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“中年殺し”の歌なのだけれど。 [気になる音]

 

 「正攻法」のいい歌だ。秋の虫が鳴く夜長にでも、ボリュームを少ししぼり気味にしてしっとり聴いていると、越し方の足跡を眺めながらジ~ンときてしまうような感覚。曲想や感触はまったく異なるけれど、なぜか突飛に立原道造の詩の世界を思い出してしまった。おそらく、ある一定の年齢や経験を積みあげた人たち、あるいは歳若くても鋭敏な若い子たちに響く、深い歌詞なのだろう。ユニット名は、iora(アイオラ)Click!。この秋、下落合からメジャーデビューをはたすグループだ。
 わたしがiora(アイオラ)について知ったのは、昨年のいまごろだろうか? 「カフェ杏奴」Click!のママさんから、カードか名刺をいただいたような気がする。それから一度、iora(アイオラ)サイトへアクセスしただけで、そのまま時間がすぎていった。それが今年の11月に、レーベルUniversalからメジャーデビューすることになったそうだ。先週末の夜、「杏奴」へ寄ったら、たまたまメンバーのおひとりがいて、デビューシングル『五番目の季節』の試聴盤をいただいたので、さっそく聴いてみる。
 『五番目の季節』は、いま流行りのロシア文学風にいえば、「カーチャはようやく人生を生き始めていた」というようなシチュエーション、意識的な「季節」を迎え、いくたびか印象的な「夏」をすごしたことのある世代なら、とてもよく響く歌だろう。サビにかけての、「♪赤く燃えてる夢はどこに消えたの 明日への不安などなかったころ ♪忘れないで物語は どこからでも夢中になれるわ」・・・と、クリアな女性の声で唄われると、よし明日からまたやってやろうじゃないかという気分にもなれるのだ。もっとも、『五番目の季節』には旧バージョンがあって、こちらは『それは季節のように』というタイトルで、歌詞がかなり異なっている。旧バージョンはサイトで試聴Click!することができるが、どちらかといえば旧バージョンのほうが好きだ。
 わたしには、CDに添付されているライナーノーツや歌詞を読む習慣がない。(いただいた試聴盤には、もちろん付いてなかったけれど) おそらく、JAZZを聴き始めてから身についた面倒くさがりなのだろう。だから、「杏奴」のママさんが言われるとおり、これだけスッキリとしたクリアで美しい日本語で唄われると、歌の意味がすんなり身体へ沁みこんでくる。ただ、わたしはクセからか、ヴォーカル全般を意味のある歌そのものとして聴いてはいない、もうひとつ別の耳がどこかにある。歌詞の意味などそっちのけで、音として、“楽器”のひとつとして人の声を聴いてしまうクセがあるのだ。おそらく、JAZZやクラシック、はては歌舞伎や小唄なんてところからの影響もあるのかもしれない。そんなアバウトでいい加減な聴き方、曖昧な姿勢を叱咤し一蹴するかのように、『五番目の季節』はわたしの耳へ鋭角で飛びこんできた。

 さて、中年のわたしはこのテの歌にジンとしてしまうのだけれど、若い子たちはどうなのだろう? ちょうど『五番目の季節』を聴いているとき、大学生と高校生のオスガキどもがやってきた。そのときの反応を、忠実に再現しておこう。「あ、これ、・・・あれ、なんだっけ?」、「ナカ、ナカジマ・・・ナカジマミユキ!」、「・・・ちがうか、じゃあユーミン?」、「iora(アイオラ)? ・・・ここからデビューするの? マジですか」。ちなみに、わが家のCD棚には中島みゆきもユーミンも置いてないが、オスガキたちの世代でもどこかで聴いたことがあるのか、このふたりだけは知っているらしい。確かにイントロのアレンジからして劇的で、どことなくドラマや映画の主題歌になりそうな曲なのだ。
 音楽を日々ふんだんに消費する世代、シングルをいちばん購入する世代だと思われる、このオスガキたちの反応、ちょっと気になる。はたしてiora(アイオラ)は、世代を超えて琴線に響くか? オスガキどもの世代はともかく、30代以上の方にはお奨めの良質な1枚。

