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下町と山手の用法がゴチャゴチャする件。 [気になるエトセトラ]

歌舞伎座場内.JPG
 「下町」という言葉が、城下町をちぢめた用語であることは、ずいぶん前に江戸期からつづく江戸東京語のひとつであることを、三田村鳶魚(えんぎょ)Click!の証言としてご紹介したことがある。江戸東京地方では、まだるっこしい言葉はどんどんちぢめて発音されるので、別の地方の人が誤解することも多い。
 たとえば水道(すいどう)は「すいど」Click!と読まれ、それでも長いので「いど」と略されて呼ばれていたため、江戸の街中に乃手にあるような井桁が組まれた、地下水の井戸が登場するおかしな時代劇も少なくない。江戸市街地で井戸を掘っても、塩分を含む水が湧いて飲用に適さなかったから、ほぼ100%の水道網Click!の普及が幕府の大きな課題となったのだ。江戸期から白木屋の井戸や佃島の井戸が有名だったのは、めずらしく真水が湧いてしょっぱくはなかったからだ。
 ちょっと余談だけれど、先日、佃島の丸久Click!の主人と長話をしてたら、このところ佃島の井戸に塩分が混じりはじめてしょっぱくなり、生活水には適さなくなってしまったというのを知った。石川島の高層マンションや、月島に増えはじめたビルの杭打ちで、地下水脈の形状が変わるか、地層の破壊で海水が入りこんでしまったのではないかと思う。(城)下町にはめずらしい400年来の井戸だけに、たいへん残念なことだ。
 ちぢめ言葉の話をつづけよう。清元や常磐津、長唄などの三味Click!、あるいは茶道や華道、能、詩吟、踊りなどのお師匠さんも、「おししょうさん」などとは呼ばれずに「おっしょさん」あるいは「おしょさん」となり、師弟関係が親しくなるとついには「おしさん」と略されて呼ばれるようになる。「おしさん」を、江戸東京へ布教や商売(病気平癒の祈祷や巫術)にやってきた三峯講や大山講、富士講などの修験者や霊山ガイドの「御師」Click!と勘ちがいした時代劇もどこかにありそうだ。真剣で「真面目なこと」が、江戸芝居の世界で「マジ」Click!と略されたことはすでに書いた。
 「(城)下町」と「(山)乃手」が、あたかも海外の街のように、平地と丘陵地帯を表すダウンタウン(平地)やアップタウン(丘陵地)とほぼ同義でつかわれるようになったのは、おもに明治期以降のことだろうか。「(城)下町」は本来、「(山)乃手」を含む旧・大江戸(おえど)市街地(旧・東京15区Click!)の概念であり、「下町」は「山手」の対語ではない。それが、いつの間にか海外の街並みを表現する用法にならい、平地が「下町」で丘陵地が「山手」としてつかわれるようになっている。
 だが、少し考えればわかることだが、いわゆる山手にある江戸期からの町々のことを、そこに住む地付きの人たちは誰も乃手だとは思ってはいない。神田(旧・神田区エリア)の半分は丘陵地帯だが、岡本綺堂Click!が「銭形平次」の舞台に選び、神田明神Click!のある一帯を江戸期からの地付きの方は、誰も山手だと思ってやしないだろう。同様に、江戸期や明治期から江戸東京(というか日本)を代表する商業地として発達した、日本橋や京橋・尾張町(銀座)のことを誰も山手とは呼ばないのと同様だ。地形がどうであるにせよ、それとは無関係に神田も日本橋も京橋・銀座も(城)下町だ。
 うちの義父は麻布出身(ちなみに江戸期からの龍土町でも六本木町でもない)だが、チャキチャキの町っ子だった。わたしの家によく遊びにきては、家庭麻雀を楽しんで1週間ほど泊っていったが、典型的な下町の雰囲気を漂わせていた。逆に、根っからの下町である日本橋育ちの親父のほうが、謡(うたい)Click!をやるなど乃手人のような趣味をしていたので、このふたりの性格は合わなかった。東京弁も、義父のほうは江戸の少し品のない職人言葉の流れをくんだざっくばらんな町言葉(いわゆる「べらんめえ」)だったが、親父は江戸期からの商人言葉をルーツとするていねいな(相対的にきれいな)東京弁下町言葉を話すので、どっちが「下町」っぽいのかわからないふたりだった。
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 私立の麻布中学校に通うようになって、初めて(城)下町人と接したときの驚きを書いたエッセイがある。今年(2019年)の7月14日に日本経済新聞に掲載された、古典芸能評論家の矢野誠一『東京やあいッ』だ。少し引用してみよう。
  
