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中村彝生誕130年記念のパーティー。 [気になる下落合]

中村彝とカルピス.JPG
 2,000件めを記念する物語記事は、いまの下落合の出来事から……。
  
 7月3日の月曜日、下落合の中村彝Click!アトリエには生誕130年記念を祝う人たちが参集した。のべ200名ぐらいの方々が、アトリエに集っただろうか。こちらでも何度か書いているけれど、当時の郊外に住んだ画家たちは落合も長崎も高田(目白)も池袋も、郡町村の境界に関係なく往来して居住している。それら画家たちの物語や軌跡を描くのに、現在の新宿区も豊島区も関係がない。わたしが、このお話をうかがったとき、真っ先に考えたのがそのことだった。
 最初に中村彝生誕130年記念会(パーティー)のお話をうかがったのは、元・新宿区議の根本様Click!からだった。さっそく、彝アトリエで開かれた打ち合わせに出かけると、前・新宿区議会議長の深沢様と元・NHKプロデューサーの葉方様がみえ、記念会のコンセプトと催しの内容の打ち合わせがはじまった。わたしの頭の中には、2つのことしかなかった。ひとつは、上述のように落合地域に居住し往来した画家たちに、「新宿区も豊島区もない」ということ。つまり、この催しに豊島区の高野区長もお呼びしよう……という企画だ。
 豊島区では毎年、「池袋モンパルナス」Click!の「まちかど回遊美術館」で街歩きをする際、いつも下落合に現存している中村彝アトリエと佐伯祐三Click!アトリエを見学ポイントとして含めてくれている。だから、今度はこのような催しには、豊島区側にもぜひ声をおかけしたいという思いがあった。高野区長であれば、文化・芸術に関することなら必ず注目してくれるだろうし、気さくに「近所のオジサン
Click!のノリwで彝アトリエまできてくれるだろうという感触もあった。高野区長とは目白美術館の刑部人展Click!以来で、同区の文化事業に深くかかわる小林様ともども、ちょっとお話したいこともできたのだ。
 わたしの頭の中にあったもうひとつのテーマは、こういう催しで一度はあつかってみたかった中村彝と「カルピス」Click!の関係だ。中村彝は、1920年(大正9)4月ごろからカルピスを飲みはじめ、おそらく死去するまですっかりカルピスが病みつきになっている。きっかけは、彝が手紙に書く「中村パン屋のオヤヂ」こと新宿中村屋Click!相馬愛蔵Click!が、病中見舞いに前年(1919年)に発売されたばかりのカルピスを、下落合のアトリエへとどけたことからはじまる。当時のカルピスは、滋養強壮や健康保全を効用にして売られていた飲料だった。以来、友人の証言によれば、多いときは1日1本を空けてしまうほど、彝はカルピスフリークになってしまったらしい。カルピスは作品のモチーフとしても登場し、アトリエ東側の壁
には1923年(大正12)に制作された『カルピスの包み紙のある静物』(レプリカ)も架かっている。
 当時のカルピスは、今日のようにカルピスウォーターとかカルピスソーダなど、あらかじめ水やソーダで割ったものではなく原液のままだ。わたしが子どものころまで、カルピスといえば原液のままだったが、最近は希釈しないですぐに飲める製品のほうが主流になっている。そこで、『カルピスの包み紙のある静物』の横に、中村彝とカルピスに関する新しいパネルを用意することと、カルピス本社の広報室に連絡してご協力をお願いするのがわたしのマターとなった。同社の広報室ではすぐに快諾いただけ、カルピスウォーター150本ぶんをお送りいただけることになった。
彝アトリエ準備1.JPG
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中村彝のカルピス好き.jpg
 当日は33℃を超える猛暑となったので、新宿中村屋さんが用意してくれたコーヒーや、カルピスウォーターが熱中症予防の水分補給には役に立ったのではないだろうか。ただし有志が集まり、そもそも予算ゼロで手弁当の催しのため、カルピスウォーターが常温のままだったのがちょっと残念な点だ。彝アトリエのスタッフのみなさんが、小さな冷蔵庫に入れて冷やしてくれてはいたが、もちろん少ない本数だったので間に合わなかった。持ち帰った方々は、おそらく冷蔵庫でよく冷やすか氷を浮かべるかして、中村彝とカルピスの時代に想いをはせながら味わっていただけたのではないかと思う。
