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事故が頻発していた陸軍科学研究所。 [気になるエトセトラ]

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 落合や戸塚はもちろん、百人町や柏木の住民も知らなかったことだが、戸山ヶ原の陸軍科学研究所ではさまざまな事故が起きていた。各種火薬や毒ガス、毒性の強い化学物質、細菌、微生物などを扱う危なくてしょうがない施設なのだが、研究内容は軍の機密や極秘扱いなので、当然ながら周辺の住民は中でなにが行われているのか知るよしもなかった。
 陸軍科学研究所Click!に勤務し、敗戦間際には第9研究所(旧・登戸出張所)の中枢にいた伴繁雄は、2010年(平成22)に出版された『陸軍登戸研究所の真実』(芙蓉書房出版)で、戸山ヶ原時代の同研究所について次のように証言している。
  
 秘密戦資材、兵器の研究開発は爆発物のほか劇薬、毒物を取り扱うことが多く、危険、有害な研究に携わるものには、規則により化学兵器手当などが支給されていた。しかし、実験中などの事故がたびたび起きた。私の同僚にもこうした犠牲者がでたことを今も忘れることができない。
  
 陸軍科学研究所は、戸山ヶ原の百人町側にある正門から入ると陸軍技術本部の敷地を通り、もうひとつ設置された敷地内の門を通過しないと入れない厳重な構造になっていた。所員の出入りはこの1箇所であり、戸塚側の住民や子どもたちが入りこむ北側は、大正期には土塁が築かれて視界を遮蔽し、衛兵か憲兵の建物らしい詰所が設けられていた。昭和期に入ると、北側は近接禁止の低い柵と、3mほどはありそうな金網を張った鉄柵が設置され、鉄柵には電流が流れていたのかもしれない。
 同研究所で植物謀略兵器を研究していた、東京農業大学出身の所員の話を聞いてみよう。ちなみに、植物謀略とは植物や農作物、果樹などを死滅させるために細菌やウィルス、破壊菌など感染力の強い微生物をバラまいて、収穫に壊滅的なダメージを与える兵器のことだ。1938年(昭和13)に、陸軍科学研究所の植物謀略創設期に入所した松川仁という人物の証言だ。
  
 そんな時、陸軍技術本部で写真の技師をしていた知人から、科学研究所に勤めないか、という誘いがあった。たいして前後のことも考えず応募したのは昭和十三年も押し詰まった頃だったと思う。/陸軍科学研究所は戸山ヶ原の大久保寄りの一角に位置し、門は技術本部から入って右側にあった。(植物謀略兵器の研究)部屋は一室だけで、東大農学部植物病理学研究室の小川隆助手が嘱託として週二度出勤するほかは、毎日出勤するのは私だけだった。(カッコ内引用者註)
  
 これは、対植物に対する謀略兵器だが、対人間に対する毒物や病原菌などの謀略兵器が、大正後期から盛んに研究されていたことは広く知られている事実だ。同研究所に設置された各種プラントの煙突先端に、奇妙なかたちの濾過装置(特殊フィルター)が取りつけられていたのを見ても、周辺の住民へ健康被害を及ぼしかねない毒性の強い物質が取り扱われていたことを示唆している。
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 同研究所で研究開発が行われていた毒物(1941年より組織改編にともない戸山ヶ原から陸軍技術本部第9研究所=通称・登戸研究所へ移管)、すなわち研究分類としては「毒物鑑識」→「毒物の種類及鑑識」→「消化器障碍毒物」→「遅効性経口用」として、今日もっとも有名なものにアセトンシアンヒドリン(青酸ニトリール)がある。伴繁雄の同書から、再び引用してみよう。
  
 新製品は、青酸と溶剤のアセトンを主原料とし炭酸カリを加えたもので、この青酸化合物を登戸研究所では、アセトン・シアン・ヒドリン(青酸ニトリール)と呼んでいた。(中略) 無色、無味、無臭といってよく、青酸カリに比べ安定している特長があった。青酸カリが固体なのに対し、水にもアルコールにもよく溶けて飲食物に混合しやすい液体である。そのままでは青酸が揮発するため氷で冷却する必要があるが、注射用のアンプルに封入すれば保存と運搬が容易、という謀略毒物として優れた性質を備えるものだった。胃液の中で青酸が遊離して青酸ガスを発生させ、中枢神経を刺激しマヒが起こる青酸中毒死であるのは青酸カリと同様である。
  