 麻布中学に入って、私は初めて東京は東京でも、下町育ちの友達を知ることになる。彼ら下町育ちは、幼い頃から親の手に引かれ、芝居小屋や寄席の木戸をくぐり、相撲や洲崎球場の当時は職業野球と称していたプロ野球観戦などを体験していた。ごくたまに、文部省推薦の健全きわまる映画を観せてくれた、山の手の素堅気のサラリーマン家庭に育った身には信じかねることだった。/彼らはふだんの会話でも、下町特有の生活環境をうかがわせてくれた。中学生の分際で、/そりゃきこえませぬだの、絶えて久しき対面ですなとか、/遅なわりしは手前が不調法/などと芝居や浄瑠璃の文句が、ぽんぽんとび出すのだ。そんな下町育ちの手引きで、放課後の肩鞄を提げたまんまの格好で、盛り場をうろつき、映画館や日本劇場、国際劇場のレビューをのぞくことを覚えた。
  
 矢野誠一は、「山の手の素堅気」などとユーモラスな表現をしているが、「すっかたぎ」は東京弁の下町言葉であって山手言葉には存在しない。
 著者の故郷は代々木八幡(旧・代々幡町代々木)だが、位置的にいえば落合地域と同様に山手線に接した内外地域は、大正期以降に住宅地が拓かれた新山手(新乃手)ということになる。中学生の当時、麻布という地域を「下町」ととらえていたのか「山手」ととらえていたのか、それとも(城)下町=旧・市街地という意味で下町ととらえていたのかは曖昧だが、少なくとも義父にいわせれば山だらけの麻布地域は、江戸からつづくれっきとした由緒正しい下町の認識だったろう。
 いつか、不用意に「日本橋や銀座は下町じゃないですよ~」などといったら、誇り高い下町人の岸田劉生Click!「バッカ野郎!」Click!とぶん殴られると書いたが、義父もまったく同じ感覚をしていたにちがいない。第一師団へ入営前の学生時代にはボクシングが趣味だったと聞いたので、義父の前で「麻布は下町じゃないですよ~」などといったら、マジにカウンターパンチが飛んできたかもしれない。
 つまり、海外の都市で見られるダウンタウンとアップタウンの関係と、東京の(城)下町と山手との関係は、少なくとも親の世代まではそこに暮らす住民の意識からして、まったく異なっている地域も少なくなかったのだ。そこには、「農工商」に寄生して生きる「士」に対する、「人が悪いよ糀町(麹町)」(町人からの借金を踏み倒す大旗本が住んでいた地域)に象徴される、江戸期からの階級的な反発の残滓もあったろうし、明治以降しばらくすると旧・幕臣たちClick!が続々と(城)下町にもどりはじめたとはいえ、丘陵地帯(用法がアップタウン化して混乱しはじめた「山手」)には地元民ではない人間が入りこみ威張り散らしているという反感が、少なくとも薩長政府(大日本帝国)が破産・滅亡する1945年(昭和20)までの77年間Click!、底流として執拗に連綿とつづいていたのかもしれない。
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仮名手本忠臣蔵七段目.jpg
 さて、うちの親はわたしが子どものころ、芝居(歌舞伎・新派・新国劇など)に寄席、都内の神社仏閣や名所旧蹟はほとんど連れまわしてくれたが、相撲は母親がキライで出かけず、プロ野球は親父がまだるっこしくて好まず観戦にはいかなかった。母親は、むしろ「文部省推薦の健全きわまる映画」(要するにつまんない映画)と怪獣映画Click!は見せてくれたが、夏になると『トゥオネラの白鳥』や『悲しきワルツ』(ともにシベリウス)を聴いている、おしなべて乃手人らしい趣味Click!をしていた。
 麻布出身で下町娘だった向田邦子Click!の母親は、正月になると来客の接待に駆り出される娘を哀れでかわいそうに思い、父親には内緒で遊びに逃がしてClick!くれたことがあった。下町の娘は、正月は外出して初詣のあと、街へ遊びに繰りだすのがあたりまえだったが、「山手」の一部では「おっかない父親Click!のもとに家族全員が集合してないと許されない家が多かったようだ。この「怖い父親」という概念も、たとえば日本橋育ちの小林信彦Click!にしてみれば、とうてい信じられない存在だった。
 矢野誠一『東京やあいッ』は、いわば新山手の眼差しから見た(城)下町人(旧・山手人含む)の姿だが、どこか乃手人の永井荷風Click!から見た(城)下町地域に通じる眼差しを感じる。矢野誠一『東京やあいッ』から、もう少し引用してみよう。
  
