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X線の向こうに見える風景は? [気になる下落合]

 
 よく古刹の仏像修理などの際、X線検査をして体内の撮影をすることがある。薬師如来が不養生でどこか悪いところはないか?・・・なんてことじゃなくて、体内になにかが奉納されてないかどうかを調査するためだ。この“診断”によって、体内秘仏や仏舎利、経典と思われる巻物などが多く見つかっている。いにしえの仏教彫刻などで、X線調査が行われるのはわかるが、近代の洋画作品でこれが繁く行われているのは、佐伯祐三の作品が目につく。
 佐伯作品は、独自の自作キャンバスのせいか、またはワニスの厚塗りのせいか、ひび割れや絵の具の浮き上がり、剥落が起きやすいといわれている。だから、修復をする機会が多いせいかもしれない。あるいは既存の作品の上に、重ねて新しい絵を描いてしまう彼の性癖から、絵の下にはどのような作品が隠されているのか調べてみたくなるからだろうか。里見勝蔵は1928年(昭和3)の『みづゑ』10月号(佐伯追悼号)で、こんなことを書いている。
  
 描き出せば一日に七枚も出来た。実にすばらしい自画像を作つたと思ふとその翌日は、それの上に風景を描いてしまつた。いゝ風景が出来て、又次の風景に飛び出す時も、更らに二枚も画布を持ち出す時さえあつた。 (里見勝蔵「親愛なる佐伯」より)
  
 1997年に創形美術学校修復研究所(西池袋)では、新たに発見された佐伯作品の修復とともに、X線調査が行われている。「修復研究所報告Vol.13」に掲載された、それらのX線写真をまとめて入手することができた。
 中でも興味深いのは、やはり下落合の風景を描いた作品だ。この作品は、1923年(大正12)の『目白自宅附近』Click!で、第1次渡仏前に描かれたものだ。だから、一連の『下落合風景』Click!シリーズとは異なり、早い時期の単発作品のひとつだ。まったく同時期の作品に、以前ご紹介した東京芸術大学所蔵の『自画像』Click!があり、X線調査ではまったく同じ布目のキャンバスが使われていることが判明した。そして、この2作品の下には、もうひとつ別の作品が隠れていたのだ。
 
 
 X線写真の現物(上掲写真/上段)を、さっそく見てみよう。左は、『目白自宅附近』の全体X写真。画面のまん中を横切るように、現作品には見られない何らかのかたちが浮かび上がっている。右は、画面下の部分写真だ。なにやらシャモジの柄のようなかたちが、はっきりと見えている。
 また、修復前の作品に真横から光を当てた測光写真(上掲写真/下段)で、絵の具の盛り上がり表現効果(マチエール)を確認すると、雑木林の風景とはまるで一致しない凸凹面があるのがわかる。
 『目白自宅附近』は、わたしは佐伯アトリエのすぐ前に口を開けた、不動谷Click!の雑木林斜面を描いたものだと考えている。でも、この作品の下に描かれた絵はなんだろうか? X線写真を90度右へ回転させ、画面をタテにしてみると、花瓶あるいはなんらかのボトルを描いた作品(静物画)のようにも見える。X線写真を拡大した画像では、ペインティングナイフで生乾きと思われる絵の具の上を、ガリガリとひっかいたような跡が確認できる。
 
 そして、同年に描かれた自画像(上掲写真)のほうは、絵の下に風景画と思われる作品が隠されていることがわかる。時期からして、下落合か河内(大阪)のどちらかの風景である可能性がきわめて高いように思う。1923年(大正12)現在、大阪を描いた風景画は何点か見つかっているが、下落合を描いた絵は先の『目白自宅附近』以外には見たことがないので、ひょっとするとこの隠れた絵も自宅付近を描いたものではないだろうか?
 さらに、『目白自宅附近』と『自画像』とは、まったく同一のキャンバス地(下掲写真)に描かれていることも判明した。布の織り目や成分も一致し、おそらく東京の同じ店で同時期に購入したものだろう。ということは、下落合のアトリエで仕上げられたらしい、『目白自宅附近』の下に隠された静物画(?)とともに、『自画像』の下に眠る風景画も下落合の風景である可能性が高いように思う。
 
 わたしの知る限りだけれど、1926年(大正15)から制作がはじめられた『下落合風景』シリーズが、X線で撮影された記録はないと思う。落合第一小学校の校長室から、新宿歴史博物館へと移管された50号の「テニス」Click!は、修復されるときにX線撮影が行われているのだろうか? 一連の『下落合風景』は、二度めの渡仏費用を捻出する頒布画会用ということで、短期間にすばやく仕上げられているとみられ、絵の下に別の作品が隠れている可能性はほとんどないかもしれない。
 でも・・・と、わたしは想像してしまうのだ。既成の作品を、こともなげに別の作品へと塗りつぶしてしまう佐伯の“野放図”さを考えると、ひょっとしたら第1次渡仏時に描きイマイチ気に入らなかったパリの風景が、いずれかの『下落合風景』の下に眠ってやしないだろうか?

■写真上は、修復後の佐伯祐三『目白自宅附近』(1923年・大正12)。は、そのキャンバス裏面。正確なタイトルは「東京目白自宅附近」だ。「佐伯祐三筆」の筆致もよくわかる。ただし、このキャンバス裏の書き込みは、所有者が書いたという想定も、同「修復研究所報告」でなされている。
■写真中上左上は、『目白自宅附近』のX線写真。右上は、その部分写真。ナイフの跡が生々しい。左下は、修復前の『目白自宅付近』画面。右下は、測光写真による画面の凹凸の様子。
■写真中下は、佐伯祐三『自画像』(1923年・大正12)。は、そのX線写真。画面を横にしてみると、おそらく風景画と思われる別の作品が浮かび上がる。
■写真下は『目白自宅附近』、は『自画像』で、キャンバスの布目は完全に一致する。


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