 島津一郎アトリエは、吉武東里が設計した国内で唯一現存するアトリエ建築ということで、新宿区マターではなく文化庁マターによる文化財指定となった。それを考えると、同じく吉武設計の刑部人アトリエClick!が解体されてしまったのは、重ねがさね惜しいかぎりだ。下落合には、ヴォーリズのメーヤー館Click!をはじめ建築分野から見た貴重な地域の資産が数多く残っている(残っていた)のだが、ここ数年で次々と解体あるいは移築されている。新宿区では荷が重すぎる案件であれば、今回のケースのように文化庁マターで保存を考えていただければ可能性は拡がるはずだ。
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 もうひとつ、建築ではなく美術の観点からも、貴重なアトリエがいくつか現存しているのだが、「芸術と文化の拠点・新宿」の街づくりを推進するのであれば、それらは願ってもない新宿区ならではの地域リソースとなるだろう。だから、佐伯祐三アトリエClick!の解体後、かけがえのない部材が「行方不明」・・・では困るのだ。天井裏に大工の墨書きはなかったのか、材木の印判はどこの店のものだったのか、佐伯自身が増築した洋間部分の部材はどこで買われたものなのか、当初の瓦はどれほど残っていたのか?・・・等々、ぜひ、美術(史)的な濃い視点をもった仕事をしてほしいと切に願う。

◆写真上:南側の庭から眺めた、中2階の大きな窓が目立つ島津一郎アトリエ。
◆写真中上上左は、ベランダ(テラス)に面した引き戸のデザイン。上右は、応接室のドアと花の鉈彫りのような浮彫り。は、応接室のユニークな天井()と大きな暖炉()。
◆写真中下上左は、応接室のフローリングで左側の切りこみが掘りごたつ。上右は、応接室のドアに取りつけられた巨大な蝶番。は、ベランダに設置されている照明()と玄関の小窓()。は、中2階から書斎へと下りられる階段()と中2階天井の照明()。
◆写真下は、アトリエから眺めた中2階の窓。は、中2階から見たアトリエ側の窓()と南側の窓から眺めた庭()。下左は、庭から眺めたアトリエ外観。下右は、島津一郎の彫刻アトリエ。


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hanamura

「扉」その先が別の世界(あたりまえですが)
by hanamura (2011-11-19 09:18) 

ChinchikoPapa

コテコテのガトー・バルビエリはけっこう持っているのですが、カーラとの共演盤『Escalator Over The Hill』は未入手です。これは“買い”ですね。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2011-11-19 10:47) 

ChinchikoPapa

わたしも冬はドライアイになりがちですので、加湿器が欲しいですね。nice!をありがとうございました。>sugoimonoさん
by ChinchikoPapa (2011-11-19 10:50) 

ChinchikoPapa

hanamuraさん、コメントとnice!をありがとうございます。
古い大きなお屋敷にお邪魔しますと、部屋ごとにいろいろな意匠がほどこされていて、扉を開けるのが楽しみです。w
by ChinchikoPapa (2011-11-19 10:52) 

ChinchikoPapa

原宿はギャラリーや刀剣店や、JAZZ倶楽部もあるのですが、あまり散歩に出かけない街になってしまいました。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2011-11-19 10:57) 

ChinchikoPapa

コーヒー色の写真のせいでしょうか、古い古い『I’ll Be Seeing You』というスタンダードナンバーを想い出してしまいました。nice!をありがとうございました。>nikiさん
by ChinchikoPapa (2011-11-19 11:02) 

ChinchikoPapa

中央区役所へ行くと、新宿区役所に比べて「なんでこんなに空いてるんだ?」と思うことがあります。中央区役所で待たされた記憶がないんですね。旧区ごとの資料類が充実しているのも、この区役所のいいところでしょうか。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2011-11-19 11:06) 

opas10

建具の意匠が素晴らしいですね。職人の匠の技が至るところに光っている、すごい建物です!
by opas10 (2011-11-19 11:40) 

ChinchikoPapa

opas10さん、コメントとnice!をありがとうございます。
こんなケタ外れに豪華で巨大なアトリエを、わたしは初めて目にしました。おそらく過去、落合地域に建てられたアトリエ建築では突出した大きさと豪華さですね。画室自体の空間は、佐伯アトリエや彝アトリエのゆうに6倍以上はあるでしょうか。
わたしも、建物全体よりは内部の見事な装飾にばかり見とれてしまい、アトリエ全体の撮影をすっかり忘れています。もっとも、28mmレンズの付いたカメラでも収まりきれない大きさなのですが・・・。今度おうかがいしたときに、もう一度撮影をお願いしてみます。^^;
by ChinchikoPapa (2011-11-19 13:00) 