 世にいう江戸っ子気質、いなせな生活は、東京の下町にその威を見出してきた。山の手は地方から侵入してきた部外者によって構築された、言ってみれば植民地のようなものだった。/一九六四年の東京オリンピックは、その後の東京の町をすっかり様がわりさせてしまった。私たちが子供の頃を過ごした東京とは、およそ肌合のちがった東京に生まれ変ってしまったのである。気がついてみれば、風景、風俗、言語、文化、趣味嗜好、すべての面でかなりはっきりとしてあった、下町と山の手との生活習慣のちがいが失われてしまった。世の中みんな一色化していくこの国の傾きぐあいに、我らが東京も追従しているのがつまんない。
  
 「つまらない」ではなく「つまんない」と、東京方言の下町言葉をここでもう一度つかう著者だが、1964年(昭和39)の東京オリンピックが、そしてついでに同時期に行われた愚劣な町名変更Click!が、旧・大江戸市街地に当時まで連綿とつづいていたコミュニティを、次々と打(ぶ)ちこわしClick!ていったという認識は、わたしもまったく同感だ。
 だが、わたしはそれほど悲観はしていない。東京の風景は関東大震災Click!東京大空襲Click!、そして東京オリンピック1964Click!で破壊されたが、江戸東京地方ならではの風俗Click!言語Click!文化Click!趣味嗜好Click!は想像以上に根強くて根深く、かなり頑固に残りつづけている。換言すれば、それが残り守られつづけているからこそ、いまだ「江戸東京らしさ」がどこかで連綿とつづいているのだし、風景でさえ変革(復元)Click!していこうというモチベーションにつながっているのだと思うのだ。  
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歌舞伎稲荷大明神.JPG
「素堅気(すっかたぎ)」で思い出したが、いつかTBSの男性アナが千住の小塚原Click!を「こづかはら」と読んだのを聞いて、思わず噴きだしてしまった。幕府の処刑場があり、杉田玄白が腑分けを行なった地名は「こづかっぱら」だ。噴きだすのとは逆にキレたのは、テレビ東京の女性アナが日本橋のことを「にっぽんばし」と読んだので、劉生ではないが思わず「てめぇ、もいっぺんいってみろ、バカ野郎」(職人言葉で失礼)とTVに向かって話しかけてしまった。w 地元のTV局であるテレビ東京が、江戸東京の中核であり日本の五街道の起点にある地名をまちがえるとは、心底、恥っつぁらしで情けない!