 生誕130周年記念パーティーには、吉住新宿区長をはじめ高野豊島区長、新宿中村屋の鈴木社長、彝が新宿中村屋を出た直後に旅行した伊豆大島ゆかりの方、旧・中村彝会の代表で鈴木良三Click!の弟子であり医師で画家の野口様、新宿歴史博物館のみなさんなど、多彩な方々が来られた。そして、吉武東里Click!が設計した島津一郎アトリエClick!を保存されている中村様がおみえなので、さっそく豊島区の高野区長と小林様へ改めてご紹介し、金山平三アトリエClick!が壊されてしまったいま、豊島区側の街歩きにも島津一郎アトリエを加えていただきたい旨をお話した。聞けば小林様は、街歩きのとき同アトリエへすでに立ち寄ったことがおありとのこと。島津一郎アトリエは、アビラ村Click!金山平三Click!刑部人Click!などに関連した美術的な側面にとどまらず、建築のテーマからもきわめて重要な存在だ。
 それともうひとつ、わたしの大収穫は、中村彝の弟子だった清水多嘉示のお嬢様・青山様にお会いできたことだ。洋画家であり彫刻家でもある清水多嘉示は、1923年(大正12)3月に渡欧するまで1917年(大正6)6月28日から中村彝アトリエへ頻繁に通い、写真が趣味だったのか中村彝のスナップ風の日常写真を撮影していること、彝アトリエの周辺で風景を写生しており、その中には「下落合風景」とタイトルされた作品も混じっていること、彝アトリエへ通いながら日記をつけていること、フランスでは佐伯祐三といっしょに撮られた集合写真をお持ちなこと、そして中村彝から清水多嘉示にあてた手紙類を数多くお持ちで、それらの私信類は1926年(大正15)に岩波書店から出版された中村彝『芸術の無限感』Click!には未収録のものばかりなこと……などなどだ。未収録となったのは、もちろん清水多嘉示が1928年(昭和3)まで滞仏中であり、『芸術の無限感』が編纂されたときには日本にいなかったからだ。
彝アトリエ記念会1.JPG
彝アトリエ記念会2.JPG
新宿区吉住区長.jpg 豊島区高野区長.jpg
 特に気になったのが、パリに滞在する清水多嘉示あてに、中村彝はおそらくモチーフのひとつに使いたかったのだろう、フランス製のタペストリーを早く送るよう督促する手紙を、1923年(大正12)に銀座伊東屋の原稿用紙に書いて送っている。壁掛けのタペストリーですぐに想い浮かぶのが、彝アトリエの西側ドアClick!に描かれていたとみられる、なんらかの幾何学模様のようなデザインだ。1924年12月24日に中村彝が死去した直後、翌1925年(大正14)の2月までドアの模様は視認できるが、その後はまったく確認できないなんらかのペインティングと思われる図柄だ。1929年(昭和4)に、彝アトリエが鈴木誠アトリエClick!になってからは、当該のドアは早い時期に外され別の用途に使われたものか、あるいは上部をガラス付きのドアに改造され、塗り直されて居間用のドアに流用されてしまったものか、いっさいが不明のままだ。
 中村彝が、清水多嘉示あてにタペストリーを送るよう書いているのは1923年(大正12)の手紙なので、その後フランスから送られたのかどうかは不明だが、壁ないしはドアにフランス製のタペストリーを架け、静物画か人物画
の背景にしようとしていた可能性がある。しかも、それは彝の最晩年のことであり、ドアの幾何学模様の織物のような、まるで壁掛けのようなデザインとなんらかの関係がありそうな予感が強くしている。清水多嘉示に関するテーマと、彝が愛飲していた当時のカルピスについては、また機会があれば改めてご紹介したい。
「タピ」=タペストリーを送れという彝の手紙は、1通が『芸術の無限感』の1923年(大正12)秋の書簡として収録されていることに気づいた。詳細については、改めて記事にしたい。
 さて、中村彝生誕130年記念会のパーティーでは、アトリエ内部に鈴木良三Click!をはじめ画家たちの作品(実物)が展示され、昼すぎからは箏とギターの演奏会や、中村彝をめぐる新宿歴史博物館のレクチャー、子どもたちの写生会などが開かれたはずだが、わたしはウィークデーなので仕事を途中で放り出してきたこともあり、1時すぎには失礼させていただいた。同記念会には、TVカメラや取材の記者たちも来ていたようなので、どこかで報道されたのかもしれない。
清水多嘉示資料1.JPG
清水多嘉示資料2.JPG
清水多嘉示資料3.JPG
月餅とストラップ.JPG
 今回のような美術的なテーマのもと、画家の記念行事が下落合に現存するアトリエで開かれたのは、わたしの記憶する限り初めてのことだと思うが、今年の7月3日が中村彝の生誕130年なのにつづき、来年2018年4月28日は佐伯祐三の生誕120年記念日だ。全国各地で佐伯祐三にちなんだ展覧会が企画・予定されているのかもしれないけれど、佐伯アトリエを抱える下落合でも、またちょっとなにか催したくなる大盛況の中村彝生誕130年記念パーティーだった。最後に、いろいろご面倒をおかけしました。ありがとうございました。>彝アトリエのスタッフのみなさん