■写真:11月にデビューのiora(アイオラ)、試聴盤『五番目の季節』(下落合バージョン?)。
Live Concert 10月5日(金) Open 18:00~ Start 18:30~ 渋谷O-EAST
Debut Single 『五番目の季節』(Universal J/UPCH-5494)


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学生時代の一里塚(マイルストーン)。 [気になる音]

 久しぶりの「Milestone(マイルストーン)」だ。学生時代から、行きつけのJAZZ喫茶。いや、JAZZ喫茶というよりは、昔から酒やカクテルも出すので、JAZZバーと呼んだほうがいいのかもしれない。いまは休日というと、地元下落合のカフェ「杏奴」Click!ですごすことが多いけれど、実は高田馬場の「Milestone」Click!へ通った時間のほうがはるかに長い。ほとんど1976年の開店当初から、わたしは頻繁に出かけていた。なにかの節目にもちょくちょく出かけていた、文字どおり一里塚(Milestone)のようなお店だ。
 ここへ来るとホッとするのだけれど、当時に比べて店の様子は一変している。大理石で覆われた、オリジナルの巨大エンクロージャにぶちこまれたJBL3ウェイは姿を消し、いまでは逆に懐かしいオリンパスの音色が鳴り響いている。以前の、JAZZ喫茶にしてはまばゆく明るかった昼間の店内は、窓も小さくほんの少し薄暗くなり、タバコの煙が紫色に見えるスポットライト照明へと変わった。
 巨大な大理石JBL時代はフュージョン全盛で、わたしは店名どおり1969年以降のマイルスばかりをリクエストしていたようだ。店によって、リクエストするミュージシャンやイディオムを決めていたような気がする。当時、オーディオにもかなりうるさくて、このアルバムを鳴らすのはあの店のシステム・・・なんてことにこだわっていたのだろう。同じ高田馬場の「intro(イントロ)」はコルトレーン、早稲田の「もず」はハードバップ全般、吉田おじいちゃんのいた横浜の日本JAZZ喫茶1号店で、12月いっぱいで閉店してしまう「ちぐさ」ではピアノJAZZとビッグバンド、同「ダウンビート」や鎌倉「IZA」ではウェストコースト、そして「Milestone」ではコンテンポラリーというように・・・。学生時代の「Milestone」は、窓も大きくて明るく、フュージョンの音色が似合っていたのだろう。もっとも、昼間のJAZZ喫茶タイムとは異なり、夜のJAZZバータイムになるととたんに、人の顔も判別しづらいほど薄暗くなって、女の子を連れてくると怪しげな雰囲気になったものだけれど・・・。
 
 もうひとつ、「Milestone」にはお気軽な点があった。最初から会話が自由だったのだ。これはいまも変わらない。連れ立ったお客が増えて会話が始まると、マスターはさりげなく音量を落としてくれる。でも、いかにもJAZZを聴きにきたお客ばかりになると、ボリュームをめいっぱい上げてくれる。こういう、お客をよく見て細かく配慮してくれるところ、わたしが「Milestone」を好きになったゆえんだ。おそらく、マスターの趣味とは異なる、わたしのつまらないリクエストにもいちいちていねいに応じてくれていた。「Milestone」は、お客をうっちゃっといてくれないでゴチャゴチャ能書きばかりたれる、どこかのうるさいマスターのいる店とは異なり、気軽に入れて自由にJAZZを楽しむことができる、学生のわたしにはありがたいJAZZ喫茶だった。あれから30年、JBLオリンパスの音もいい。わたしは、このスピーカーにちょっとばかり偏見を持っていたようだ。
 早稲田から高田馬場にかけてあった、JAZZを聴かせてくれる店も、クラシックの名曲喫茶も、そのほとんどが姿を消してしまった中で、「Milestone」だけがいまだ健在だ。「intro」も存在するけれど、いわゆるJAZZ喫茶ではもはやない。「Duo」にいたってはカレーショップだ。新宿東口に新しい店ができると出かけるが(いまだこの街には、たまにJAZZ喫茶がオープンしたりする!)、あまり気に入った店はできない。米兵らしい外国人だらけだった怪しげな「ポニー」や、新派の水谷八重子(良重)がやっていた同じ歌舞伎町の「木馬」が、その後どうなったかは知らない。