ChinchikoPapa

「タヌキが化けてたら無償でお取り替えいたします。落合印の茶釜」・・・というのもあります。w nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2011-11-19 13:03) 

ChinchikoPapa

米国にストレート勝ちするとは、想像もしてませんでしたね。
nice!をありがとうございました。>幸せ家族さん
by ChinchikoPapa (2011-11-19 14:03) 

ChinchikoPapa

きょうは雨で風が少しあったせいか、窓を伝わる水滴がきいでした。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2011-11-19 19:44) 

しいなまちお・K

すみません。宣伝です!
今日から、「池袋モンパルナス展」が、豊島区ではなく、
なんと!板橋区立美術館で開催(1月9日まで)。
http://www.itabashiartmuseum.jp/art/schedule/now.html
以前には、練馬区立美術館で行われたこともあるそうです。
本家・千早のアトリエ村資料室(廃校利用)では、規模は違いますが
「アトリエ村の漫画家たち展」が、やはり今日からスタートしました。
12月11日までですが、土・日曜限定、
しかも午後1~5時の8日間のみですのでよろしくお願いします。
by しいなまちお・K (2011-11-19 23:15) 

ChinchikoPapa

しいなまちお・Kさん、情報をありがとうございます。
板橋美術館は、落合地域や長崎地域にゆかりのある画家のいい作品を所蔵していて、うらやましいですね。佐伯祐三や林武などの「下落合風景」も、何点か収蔵されていたと思います。学芸員の中に、きっと両地域の画家たちに興味のある方が、過去におられたんだと思います。
長崎のアトリエ村資料室(現・元校舎)が、そろそろ新しい建物に建て替えられるとうかがったのですが、2012年度でしょうか。新宿区には、美術(史)的な観点から、きちんと系統だって資料や作品を収集・展示する専門の施設がありませんので、この際、落合地域もカバーしてくれるとありがたいですね。アトリエ資料館や計画中の美術館が、より充実した施設になるのを、楽しみにしています。
by ChinchikoPapa (2011-11-20 00:11) 

ChinchikoPapa

戸塚町上戸塚の南側が大久保百人町になってしまったのは、「戸塚(十塚)」という昔ながらの地名が廃棄され、場ちがいな「高田馬場」の丁目表示になってしまっていたから、それほど「戸塚」側に抵抗感がなかったせいもあるのかもしれませんね。nice!をありがとうございました。>ものたがひさん
by ChinchikoPapa (2011-11-20 00:15) 

しいなまちお・K

現在のアトリエ村資料室は3月で閉鎖になり、新しい施設は2014年に完成予定ですが、その2階部分にミュージアムができるのは、さらに翌2015年とお聞きしています。
私も、資料・作品の収集・管理・展示など、おおいに期待しています。
by しいなまちお・K (2011-11-20 11:09) 

ものたがひ

現在の「高田馬場」という町の丁目は、鉄道と幹線道路による分断に基づく区画なんですね。現・百人町4丁目は、そこから、はみだしてしまった旧・戸塚町なのでした。米子さんの1963年の方の文章が、もしも書かれていなかったら、佐伯の住んだ所が旧・諏訪町の方であった可能性も、等分に仮定しなければいけないところでした。
ところで、諏訪町というのは、かつては大字戸塚の一部の小字かと思っていましたら、江戸時代の絵図に、戸塚村、大久保村と並んで、諏訪村の名が記されているものを見かけました。面積的に小さいながらも、諏訪神社の存在感から一個の村と認識されていた時期もあったのでしょうか。ちょっと別件の?が生まれました。
by ものたがひ (2011-11-20 12:50) 

ChinchikoPapa

しいなまちお・Kさん、重ねてコメントをありがとうございます。
3年後ですね。アトリエ資料室は、ミュージアム付属の強力な「美術データベース」になりそうで楽しみです。4年後の美術館も待ち遠しいですね。椎名町・長崎地域を中心に豊島区で作成された美術マップに、ちゃんと落合地域も含めていただいてたのが、いまだ強く印象に残っています。
ついでに「作品の収集」のテーマで、“近所のオジサン”こと高野区長にお会いする機会などありましたら、目白通り界隈の佐伯祐三『下落合風景』などいかがでしょう?・・・と打診してみてください。^^;
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-03-16
豊島区立近代美術館へうかがえば、佐伯最後の『下落合風景』(1927年6月)が観られるというのは、大きなアピールのひとつになるかと思います。ww
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2011-11-06
by ChinchikoPapa (2011-11-20 12:51) 