◆写真上:背後に架かる『カルピスの包み紙のある静物』(1923年)と特設パネルの前へ、久しぶりにカルピスウォーターを持って登場した中村センセ。w
◆写真中上は、午前10時30分ごろ記念会準備中の中村彝アトリエ。アトリエ内には、たくさんの作品が展示された。は、「中村彝のカルピス好き」の特設パネルで、制作には豊島区側にお住いの美術家の方にご協力いただいた。
◆写真中下は、午前11時の開会と同時に数多くの人々がアトリエに集まってきた。は、新宿区の吉住区長()と豊島区の高野区長()のあいさつで、これからも新宿区と豊島区の文化行政において交流・協力関係を築いていくことが確認された。
◆写真下:アトリエ内に展示された、めずらしい清水多嘉示の資料類。アトリエの中村彝をとらえた3枚の写真のうち、右下の藤椅子に座る姿はめずらしい1葉。いちばんの写真は、アトリエで配られた新宿中村屋の月餅と、伊豆大島のツバキの実を彩色した鈴つきのストラップ。

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読んだ! 21

コメント 31

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 17:18) 

ChinchikoPapa

早雲山のロープウェイは開業してから4~5年たったころ、小学生低学年のころ乗った記憶がありますけれど、そのあとはロープウェイ禁止で歩き=登山ばかりでした。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 17:25) 

ChinchikoPapa

教会の金色の聖人レリーフが、遠目だと西方からのジェット気流に乗った阿弥陀の來迎図に見えてしまいます。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 17:28) 

ChinchikoPapa

鎌田敏夫がシナリオをリードする、若いころの青春ドラマはほとんど見てないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 17:31) 

根本二郎

ご支援いただきありがとうございました。
おかげさまで成功しました。
暑かったですが、大勢の皆さんが参加され、熱心に、彝について思いをはせていました。
箏とギターの演奏時には、懐かしい昭和の歌声喫茶のような雰囲気も醸し出されました。
子どもたちも一生懸命スケッチをしていました。
彝の研究も進んでくれればと思っています。
どうぞよろしくお願い致します。


by 根本二郎 (2017-07-06 17:34) 

ChinchikoPapa

好きな色合いの『Live in New York』ジャケットは、それだけで買ってしまいそうです。やわらかいシェッブのアルバムですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 17:34) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 17:36) 

ChinchikoPapa

荒川のレンガ工場跡は、わたしも訪れたいと思っているのですが、いまだ機会がなくて出かけられていません。付近の尾久は、1942年のB25による東京初空襲で、初めて爆弾を投下された街であり、またTrick!の舞台でもありますのでw、一度はゆっくり歩いてみたいです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 17:52) 

ChinchikoPapa

まだあちこちに、地震による土砂崩れの跡が残っていますね。東海大の亡くなった学生たちは、実に無念だったでしょう。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 17:54) 

ChinchikoPapa

わたしも、ここの記事の大賀一郎博士にちなみ古代ハスを観にいこうと思っているのですが、7月中旬以降に開花するらしく、まだ蕾のままでちょっと早いようなのです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 17:57) 

根本二郎

私のフェイスブックへ載せたいのですが、よろしくお願いします。
by 根本二郎 (2017-07-06 17:59) 

