お嬢様、あたしゃどんど焼きの桜エビが好き! [気になる下落合]
「ばあや、動いてはダメです」
「だ、だってお嬢様、もう1時間以上も、ばあやはジーッとこのままなんでございますよう」
「ほら、こっちを向いてはダメよ。ちゃんと、窓のほうをお向き」
「まるで、どこぞの仏様のように、こうして固まっちまったままなんですから・・・」
「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ、なむ・・・」
「お、お、拝まないでくださいまし! お嬢様、縁起でもない!」
「あら、ごめんあそばせ」
「あたしゃ、まだこのとおり、当分ピンピン生きておりますです!」
「それは残・・・いえ、それは素敵、ばあや」
「あたしゃ妙正寺川で溺れClick!もしなけりゃ、めったに死にゃしません!」
「だって、ばあやが、仏様なんていうからよ」
「おおやだやだ、鶴亀鶴亀・・・」
「・・・そうねえ、仏像でいうと、ばあやはさしずめ興福寺の龍燈鬼Click!というところかしら」
「そのリュートーキてえ仏様は、お嬢様、たいそう柔和で、美しいお顔なんでございましょうねえ?」
「・・・ええ。・・・まあ、その、少し迫力があるのだけれど、どこか、可愛らしくて憎めないのです」
「あれま、お嬢様、ばあやのこと可愛らしいだなんて! やですよう、ヒヒヒ・・・」
「ねえ、ばあや。お願いだから、もぞもぞ動かないでちょうだい」
「ですけど、お嬢様。あたくしそろそろ、ご不浄に行かせていただきませんと」
「・・・がまんなさい、はしたない」
「そ、そんな殺生な、お嬢様!」
「わたくしがせっかく、中村彝先生の『老母の像』のような傑作を描こうとしているのですよ」
「・・・ねえ、お嬢様。どうしっても画家におなりで?」
「ええ、ばあや。わたくし、赤いお屋根の小さなアトリエClick!を、いつかお庭に建てるのですもの。そう、ちょうど上に貼りつけた写真のようなアトリエなのだわ」
「上ってどこです? ・・・ねえ、そいよかお嬢様。あたくし、漏れそうなんでございますよう!」
「まあ、ばあやったら、お品のないこと! ・・・あと5時間ほど、我慢ができないのですか?」
「ごっ、ご冗談でございましょ!? 年寄りは、やたら近いんでございますよう!」
「・・・いま、ちょうど、顔の陰影を描いているところなのです」
「ねえ、お嬢様ってば!」
「・・・シーーーッ」
「もう、『ばあやの像』なんか描いて、お嬢様はいったい、どなたにお見せになるんです?」
「・・・そうねえ、アビラ村の金山先生Click!にしようかしら?」
「あの、毎日踊って芝居して暮らしてるてえ噂の、妙な絵描きの先生ですか?」
「・・・それとも、近くの喫茶店に滞在されている、高名な先生にお見せしようかしら」
「あれまあ、カフェ杏奴のサエキくんClick!ですか?」
「まあ、ばあやは、なんでもご近所のことにお詳しいこと」
「お嬢様、うっかりお近づきになると、ヨネコ奥様にねじ込まれるてえもっぱらの噂でございますよ」
「・・・ばっ、ばあや、これ以上お話しすると、目の前がグルグルまわって、もどしそうです」
「あ、あたしも、しまいにゃお漏らししそう・・・。そ、そいより、もうご不浄ガマンできませんです、お嬢様! いったい、なにをそんなに手間どって、描いてらっしゃるんでございます!?」
「あっ、ばあや、立ってはダメよ!」
「・・・・・・!?」
「まあ、まだ未完成なのに、見てはいけません!」
「ちょっ、ちょいと、なにこれ、お嬢様! どうして、ばあやの顔が真っ青なんです!?」
「あのね、これはね、ばあや、インディゴといって・・・」
「なんで、あたしの顔と鼻、こんなに曲がっちまってるんです!?」
「これはね、ばあや、絵画的にいうと超現実主義という表現の手法なのです」
「こ、これってば、どうしてあたしゃ目がロンパリで、鼻の下にヒゲがあるんでございます!?」
「だからね、ばあや。これは、シュールレアリズムといってね・・・」
「あれまあ、おつむに2本、ツノまで生えてるじゃございませんか!?」
「わたくしが、むき出しのままに感じた、超現実そのものの感触を表現しているのです」
「おやまあ、ばあやのチョ~現実がこれなんでございますか、お嬢様!?」
「だから、ばあや、そうではなくてよ」
「ああっ、あたしゃもうダメ! ちょ、ちょいとチョ~ご不浄へ行ってまいります。あとでじっくりと、おうかがいいたします! よござんすか、お嬢様、どこかへお隠れになっては、なりませんですよ!」
「・・・だから、ばあや、機嫌を直して堪忍しておくれ」