 あっ、いま「I’ll be seeing you」がかかっている。日本との戦争へ出征してしまった彼を、そのガールフレンドが「またお逢いしましょ」と思い出に囁きかけている悲しい歌だ。残念ながら、ビリー・ホリデイ(コモドア盤)ではないけれど。・・・そう、いまこの文章を「Milestone」で書いている。読書と原稿書きとJAZZ談義にはもってこいの店、それが昔からの「Milestone」だ。これからも、やさしいマスターのいるこの店に、ときどき寄ってみよう。

■写真上:高田馬場の「Milestone」。わたしが30年来、変わらないお気に入りのJAZZ喫茶。
■写真中は、現在のJBLオリンパス・システム。パワーは、わたしの大好きなMcIntosh管球式(真空管パソコンではない)のNo.2XXシリーズ(1950年代)だ。わが家も管球がメインなので、どこかサウンドが近いような気がする。でも、さすがにいまはレコードではなくCD演奏となっている。は、学生時代におなじみの「Milestone」店内。巨大な大理石JBLが、ことさら目を惹く。
■写真下:学生時代のある日、早稲田~高田馬場に点在したJAZZ喫茶のはしご散歩コース。これだけはしごすれば、お腹はコーヒーでチャプチャプだったはずだけれど、まったく憶えがない。JAZZ喫茶はこれだけでなく、もっとたくさんの店が存在していた。高田馬場駅周辺に比べ、昔から目白駅の周りがJAZZ喫茶の不毛地帯だったのは、ここの学生たちがJAZZをあまり聴かないせいだからか?


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最近のいっぷく時間に。 [気になる音]

 ・・・と昨日は言いつつ、書き出すと止まらないのが音楽のテーマなのだ。
 いつだったか、タクシーに乗っていたら「これ、いいでしょ、お客さん」と、1枚の写真を見せられた。受け取ってみると、30歳前後のタクシードライバーと椎名林檎が一緒に写っている写真。背景は、新宿あたりだろうか。思わず、「ヲヲッ!?」と声をあげてしまった。鼻梁横にあった大きな「黒子時代」の顔だから、2003年の夏より前に撮られたのだろう。そういえば、車内には「東京事変」の新曲が流れていた。どうして、わたしが林檎好きだとわかったのだろうか?
 わたしは、椎名林檎のミーハーなファンだ。1998年のシングルCD『幸福論』以来のお気に入りだ。翌年の本格的なJAZZ、カップリング曲『輪廻ハイライト』を聴いてから、60年代、新宿のライブハウスに浅川マキが出現したときと同じ衝撃波なのだと思う・・・などと、触れまわっていた。(見たのかい?) それほど、わたしにはショックだったのだ。いや、カテゴライズを拒否するように、ロックにJAZZにブルース、クラシック、ポップス、フォーク、ボサノヴァ、はては演歌や唱歌にいたるまで、あらゆる音楽ジャンルの曲を繰り出しつづける彼女のアルバムは、漠然と“コンテンポラリーミュージック”としか表現のしようがない作品が多い。
 そんな中で、いちばんのお気に入りはアルバムではなく、ライヴDVD『賣笑エクスタシー』(2003年)というのも面白い。彼女の外観は、ぜんぜんわたしの好みではないけれど、とにかく音楽が気持ちいいのだ。ロックのステージでときどき見せる、白目をむき出して表情が豹変する、まるで頭(かしら)のガブClick!のような危ない表情も好きじゃないのだが、彼女の紡ぎだすサウンドが、わたしの感覚にジャストフィットするようだ。仕事に疲れたとき、描画ポイントで行き詰ったとき(笑)、DVD『賣笑エクスタシー』をかけて音だけ聴いてたりする。
 