ChinchikoPapa

「泣く子はいねが」の出だしで、なんとなく宮澤賢治の童話を思い出してしまいました。作者は、岩手ではなく福島の方なんですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>月夜のうずのしゅげさん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 17:59) 

ChinchikoPapa

わざわざ、ご訪問と「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 18:00) 

ChinchikoPapa

根本二郎さん、コメントをありがとうございます。
こちらこそ、平日で仕事があったものですから、最後までいられず途中で失礼してすみませんでした。本当に、お疲れさまでした。猛暑でしたので、かなりお疲れになったのではないかと思います。
箏とギターの演奏では、大正期に流行った歌曲も聞こえてきて、中村彝や鈴木誠がマンドリンで唱和しているような感覚になりました。ちょうど演奏中に、わたしは青山様と清水多嘉示について細かな話をしていましたので、ちゃんと曲を鑑賞できなかったのが心残りです。
青山様には、さっそくお礼のお手紙を出しましたが、彝アトリエの周辺を描いた「下落合風景」を、ぜひご紹介できるといいですね。重ねて、お礼申し上げます。
by ChinchikoPapa (2017-07-06 18:07) 

ChinchikoPapa

いつも、ご訪問と「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 18:08) 

ChinchikoPapa

根本二郎さん、重ねてコメントをありがとうございます。
facebookの件、もちろんかまいません。よろしくお願いいたします。

by ChinchikoPapa (2017-07-06 18:09) 

ChinchikoPapa

九州の北部は集中豪雨の被害がひどいですが、どこかの蔵元に被害がないといいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2017-07-06 22:46) 

ChinchikoPapa

きょうは家の前の道路を、カルガモの親子が5羽ほど1列になって歩いていました。どこにいくのでしょうか、野良ネコに出遭わないといいのですが……。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2017-07-07 11:47) 

ChinchikoPapa

暑い中たいへんですね。わたしも外出する機会が多く、すっかれ日焼けしてしまいました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2017-07-07 14:29) 

古田宙

7月になってもカルガモは子育てなのですね。目白庭園では先月末に雛がうまれて、5月生まれの若鳥と同居してました。しかしご近所では育つのは至難でしょうね。
by 古田宙 (2017-07-08 09:06) 

ChinchikoPapa

古田宙さん、コメントをありがとうございます。
きのう、家の前の道路をカルガモの親子(母親+5匹の子ども)が、ヨチヨチ路側帯を歩きながら薬王院のほうへ歩いていきました。野鳥の森の池へいくのかと思いましたが、クルマやネコが心配でハラハラものですね。
ところが、このカルガモの親子たち、聖母坂を越えて西坂を上りはじめたところで近所の方たちが危ないと気づき、警察へ連絡したものですから戸塚署から警官隊が出動し、無事に全羽を保護して段ボールに入れ、パトカーで御留山の池へ連れもどしたそうてす。
おそらく、このカルガモたちはネコが多く棲みつく御留山に危険を感じて、弁天池あたりからやってきたと思うのですが、また元にもどされた……ということでしょうか。なんとか全羽、無事に育ってほしいものです。
by ChinchikoPapa (2017-07-08 11:24) 

ChinchikoPapa

タカが襲うカワウでしょうか、ネイチャー・ドキュメンタリーを見ているようで迫力がありますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2017-07-08 17:06) 

ChinchikoPapa

今年は夏の暑さが早めにやってきたせいで、塀からのぞくアジサイがカラカラにひからびています。もう少し盛夏が遅いと、長く楽しめたと思うのですが。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>八犬伝さん
by ChinchikoPapa (2017-07-08 17:10) 

ChinchikoPapa

わたしはノートPCを道路に落とし、壊れはしなかったものの調子がイマイチとなり、現在の製品に買い換えました。4年使いましたが、最新のマシンに変えるとカメラと同様に大きく進化しているのがわかりますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2017-07-08 21:33) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2017-07-09 23:58) 