「まあ、あたくしを温泉にお供さしていただけるてえんなら、絵の一件は忘れてもよござんす」
「では、2月にはお父様とお母様ともども、草津へ一緒にまいりましょう。きっと、こんな情景ね」
「・・・?? ・・・どんな? どんな情景なんでございます?」
「ばあやには見えないだろうけれど、わたくしの頭の中で描いた温泉につかるばあやのモチーフです。去年のお正月以来の姿Click!で、すぐにもスケッチしたいぐらいだわ」
「よかぁわかりませんけど、承知いたしました。では絵のことは、キレイさっぱり水に流しますです」
「そうだわ、スキーもしたいわね、ばあや」
「あれまあ、お嬢様、また文化村のスキー場Click!でございますか?」
「わたくし、いつまでも子供ではありません」
「そいえば、文化村のスキー場は、改正道路の下になっちまいそうです」
「いまお話した草津の、できたばかりの大きなゲレンデのことです」
「・・・ばあやは、嫌でございますよ」
「まあ、なぜなのです?」
「だって、この寒(さぶ)いのに、わざわざ雪ん中で遊ぶだなんてえ、考えただけでゾッとしましてす」
「まあ、ばあや、スキーをすれば温かいのよ」
「嫌でございますよ、お嬢様。年寄りには、温泉がいちばんなんでございます。青森五連隊みたいなハメに、あたしゃなりたかありません」
「・・・ばあやなら、きっと、八甲田でも生き残れます」
「なんでございます?」
「いいえ、ばあや、こちらのことです」
「でも、お嬢様、スキー場は料理がマズイとかいう噂でございますよ」
「あら、わたくしそんなお話、初耳です」
「もんじゃ焼きばっかりを、毎日食べさせられるてえ話じゃありませんか」
「も、もんじゃ焼きって、なんなのです、ばあや?」
「いえねえ、お嬢様はご存じないでしょうが、敗戦からこっち下町の駄菓子屋で出してる、メリケン粉を溶かした子供だましのチャチな食いもんでございますよ。あたしゃね、どんど焼き※1のが好き」
「もんじゃ焼きClick!も、どんど焼きというのも、わたくし食べたことがありません」
「そりゃそうでございましょうとも、お嬢様。下落合のお嬢様が、毎日どんど焼きやらもんじゃ焼きを召しあがってた日にゃ、それこそ乃手もおしまいでございます。お話になりゃしません」
「それは、美味しいのですか?」
「とてもとても、お嬢様のお口にゃ、合いそうもありませんです」
「スキー場だと、どうして、そのもんじゃ焼きなのです?」
「さあ、まだ山のほうは、食糧事情が悪いんでございましょうかしらねえ」
「でも、お父様が言ってらしたけれど、お食事はパリ仕込みのシェフが作るフランス料理らしくてよ」
「だってお嬢様、きのうもラジオで、スキー場のもんじゃのことが流れてましてす」
「まあ、それじゃあばあや、フランスのもんじゃ焼きなのかしら・・・?」
「きっと、活きのいいエビでも、入ってるんでございましょうよ」
「・・・どうしてエビなのです、ばあや? フランス料理だからオマールエビ?」
「このところ毎日、ラジオで流れてるんでございますよう」
「なにが?」
「スキー※2の歌がでございます、お嬢様」
「・・・歌?」
「♪山は白銀~ 朝日を浴びて~ってやつです」
「あら、それなら、わたくしもよく知っています。戦時中にできた歌だけれど、流行っていますもの」
「♪毎日もんじゃに~ 身をおどらせて~って、お嬢様、やっぱし具は活きエビだと思いますです」
「・・・・・・」
「あたしゃ、そんな活きエビよりも、どんど焼きは桜エビのが好き! そうだわよ、ねえ、お嬢様ってば! これから、日本橋にどんど焼き食べに行きましょうよう」
「・・・ばあや、絵のつづきをやるから、さっさとおいで」
「あれ、お嬢様。ま、まだ懲りずに、描くんでございますか?」
「急にまた、描きたくなったのです。顔色、今度は真っ赤にしてあげる」
「あれまあ、ばあやがさっき、せっかく水に流して差し上げたのに、お嬢様、またそんな・・・」
「ご不浄の水にでも、流れておしまいになればいいのだわ」
「そいじゃ、モデルの前にちょいとご不浄へ。・・・♪お~おお~この身も、冷えるよ冷える~」
※1:「どんど焼き」:東京の下町方言でお好み焼きのこと。
※2:「スキー」は作詞・時雨音羽、作曲・平井康三郎で1942年(昭和17)に作られた。
浅草つながりで、懐かしい記事にnice!をありがとうございました。^^
>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2009-03-12 12:09)