 1941年(昭和16)6~7月に、アセトンシアンヒドリンの人体実験が中国の南京で、中国人の捕虜などを対象に行われている。陸軍科学研究所と関東軍防疫給水部(731部隊)との合同実験で、後者は細菌戦研究のほか青酸化合物の研究も行っていたのがわかる。
 また、長野県へ疎開した同研究所から敗戦直後、アセトンシアンヒドリンのアンプル200本が行方不明になっている。陸軍の士官が「自決用に」と持っていったきり、膨大な量のアセトンシアンヒドリンがいまだに行方不明のままだ。
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アセトンシアンヒドリンの化学式(分子構造).jpg 陸軍科学研究所1940.jpg
 このような劇薬や毒物、爆発物を扱う研究であれば事故はつきもので、伴繁雄自身も公開実験中の事故で全治6ヶ月の重傷を負っている。秘密兵器の研究開発のため、研究室相互の交流が希薄なためかお互いに事故情報の共有がなく、どのような事故や被害が生じていたかの詳細は不明だ。したがって、個人的な証言から判明している事故はほんの一部とみられ、伴繁雄の記録もすべて自身がかかわった実験中の事故のみとなっている。
 伴繁雄が大火傷を負ったのは陸軍科学研究所の北西側、戸山ヶ原の練兵場で昭和天皇に見せる実験会場においてだった。1930年(昭和5)10月に行われた「天覧実験」の様子を、伴繁雄の同書から引用してみよう。
  
 (前略)終わりに科学研究所から、試作したばかりの時限式焼夷筒を私が実演することになった。/ところが、若さのあまり緊張したためか、実演の開始直前誤って点火液を右手にかけ大やけどをしてしまった。痛みをこらえて時限点火を行い、直立不動のまま約三分後の発火を待った。焼夷筒は見事に発火燃焼し、三メートルの火炎が上がり実演は大成功に終わった。(中略) 医務室に行ったが、軍医が帰室していなかったため応急の手当で、軍医の治療はさらに一時間半あとになった。このやけどは化膿し、回復までに半年あまりもかかるものであった。
  
 伴はケガで済んだケースだが、彼が記憶している目撃証言だけで3名の同僚が死亡している。他の研究室を含めれば、危険な研究開発では膨大な死傷者が出ていると思われるのだが、すべてが極秘事項だったせいか詳細な統計記録は現存していない。同研究所の敷地内に、殉職者を奉った社(やしろ)が建立されているのを見ても、事故死した研究員の多さがうかがわれるのだ。
風船爆弾尋問調書1.jpg 風船爆弾尋問調書2.jpg
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 伴繁雄は火薬やマグネシウム、焼夷剤など爆発や燃焼の研究領域なので、毒ガスや細菌、毒物などは扱っていなかったようだが、戸山ヶ原の陸軍科学研究所には当然、それらの研究施設も設置されていた。大正期に頻発した大久保射撃場Click!からの流弾被害Click!に加え、研究所からの排煙・排気などで漏れ出た物質により、百人町や上戸塚界隈で原因不明の病気や症状に悩まされた方々の証言は、どこかに残っていないだろうか?

◆写真上:戸山ヶ原に建設された、陸軍科学研究所の中枢部があったあたりの現状。
◆写真中上は、1941年(昭和16)に西側から東向きに斜めフカンで撮影された戸山ヶ原(百人町)の陸軍科学研究所/陸軍技術本部。北側の練兵場には、防諜用に視界遮蔽の植林が行われたのか森が形成されており、奥に見える山手線東側のドームが大久保射撃場。は、あちこちに残る科学研究所のものとみられる土塁跡や残骸。
◆写真中下は、関東軍防疫給水部(731部隊)の元・隊員に対するGHQ尋問調書の現物。下左は、アセトンシアンヒドリン(青酸ニトリール)の化学式(分子構造)。下右は、1940年(昭和15)に1/10,000地形図に描写された陸軍科学研究所/陸軍技術本部。翌年から同エリアは防諜のため、すべて「白地図」化されてなにも描かれなくなる。
◆写真下は、1944年(昭和19)10月から第9研究所(登戸研究所)で開発された「風船爆弾」に関する元・所員へのGHQ尋問調書の現物。は、1941年(昭和16)に撮影された神奈川県橘樹郡生田村の登戸出張所(のち陸軍技術本部第9研究所)。