山口道朗

北沢様
7月3日の「中村彜生誕130年記念ガーデンカフェ」についてさまざまな切り口でブログにお書きいただきありがとうございました。「カルピス」件など興味深く読ませていただきました。
突然ですが、私は洋画家・山口長男の息子で、根本氏とは同窓の1年先輩にあたります。かつて根本氏が主催していた「農山村ふれあい市場」を数年にわたり協力しておりました。ご存知かどうかわかりませんが、新宿内藤とうがらしの成田さんとも親しくしていただいており、先月先輩の店・とんかつニイムラで私の友人を含め4人で情報交換及び協力関係の構築を目的とする飲み会を始めたのですが、その席で初めて今回のガーデンカフェの件を知りました。清水多嘉示先生は武蔵野美術大学つながりで、亡父とも親交があった先生です。私が行けなかったため、父の教え子の方から清水多嘉示先生の直近の展覧会DM&パンフレットをいただいたのですが、そこに中村彜に師事とあったことを記憶していたため、根本氏に確認したところまったくご存じなかったことが分かりました。何とかご遺族である青山さんに協力をお願いしたいと思ったところ、DMに旧知の銀座・清澄画廊が協力と書かれており、清澄画廊経由で清水先生のご遺族・青山敏子さんをご紹介いただくことができました。その後、根本氏、青山さんと私の3人で、彜ゆかりの中村屋で初顔合わせをして資料の一部を見せていただいたうえ、武蔵野美術大学からパネル展示用の最終資料を受け取ることになっていたのですが、私の手元に届いたのが前日2日の昼頃になってしまったため、青山さんにまとめていただいた手書き資料をアレンジした「中村彜と清水多嘉示」(A4×4P)と私が簡単にまとめた「中村彜に師事した清水多嘉示」(A4×4P+挟み込みペラ1P)及びパネル展示用資料を徹夜でまとめました。時間の問題もありましたが、たくさん作ってもどうせ捨てられるからということで、来賓その他の方用に10セットのみしかプリントしませんでした。青山さんにも控えとして1セットのみお渡ししていたので、おそらく北沢さんのお手元には届いていないのではないかと思い、長々となりましたが、ブログにコメントする形でご連絡をさせていただきました。
もしご覧いただけるのであれば北沢さんのメールアドレスをお教えいただければ、データをお送りさせていただきますのでよろしくお願いいたします。

また勝手ではありますが、根本氏宛にメールしたイベントに対する私見を添付させていただきたいと思います。
「ガーデンカフェは盛況のうちに無事終了したようで、たいへん結構でした。ややもすれば忘れられがちな物故芸術家を、機会あるごとに想起させるためにもイベントの開催は意義あることだと思っています。

ただし私的な感想を言わせてもらえば、参加者の平均年齢が圧倒的に高かったようなので、今後の運営には難しさが残っているように感じています。
また今後、大学などの協力も得ながら、アトリエを拠点にした中村彜の芸術家としての業績を研究・広報すると同時に、歴史的(美術史的)な意義付けを披瀝していかなければならないだろうと考えます。

今回、中村彜に師事した清水先生のお嬢様である青山さんにもさまざまにご協力いただけたことで、中村彜の画家としての研究の間口を広げるきっかけができたものと考えております。

例えば清水先生が在籍していた武蔵野美術大学美術館・図書館や早稲田大学文学部美術史学研究室などへ協力要請をおこなうなどして、単なる有名人の住んでいた観光施設としてのアトリエではなく、時代を超えて継続運営可能な文化的拠点施設とするべく検討が必要となるだろうと考えています。
要請があればできるだけ協力したいと思っておりますので、ご検討ください。

まずは関係者の皆様のご努力に対して頭を下げるとともに、今後の展開に期待しております」。

以上長々と書かせていただきましたが、今後ともよろしくご教示ください。ご連絡いただければ幸いです。
山口道朗

by 山口道朗 (2017-07-10 16:37) 