◆写真上:歌舞伎座が建て替えられた2013年(平成25)以前の、懐かしい4代目・歌舞伎座の場内。先年の秋、久しぶりに歌舞伎座を訪れたが、なぜか季節外れの黙阿弥Click!『三人吉三巴白浪』Click!(さんにんきちさ・ともえのしらなみ)を演っていた。最近、人気芝居なら季節には関係なくいつでも上演するのだろうか?
◆写真中上は、2019年7月14日に日本経済新聞に掲載された矢野誠一のエッセイ『東京やあいッ』。は、麻布中学の友人は上方の浄瑠璃か芝居、あるいは落語が趣味だったものだろうか、「そりゃきこえませぬ伝兵衛さん」の『近頃河原達引』(ちかごろかわらのたてひき)に登場する与次郎の文楽人形Click!
◆写真中下は、「絶えて久しき対面に~」の『仮名手本忠臣蔵』五段目で、千崎の3代目・市川左団次(右)に勘平の3代目・尾上松緑(左)。は、上方落語の『七段目』でも登場する「遅なわりしは不調法」の『仮名手本忠臣蔵』七段目。7代目・尾上梅幸のおかる(左)に、3代目・坂東寿三郎の由良助(右)。
◆写真下は、『仮名手本忠臣蔵』八段目で由良助の8代目・松本幸四郎や本蔵の2代目・市川猿之助などが見える。は、1955年(昭和30)ごろ撮影の山科大石閑居跡。は、歌舞伎座にある歌舞伎稲荷大明神の社(やしろ)にお詣り。
おまけ
「そりゃ聞えませぬの伝兵衛さん」でフテ寝するうちのネコで、仔ネコだったのが大型化して座布団からはみ出す最近のオトメオオヤマネコ(♀/2歳/御留山出身)。
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読んだ!(20)  コメント(26) 
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コメント 26

Marigreen

地元でないせいか?「(城)下町」と「(山)乃手」の違いが今一つ飲み込めません。
Papaさんの記事を読む時、特に印象に残った点や疑問点をメモして読んでいるのですが。
by Marigreen (2019-09-07 06:02) 

Marigreen

更なる疑問。娘が「ママは標準語を話す」というが、私は生まれた時から小学2年まで東京都北区東十条に住んでいましたが、そこで一緒に遊んだり、幼稚園、小学校の人たちと同じ言葉を使っていました。一体標準語というのは、東京のどこらへんまでの言葉を言うのですか?
by Marigreen (2019-09-07 06:46) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
江戸期に(城)下町といえば、平野部も丘陵地もまとめてそう呼称されていたのですが、その中で比較的身分の高い武家が多く住んでいたエリアを(城)下町の中の「山手」と表現していたようです。つまり同じ(城)下町でも、丘陵地を「山のほう」と呼んでいたわけですね。そこには、階級観にもとづく反感がありそうなことは既述しました。
また、町人たちが多く住む地域(あるいは人口が多い地域)は「町(丁)」と表現されていましたけれど、「山のほう」にもそのような地域はありますので、山手にも(城)下町意識が現代まで根強くつづいている……ということです。
「標準語」をしゃべる人が、東京のどこのエリアに住んでいるのか、わたしは規定できません。日本橋方言や深川方言、浅草方言、下谷方言…等々なら、その街にでかければ聞くことができます。以前にも書きましたが、「東京のド真ん中」という関西方言をつかうNHKのアナウンサーが「標準語」の規範だとすれば(東京方言では「まん真ん中」です)、放送局がある位置にはそう話す方たちがいる……ということになりますね。
by ChinchikoPapa (2019-09-07 15:32) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 15:45) 

ChinchikoPapa

C.テイラーの定番ですね。彼の作品では、いちばん最初か2番目に手に入れていたアルバムだと思います。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 15:47) 

ChinchikoPapa

わたしが唖然としたのは、「科学的な施策を実行すれば原発は安全」といっていた共産党が、福島第一原発のあと180度ちがうことをいいはじめたときですね。スリーマイルやチェルノブイリの事故のあと、延々と「反核・反原発」の活動を批判・揶揄していた同党の歴史は、いったいどこでどう総括されているのか興味深いところです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 15:56) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 15:56) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 15:57) 

ChinchikoPapa

伎楽面は、奥が深いですね。文楽の頭と同様に、研究書を読みだすと止まらなくなります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 15:59) 