 『輪廻ハイライト』にみられる、最後までほんの微かに音階を外しながら、徹底して意味のないアドリブ“コトバ”でドライブする、彼女ならではのスウィング感は、もう天性のものなのだろう。モンクの半音階奏法をもじって、わたしは汎音階唱法と呼んでたりする。ストリングスをバックに、濃い4ビートJAZZを聴かせるDVD『賣笑エクスタシー』だけれど、途中で「おや、モードJAZZか?」などと思わせ、終わりが近づくとストリングスの楽団員が次々と消え、ついにはフリーイディオムへと突入していく様子は、彼女の音楽位置にぴったりなエンディングだった。
 反面、まるで50~60年代に量産された歌曲のような高木東六ばりのメロディーで、「♪わたしのなまえをお知りになりたいのでしょう?」と、意味深長な歌詞のついた「みんなのうた」(NHK)の『りんごのうた』(2003年)のような曲にも、ぞっこん惹かれてしまう。“コトバ”の音韻は音楽の一部であり、「歌詞に特に意味はない」・・・と言いつづける椎名林檎は、いまどき珍しいJAZZYな存在なのだ。凡百の女性JAZZヴォーカリストを自称する、日本のシンガーたちの大半は、おそらく彼女の足元にも及ぶまい。
 中学校すら満足に卒業していない彼女の音楽を聴くにつけ、音楽は絵画と同様、「教育」でも「勉強」でもなく、つくづく天性のものなのだと感じるしだい。

■写真上:ライヴDVD『賣笑エクスタシー』(2003年5月27日/TOBF-5275/東芝EMI)より。
■写真下は、“黒子時代”のDVD『賣笑エクスタシー』のジャケット、は、ポスト“黒子時代”のDVD+CD『りんごのうた』(2003年11月25日/TOCT-4774/東芝EMI)ジャケット。


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マイ・フェイバリット・コルトレーン。 [気になる音]


 たまには気分を変えて・・・。わたしがもっともよく聴いた、コルトレーンのアルバムがこれだ。でも、このアルバムは彼の死後に発売されたもので、「わたしが生きているうちは発表するな」と、当時の妻のアリスに言ったとか言わなかったとか。でも、彼は伝説だらけなのでホントかどうかはさだかでない。しかも、このアルバムには異なるバージョンがいくつか存在するようで、発売された国によって「Transition(トランジション)」は必ず含まれるものの、収録された曲がそれぞれ違う。わたしは、日本で発売されたLPおよびCDで聴きなれている。
 ジョン・コルトレーン(ts,ss,fl)のアルバムで、「1枚だけ選んで聴いてもいいよ」・・・と言われたら、いまでも間違いなく、これをピックアップするだろう。フリー志向の『Ascension(アセンション)』へと突入する直前、わずか18日前(1965年6月10日)に録音された作品だ。有調(モードJAZZ)のはずなのだが、まるで幅の狭い塀の上を両手拡げて危うげに歩いているようで、いつどちら側へ転んで落ちてもおかしくないような演奏が繰り広げられている。もっとも、フリーJAZZの定義しだいでは、リズムセクションがバックで有調を奏でる『アセンション』はフリーでなく、どこまでいっても“コルトレーンJAZZ”だ・・・なんてことにもなりかねないのだけれど。
 わたしが学生時代にいちばん好きだったアルバムも『トランジション』なら、いまでももっともお気に入りの作品であることに変化はない。・・・なぜだろう?
 “前進”という言い方が適当かどうか、それまでのイディオムを破壊しようとし、そののちに、新たな再構築を試みようとしている・・・というような“音”にも聴こえるからだろうか。そのまっ只中、過渡期にあるのがこのアルバム・・・と頭で整理して考えたほうが、確かにわかりやすいしスッキリするとは思うのだが、放っておけば30分でも40分でもブロウしつづけていたのは、崩壊感、否定感に往々にしてともなう一種のトランス状態(イイ気持ち)が支配していたからではなかったか? この年の夏、カルテットはヨーロッパツアーへと出るけれど、エルヴィン・ジョーンズ(ds)が怒ってシンバルを投げつけた・・・なんて伝説が生まれるのもこのころのこと。もはや、かろうじて「ジョン・コルトレーン・カルテット」と名乗っていたにすぎないようだ。
 