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読んだ! 32

コメント 37

ChinchikoPapa

久しぶりに、ペコちゃん人形を見ました。w
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 12:49) 

ChinchikoPapa

関西から東京まで、ノートPCに負荷の高い仕事をさせてバッテリー切れぎりぎりでしたので、コンセントのある新幹線車両はうれしいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 12:54) 

ChinchikoPapa

長い時代をへたイナウ(御幣)の発展形だと思うのですが、地域によって多様な切り紙仕様があって面白いですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 12:57) 

ChinchikoPapa

トガ岬の名称は面白いですね。ト゜カ(tuka)またはト゜カ(プ)(tukap)は原日本語で「針」や「釣り針」を意味します。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 13:03) 

ChinchikoPapa

時間表記に「頃」が付くのはめずらしいですね。通過時間だから許されるのでしょうが、出航や入港の時間が「00時ごろ」とか「00時あたり」「00時前後」などと書いてあると、几帳面な日本人としては気持ちが悪くなるでしょうか。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 13:07) 

ChinchikoPapa

「びびあん」というニックネームが面白いですね。その昔、ハエのことを「びびあん」と呼んでいた子がいました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 13:10) 

ChinchikoPapa

うちは壁が珪藻土なのですが、足ふきマットは知りませんでした。よく水気を吸いそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 13:12) 

ChinchikoPapa

この冬は暖かいせいか、あちこちで梅が開花していますね。小石川植物園の梅園でも、白梅が咲いてました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 13:17) 

ChinchikoPapa

伯耆大仙の姿が懐かしいです。やっぱり、「ぬりかべ」を実物大で作ると邪魔なんでしょうね。小さそうで安心しました。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 13:20) 

ChinchikoPapa

やはり大磯は東京に比べて、いつも3℃前後気温が高そうですね。こちらは、このところ11~12℃でしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 13:26) 

ChinchikoPapa

オールスターズの『Walking In Space』、いいですね。H.ロウズのflもいいですが、ときおり加わるvoに惹かれます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 17:43) 

ChinchikoPapa

谷中にある和時計の大名時計博物館は、前を何度も通るのですがいまだ入り損ねています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>讃岐人さん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 17:46) 

sig

近くにある極秘とされた戦争遺跡ということもあり、第一級の資料と記事で、毎回興味深く読ませて頂いております。戦後70年ということで新たに分かったこともあるのでしょうか。
by sig (2016-01-07 17:51) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントをありがとうございます。
二重のコメントを、ひとつ削除させていただきました。
かなり、いろいろなことが判明してきているようです。陸軍科学研究所の内情につきましては、当時勤務していた人々による証言が集まり、全体像がとらえられるようになっていますが、その研究成果ともいうべき「兵器」類の情報は、いまだ不明な点が多いですね。
米国公文書館では情報公開が進んではいますが、その中には日本軍の「特殊兵器」について、公開時期を延期されている文書がいくつか存在してますので、その中には細菌兵器や毒ガス・毒物兵器などが含まれているんじゃないかと思います。
成果物について不明点が多いのは、おそらく成果物がすべて米国へ持ち去られているせいでしょうが、この記事にも書きました青酸化合物については、国内で行方不明になっていることもあり、その追跡調査・取材はいまも行われています。
特に、この毒物については、落合地域とも非常に濃い関係性が浮かび上がってきそうですので、このあとの記事に書きたいと思っています。
by ChinchikoPapa (2016-01-07 19:08) 

ChinchikoPapa

甘みが強い酒を飲むと、たいがい頭痛がしてくる体質をしています。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2016-01-07 23:21) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>剛力ラブさん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 10:24) 

ChinchikoPapa

耳が痛いですね。w 検索用キーワードを未入力でOFFにしており、別にSEOを意識しているわけではないですが、わたしの記事は3,000文字平均ぐらいでしょうか。この記事も、3,303字ありました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 10:29) 