ChinchikoPapa

きょうもこちらは33℃の“真夏”で、セミ時雨がかまびすしいです。街を散歩していたら、北と西に巨大な積乱雲が見えましたので、おそらくこれから雷と夕立がありそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 16:01) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 16:02) 

ChinchikoPapa

最近、虫かごまでプラスチックなのが残念です。わたしが子どものころは、木のかごに網を張ったものが主流でしたが、プラスチックのかごは虫になんとなく優しくないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 16:07) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 16:08) 

ChinchikoPapa

そろそろスイカは終わりなのに、栄通りの青果屋さんは相変わらず大玉スイカをたくさん並べてますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 23:51) 

ChinchikoPapa

曹洞宗はうちの墓のある寺の宗派ですが、深川にあるせいかあまり禅寺っぽくないですね。ミニ枯山水は苔を育てたりして、どこか盆栽の趣味に通じるところがありそうです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2019-09-07 23:56) 

サンフランシスコ人

「下町という言葉が、城下町をちぢめた用語......」

http://filmforum.org/do-not-enter-or-modify-or-erase/client-uploads/ff2_cal123_FINAL_V3.pdf

ニューヨーク市で、"下町映画祭"を開催....
by サンフランシスコ人 (2019-09-08 06:30) 

ChinchikoPapa

サンフランシスコ人さん、コメントをありがとうございます。
この「下町」は、いま現在多くつかわれている用い方(本来の地元の規定ではない用法)で、「下町」=「庶民が住むところ」、「山手」=「相対的に裕福な人間が住むところ」のほうですね。「舶来」文化が野放図にありがたがれた、明治政府以降に外来のアップタウンとダウンタウンが意識されてからのことで、本来の(城)下町とはなんの関係もないですね。少なくとも、こうは考えていない親から上の世代、あるいは現代でも地付きの方々は数多くいるはずですよ。
by ChinchikoPapa (2019-09-08 10:17) 

ChinchikoPapa

日本の登山ルートやハイキングコースが、外国からの観光客にすごく人気があるのは、広葉樹林の森や雑木林を歩くのが新鮮だからでしょうか。東京郊外でも神奈川でも、山に入るとたくさんの外国人に出あいます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2019-09-08 10:30) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>takaさん
by ChinchikoPapa (2019-09-08 18:11) 

ChinchikoPapa

少し涼しくなろうと、先日は四谷怪談の「砂村隠亡堀」界隈を訪ねましたが、鳥肌が立つどころかメチャクチャ暑かったですねえ。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>(。・_・。)2kさん
by ChinchikoPapa (2019-09-08 18:13) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2019-09-09 10:27) 

ChinchikoPapa

仙台の陸軍幼年学校は、三神峯公園の位置にあったのですね。こちらでは落合地域のすぐ南側、戸山ヶ原(現・戸山公園)にありました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>サボテンさん
by ChinchikoPapa (2019-09-09 10:30) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2019-09-16 20:10) 

アヨアン・イゴカー

>絶えて久しき対面ですな
>手前が不調法
格好いいですね、こういう台詞。日常会話で使いたいものです。

>テレビ東京の女性アナが日本橋のことを「にっぽんばし」と読んだ

嫌ですね。アナウンサーが地名を正しく読めないのは、プロ意識が不足しています。にっぽんばし、では、大阪になってしまいますものね。
by アヨアン・イゴカー (2019-09-16 23:56) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
「日本橋」の件で、ついTVに向かって話しかけた経験は初めてでした。親父はときどき、芝居や落語を観ながらその演技について「話しかけ」ていましたけれど(たいがい演技がマズイときに限られていましたが)、これは年をとった証拠でしょうか。w
by ChinchikoPapa (2019-09-17 11:10) 

ChinchikoPapa

サヴォワワインを飲んだ記憶はありませんが、米国が輸入1位なんですね。日本への輸出にも力を入れるとかで、これから飲む機会が出てくるかもしれませんね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2019-09-26 10:23) 

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