 「ギリギリのところで迷いながら演奏をつづける、過渡的な作品」・・・と、多くの音楽評論家は本作を位置づけるけれど、わたしにはそうは聴こえない。このアルバムは、とてっもコルトレーンらしい、彼の音楽の本質だと感じるからだ。いままでの規範をなにもかも打(ぶ)ち壊していく、勢いのある快感(Transition/65年6月10日録音)と、まるで一歩間違えればイージーリスニングへ転んでしまいそうな、様式美と予定調和の快適さ(Dear Load/65年5月26日録音)。双方の音楽世界が、彼の内部ではなんの矛盾もなく共存している。その共通項は、いつどちら側へ転んで落ちてもおかしくない、狭い塀の上を歩くギリギリの音楽表現・・・というスリリングなテーマだ。
 こういう状況は、「苦しい」と捉えられるのがフツーだし、事実「新たな表現へ向けて苦しんでいる過渡的なコルトレーン」なんて評論を、このアルバムに関してはイヤというほど聞かされたし読まされたけれど、わたしにはそうは聴こえていない。麻薬的な快感さえ感じられて、「すげえ楽しそうじゃん!」と感じるのだ。いや、もっと言ってしまえば、これが彼の代表作じゃなくてなんなのだ?・・・という想いがあったりする。
 『トランジション』は、いかにもコルトレーンらしさに満ちていて、彼の音楽の本質をよく表現していて、わたしは聴いていると身体が揺れてしまうほど楽しくてしかたがないのだ。『A Love Supreme(至上の愛)』(64年12月9日)や『アセンション』(65年6月28日)は棄てても、『トランジション』はおそらく死ぬまで棄てないだろう。
 ・・・と、こんなことを書き始めると、とたんにここが音楽ブログになりそうだ。音楽と物語(小説)は、あまり近寄らないようにしよう。

■写真:『トランジション』(Impulse)のアルバムジャケット。ジョン・コルトレーン(ts)、マッコイ・タイナー(p)、ジミー・ギャリソン(b)、エルヴィン・ジョーンズ/ロイ・ヘインズ(ds)。


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弦が3本足りねえぞ、親父。 [気になる音]