ChinchikoPapa

山口道朗さん、はじめまして。ごていねいなコメントをありがとうございます。
山口長男画伯のことにつきましては、こちらでも横手貞美の滞欧記録と佐伯祐三との関係に絡み、何度かここの記事でもお名前を書かせていただいています。そのご子息からコメントをいただけて、たいへんうれしく、また光栄に存じます。
清水多嘉示につきましては、こちらでは佐伯祐三が死去した際、山田新一が日名子実三にデスマスク制作を依頼したのと同時に、佐伯米子が同じアパートに住んでいた清水にもデスマスク制作を依頼している……というエピソードとともにご紹介していました。
でも、わたしは不勉強なことに清水多嘉示が中村彝に師事していた経緯を見逃し、しかも1923年(大正12)の秋にパリの清水にあてた手紙が、『芸術の無限感』に収録されているのもすっかり失念しておりまして、青山様とお話をしているうちに改めて「アッ!」と気づくような情けない状況でした。
『芸術の無限感』を改めて読み直しますと、1919年(大正9)以降に彝の手紙には、少なくとも「清水君」が3ヶ所にわたり登場していますね。いまさらながら、清水多嘉示の下落合での軌跡について、改めて追いかけている始末です。
書かれています「中村彜と清水多嘉示」(A4×4P)、および「中村彜に師事した清水多嘉示」(A4×4P+挟み込みペラ1P)は、いちはやく根本様よりいただき、すでに資料として活用させていただいています。この資料をいただけましたので、青山様とお話ができた……ということになります。ほんとうに、ありがとうございました。昨日、青山様からもご連絡をいただいていますので、近々、「下落合の清水多嘉示」についてまとめてみたいと考えております。
午後から写生会に参加した子どもたちを含めても、確かにおっしゃるとおり平均年齢が高めですね。ただ、当日はウィークデー(月曜)でしたので、仕事を休んでまで来られる方が少なかったのではないかと思います。わたしは、ちゃっかり数時間サボッて参加していましたが…。w ほんとうは、土日などの休日にできればいいのでしょうが、やはり「中村彝アトリエ記念館」の“本来業務”がある日は避け、月曜の休館日を選んだ旨、いちばん最初の打ち合わせでうかがいました。そういう意味では、彝アトリエのスタッフさんたちは休日返上でご対応いただきましたので、少なからず恐縮しているしだいです。
当日、青山様にはお会いできたものの、山口様にはご挨拶できずにたいへん残念でした。また、なにか機会がございましたら、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。
by ChinchikoPapa (2017-07-10 18:01) 

山口道朗

北沢様

さっそくのご連絡ありがとうございました。
作成した資料は控えを入れて12部のみの印刷でしたので、お手元になければお送りさせていただくつもりでご連絡をさせていただきました。私は大学の入学式当日以来ずっと歌舞伎町を根城にしており、いまだに時々歌舞伎町通いを続けております。居住したことはないものの勝手にわが町新宿と思っているため、人一倍思い入れがあります。現在は、中村彜→清水多嘉示へのつながりのみならず、「中村彜を取り巻く影の新人脈」と名付けて、中村屋つながりともいえるエロシェンコ⇔魯迅⇔清水安三(魯迅を日本に紹介した桜美林大学の創始者)経由で佐藤東洋士(現桜美林大学理事長)につなげる人脈ラインづくりを試みております。(背景としては2019年に新宿区・大久保に桜美林大学の学部が一部移転されることにあります)。今後何かと接点が出てくると思われますので、今後ともよろしくお願いいたします。山口道朗
by 山口道朗 (2017-07-11 16:28) 

ChinchikoPapa

山口道朗さん、重ねてごていねいにコメントをありがとうございます。
本日、青山様より改めてお父様の資料類を送ってくださる旨、ご連絡をいただきました。清水多嘉示の描いた「下落合風景」が、彝アトリエでなによりも気になっていたわたしとしましては、そわそわウキウキしながら資料をお待ちしているところです。
わたしも学生時代より、下落合(隣接地域含む)ですごしてきていますので、この街が第二の故郷となってしまいました。もともと下町の出ですので、これほど長く山手に住むとは思ってもみませんでした。
学生時代から、下落合エリア(中落合・中井含む)はずいぶん歩いているのですが、そこで暮らしていた芸術家たちのことは、ずっと気になっていました。仕事をしながら、合い間にいろいろなことを調べたり読んだりしつつ、“隠居”してからゆっくりサイトでも作ろうと思っていたのですが、どうしても我慢ができなくなり、13年前にフラフラっと拙サイトを起ち上げたしだいです。
そうしましたら、あとからあとから人々の軌跡が限りなく繋がっていき、膨大な芸術家たちの物語が紡ぎ出されてきました。これからも、仕事の合い間になんとか記事を書きつづけたいと考えています。今後とも、ご指導のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2017-07-11 19:02) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2017-07-16 12:26) 

ChinchikoPapa

わざわざ以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>笠原嘉さん
by ChinchikoPapa (2017-07-17 18:19) 

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