ChinchikoPapa

ものたがひさん、コメントをありがとうございます。
わたしも、戸塚村大字諏訪だと思いこんでいたのですが、ご指摘のように江戸期の絵図をたどってみると、1806年(文化3)に「諏訪谷村絵図」というのが現存してますね。戸塚村自体も、落合村と同様に「上」「下」で各村が分かれていた、あるいは村の中に「馬場下町」のような町が、長崎村の椎名町や大久保村の百人町と同様に存在していたことがわかります。
このあたり、江戸時代とひと口に言っても、270年間もつづいたわけですから、いろいろな行政区分ができては消え、できては消えを繰り返していたのかもしれませんね。
by ChinchikoPapa (2011-11-20 13:04) 

kako

ああ…、なんて素敵な建物でしょう。こんなおうちに住むことが子供のころの夢だったのですが、夢は夢なので、安マンションに古道具屋で見つけた家具を置いて自分を慰めています。とほほ…。
お邪魔させていただいたおかげで、「池袋モンパルナス展」の情報も知ることができました。(美術館のチェックまで、なかなかできなくて…)
板橋美術館は、とてもチャーミングな美術館ですよね。
by kako (2011-11-21 01:01) 

ChinchikoPapa

秋ナスとフォアグラのブレッセ、赤ワインのためにあるような料理ですね。ボジョレーによく合いそうです。nice!をありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2011-11-21 10:13) 

ChinchikoPapa

「兜」はもちろん後世の和語ですが、人体の一部を地名に付与することの多いケースを見るにつけ、それ以前の音に似た漢字を当てはめたようにも感じます。ますます、「kap-tor(カプトラ)」=しなびた(老婆の)乳房のように思えてきました。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2011-11-21 10:28) 

ChinchikoPapa

kakoさん、コメントをありがとうございます。
こんな豪華な建築に、わたしも一度は住んでみたいですね。ただ、維持管理がたいへんでしょうが・・・。そういう側面からしましても、建築当初の姿をほとんどそのままに、たいせつに保存されてきた所有者の方に頭が下がります。
このサイトでは、いつも大正時代から昭和初期にかけての画家たちの軌跡をご紹介していますが、もう少しあと、1935年前後になりますとお隣りの長崎町各地にできたアトリエ村へも、画家たちが参集してきます。そちらにも、膨大な物語が眠っていると思うと、ワクワクしますね。w
板橋美術館は、図録や資料を拝見するばかりで、わたしはまだ一度も出かけたことがないんですよ。^^;
by ChinchikoPapa (2011-11-21 10:38) 

ChinchikoPapa

わたしはどちらかというと「海派」なのですが、よく山にも登りました。美しい写真を拝見していると、また出かけたくなりますね。nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2011-11-21 14:06) 

sig

こんばんは。
文化財も結構なことですが、ぜひこのままコーヒーハウスにしてもらって頂けませんか。笑
by sig (2011-11-21 17:19) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
はははは。(^○^ わたしも天井の高いアトリエに、ブランコのあるコーヒーショップにでもしていただけたら、もう毎週通ってしまいそうです。w
by ChinchikoPapa (2011-11-21 17:51) 

ChinchikoPapa

葛飾の嶋俣の「トラ」さんと「サクラ」さんは、新聞でもニュースになりましたね。w nice!をありがとうございました。>マチャさん
by ChinchikoPapa (2011-11-21 18:27) 

ChinchikoPapa

本日、島津一郎アトリエの所有者の方から、ごていねいに連絡をいただきました。また近々、おうかがいする約束をさせていただきましたので、今度はちゃんと広々としたアトリエ内部の写真を撮影させていただこうと思います。ご報告まで。
by ChinchikoPapa (2011-11-21 18:30) 

kako

ブランコのあるコーヒーショップに1票!
なんて、人様のお宅にスミマセン。
by kako (2011-11-22 00:25) 

ChinchikoPapa

kakoさん、コメントをありがとうございます。
でも、アトリエをコーヒーショップにするというのは、目に浮かぶほどリアリティがありますねえ。w 流れる音楽も、絞られるとか。^^
by ChinchikoPapa (2011-11-22 01:05) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2011-11-22 10:38) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2011-11-23 16:03) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>画象さん
by ChinchikoPapa (2011-11-23 16:06) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2011-11-23 23:51) 

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