 子供のころ、三味線をいじっていたことがある。竿(さお)の重ね(側面)に、細長い指押さえ練習用の譜尺(①~⑱ぐらいまでの番号がふってある)を貼って、チントンシャンと弾いていた。もちろん、撥(ばち)を使うわけだけれど、これがなかなかギターのピックのようにはいかない。すぐに三の糸(いちばん細い糸)を切ってしまうヘタッピーだったので、練習は爪弾くほうが多かった。
 家にあったのは、もちろん細竿だ。親父が子供のころ、清元や小唄の稽古に通わせられていたのだ。戦前の日本橋界隈には、町内に何人かの長唄や端唄、清元、常磐津などのお師匠(しょ)さんが必ずいて、子供たちに三味(しゃみ)や唄を教えていた。それが、江戸東京の下町に住む子供たちの、基本的な“教養”のひとつだったのだ。なにかの席や集まりで、三味を手に小唄のひとつも唄えないとバカにされてしまう。だから、みんなかなり一所懸命に習ったそうだ。親父も、いまの子があたりまえに塾へ通うように、お師匠さん宅へせっせと通っていた。
 そんな環境で育ったせいか、親父はわたしが中学生のころ、どこに仕舞ってあったのか三味線を持ち出して、楽譜とともにわたしに与えた。もちろん、そのころにはお師匠さんなんて近所にいないから、自分で勝手に勉強しろ・・・というわけだ。「ギターがほっし~!」とねだったら、なぜか三味線が出てきたので、目が点になる。弦があと3本、足りねえじゃねえかよ親父!・・・と言いたかったが、おカネが自由にならない身では仕方がない、あきらめた。駒(こま)が小唄用の、細身でとてもきれいな三味だった。女持ちの風情があったので、もともと祖母のものなのかもしれない。
 練習していると、♪チントンシャン~チントンシャン~ブチッと、さっそく三の糸を切ってしまう。さあ、予備糸がないからたいへんだ。近くの楽器屋に行ったら、「三の糸?」と怪訝な顔をされてしまった。三味線屋を探さなければならない。ようやく探し当てた三味屋へ行ったら、今度は「こんなガキが三味の糸だと?」と、もう一度怪訝な顔をされた。そんなこんなで、「♪花の大江戸の夜桜~三間見ぬまの小夜嵐~とくらあ!」と、半分ヤケになって練習したのだが、結局モノにはならなかった。どんな楽器でもそうだが、自習ではやはり上達しないのと、三味で「LET IT BE」を弾こうなんて不埒なことを考えていたからだ。
 三味線は便利な楽器で、ギターやビオラなんかとは異なりかさばらない。竿の途中にある、継ぎ手と呼ばれる箇所から3つに分解できるので、ショルダーバッグにも収まってしまう。組み立ても、いたってお手軽で簡単だ。こんなにスマートで、下町では粋で身近な楽器のはずなのに、昔から山手における請けはよくない。以前知り合いに、三味だったらうちにあるよ・・・と言ったら眉をひそめられてしまった。話の様子からすると、なんとなく花柳界や芸者を連想してしまうらしいのだが、60~70年ぐらい前までは、東京の町場で三味のひとつも弾けて小唄か都々逸でも口ずさめなきゃ、大人として恥をかいた時代があったんだよ・・・と言っても、なんとなく納得できない様子だった。同じ東京でも、下町と山手とではこうも生活感が違うものか・・・と、そのとき思ったものだ。
 しかし、親父は清元か常磐津をもはや唄うでもなく、面倒な三味はさっさと子供に押しつけて、自分は山手趣味の謡曲にすっかり取りつかれてしまった。「♪あなあさましや~あななげかわしやぞ~ろ~、げにめのまえの~うきよかな~」と、遠くの夜道から『隅田川』ときには『橋弁慶』が聞こえてくると、おふくろは夕食に火を入れて温めはじめたものだ。まったく、ないものにあこがれるとはよく言ったもので、親父の山手趣味は死ぬまでつづいた。
 練習に気のないわたしに、文字通りバチが当たったせいか、ほどなく胴の裏皮が破れてしまった。それ以来、三味は再びどこかに仕舞われ、わたしは「ギターギター、今度こそ6本の弦がある楽器がほっし~!」と再び叫びだした。でも、いまならもう一度、三味をいじってもいいかな・・・という気がしている。三味の店は神楽坂にあるので、糸の買い出しにも困らない。でも、それには胴の破れを直さなければならない。三味の皮は、やわらかい猫皮だ。・・・いま、うちには1匹、ちょうど猫がいる。

■写真:日本橋人形町の三味線屋。いつも切れてた「三の糸ください」と、つい入りそうになる。


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