ChinchikoPapa

ほとんど観た作品ばかりですが、親の世代の作品も多いですね。『野菊の如き君なりき』とか『わが谷は緑なりき』とか、いまの子にはわかるでしょうか。土本典昭のドキュメンタリーが1本入ってますが、小津作品を複数入れるのだったらもう少し記録映画を増やしたほうがいいようにも思います。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ハマコウさん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 10:35) 

ChinchikoPapa

セキュリティ対策は、従来の「常識」が通用しなくなっていますので、悩ましい状況がつづいてますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>Ujiki.oOさん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 10:38) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>コミックンさん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 10:39) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>モグラたたきさん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 13:35) 

ChinchikoPapa

ネコはよく、身体を動かしながら寝言をいいますね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>shingekiさん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 13:38) 

ChinchikoPapa

どこのネコも、冷蔵庫の上から調理の様子を見るのが大好きですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dougakunenさん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 13:43) 

ChinchikoPapa

ご訪問と、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>mentaikoさん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 14:36) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>宝生富貴さん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 19:48) 

ChinchikoPapa

お正月は、ほんのわずかな“息抜き”のひとときですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2016-01-08 19:51) 

kei

登戸の航空写真、ありがとうございます! なるほど、全容はこんな感じだったのですね。一度行かなければと思いつつ、いまだ果たせておりません。現物はほとんど取り壊されてしまっているのでしょうね。
そしてサンダース・メモ。よく見れば通訳亀井寛一郎と書いてありますね(笑)。完全に見落としていました。
このあとに取り調べを行った、トンプソンさんの死も気になるところです。(謎多すぎ!)
by kei (2016-01-09 06:06) 

ChinchikoPapa

寿司屋にしろ蒲焼屋にしろ、主が客に対して無礼な口をきく店はカンベンならない性(たち)ですね。京都でその手合いの、愚にもつかない漬物屋(名店ということになっているそうですが商売のイロハも知らない迷店です)で一度キレて、思わず「バカヤロー」といってしまった前科があります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2016-01-09 11:34) 

ChinchikoPapa

keiさん、コメントをありがとうございます。
掲載している第9研究所の空中写真は1941年現在で、いまだ南側だけに建物が密集していますが、敗戦直後の写真を見ますと、北側にある実験場のスペースまでびっしり建物が建っています。おそらく、この丘全体に研究施設が拡げられていたんでしょうね。
ということは、戦時中に戸山ヶ原の本部から、次々と研究部門や施設が移転・移設されていたと思われます。それは、空襲が予想される時期になると加速し、やがては生田も安全ではなくなり長野へと疎開しているんでしょうね。
亀井寛一郎は、731部隊の戦犯免責の渦中にいたひとりで、元・大政翼賛会の代議士ですよね。
by ChinchikoPapa (2016-01-09 11:52) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>剣心さん
by ChinchikoPapa (2016-01-09 20:34) 

ChinchikoPapa

東南海地震が30年以内に70%と予測されている中、御前崎のすぐ北西にある浜岡原発を、中部電力はマジに再稼働させようとしてるんですかね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2016-01-09 20:42) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2016-01-11 21:12) 

suzuran6

その歴史の上に国立感染症研究所があるんですよね。
最初から平和利用であれば・・・
by suzuran6 (2016-01-18 16:40) 

ChinchikoPapa

suzuran6さん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
陸軍第一衛戍病院も、いまはそのまま国立国際医療センターとなっていますので、けっこう施設の研究領域や業務は引き継がれているケースが多いですね。
by ChinchikoPapa (2016-01-18 17:57) 

ChinchikoPapa

子どもには、うんと外で遊ばせたいですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんちゃんさん
by ChinchikoPapa (2016-01-18 20:49) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2016-01-20 11:37) 

ChinchikoPapa

M.ルグランによる『シェルブールの雨傘』のテーマは、ストリングスで何度聴いてもいいとは思えなかったのですが、のちに彼がピアノ独奏で演奏しているアルバムを聴いて、「ああ」と納得した憶えがあります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>lequicheさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 17:10) 

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