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金襴手古伊万里のスピーカー。 [気になる音]

 鬼太郎の目玉おやじが、徹夜つづきで充血しているのではない。有田焼のスピーカー「余韻」というのだそうだ。少し前に、ガラス製の球形スピーカーが流行ったけれど、陶器による球形のスピーカーは珍しい。しかも、赤絵付けがとても凝っていて、まるで古伊万里のようではないか・・・。
 その昔、QUADのアンプに陶器のスピーカーを接続して、クラシックのピアノソナタや室内楽曲を鳴らすのが大流行したことがある。いまでこそ、QUADといえばESLシリーズの静電型スピーカーだが、そのときのセラミックスピーカーは、球形ではなくボトル型をしていた。ちょうど、一升徳利を平べったくつぶしたようなフォルムで、いかにも陶器というようなベージュ系の色合いだったと思う。何度も友人から誘われて、QUAD+セラミックスピーカーの音色を聴かされたけれど、確かに、たいへんまとまった音で定位も抜群のように感じたが、オーケストラを鳴らすには、もういかんともしがたく役不足だった。当時は、ジーメンスの巨大なコアキシャルユニットを、1.5m四方の集成材バッフルにぶちこんでショルティやインバルのマーラーを聴いていた時代だから、よけいにそう感じたのかもしれない。
 このスピーカー、個別受注生産なのだそうで、注文してから手に入るまで3ヶ月ぐらいかかると聞いた。確かに、こんなまん丸な陶器は、破綻なく焼くのがとてもむずかしそうだ。中には窯だしのとき、ヒビやキズが入ってたり変形したりと、割ってしまう作品もあるに違いない。一度でいいから、直径約30cmのこんな焼き物を、思いっきり割ってみたい。(^^;
 うちのような、もうどうしようもなく雑然とした家庭向けじゃなく、流行りの「モダン和」とか呼ばれる清楚な住空間に置くと、しっくりきそうな表情をしている。あるいは、海外へ輸出すれば、ヨーロッパのドイツやデンマークあたりでは、かなりウケるスピーカーかもしれない。間違ってうちに置いたりしたら、夏の暑いさなか、ネコがひんやりとした陶器の上へお腹をつけながら、サランネットで前足のツメを研ぐに決まってる。

インピーダンス8Ω、再生周波数帯域f0~25KHz、最低共振周波数70Hz、音圧レベル83dB、¥399,000(1セット)


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「イントロ」へ通ったころ。 [気になる音]

 学生時代に、どうしても手に入らないコルトレーンのブートレグ(海賊盤)があると、高田馬場駅から早稲田通りを歩いてJAZZスポット「イントロ」へと聴きに通ったものだ。この店は、なにしろ完全ディスコグラフィーを出版できるほど、コルトレーンのアルバムがズラリとなんでも揃っていた。ヨーロッパの果てでプレスされたブートレグも、どうやって取り寄せたものか、この店に行くとかなり早くからリクエストすることができた。
 久しぶりに寄ってみようと思って歩いていくと、地下へとおりるシャッターが閉まっていた。一瞬、つぶれてしまったのかと思ったが、JAZZイントロの看板はちゃんと出ている。帰ってネットで調べてみたら、いつの間にかJAZZ喫茶はやめてしまって、いまではジャズバー兼ライブハウスに生まれ変わり、夜しか営業してないようなのだ。せっかく、久々にコルトレーンのディスコグラフィーを手に入れようと思ったわたしは、肩すかしを食らってしまった。いや、いまどきコルトレーンのディスコグラフィーなどを出版しても、買いにくるJAZZファンなんてめったにいないだろう。だから、店の営業方針が変る前、とうの昔に出版をやめてしまっていたに違いない。わたしが「イントロ」へ通わなくなってから、少なく見積っても18年が過ぎていた。

 先日、書棚を整理していたら、「イントロ」のコルトレーン完全ディスコグラフィーが出てきた。そう、世界のどこかでブートレグが出ると改訂版が出されて版を重ね、しかも掲載写真はすべてオリジナルジャケットという、コルトレーン・マニアにはたまらない超ヲタクなカタログだったのだ。その中で、1977年7月1日版には、「このディスコグラフィーに依って、コルトレーン・ファンが一人でも増えれば、10回忌を迎えた今年、あの世のコルトレーンへの最高のはなむけになることを信じます」と書いてある。確か、アルテックだったスピーカーの音とともに甦える、心跳ねあがっては疲れる「イントロ」な時間。
 38回忌を迎える今年、2005年の7月、60年代の熱い息吹をいまに伝えるコルトレーンのファンは、減りこそすれ増えてはいないように思う。「イントロ」の営業方針の転換が、言わず語らずそれを示しているようだ。

JAZZ SPOT「intro」Webサイト Click!
■写真:『JOHN COLTRANE DISCOGRAPHY』(intro)1977年7月1日版。


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むっくり起きてムックリ鳴らす。 [気になる音]

 北海道にお住まいの方から、ムックリ(mukkur)をいただいた。さっそく鳴らしてみる。学生時代に鳴らして以来、ずいぶんご無沙汰してしまったから、なかなかうまく鳴らなかった。でも、10分ほどいじっていたら、なんとかきれいな音が出るようになった。アイヌ民族の楽器は、このムックリ(口琴)と弦楽器であるトンコリ、それにカラプト(樺太)アイヌのカチョー(団扇太鼓)が知られている。でも、どちらかといえばトンコリもカチョーもアイヌモシリ北辺の楽器で、南部ではムックリがいちばんポピュラーなようだ。うまい人が弾くと、その響きは山から山へと響くそうだが、わたしが響かせる音など20mもとどいていないに違いない。
 素材は竹でできているのだが、北海道には“真竹”が生えていなかったため、多くは“根曲がり竹”で作られていた。中には、金属で作られているものもあるようだ。ちなみに、送っていただいたのは真竹のムックリだから、厳密には音色が少し違うのだろう。作りはしごく簡単なもので、竹を薄く削ってU字型にくりぬき、まん中に振動弁を切り込みにつける。その付け根に丈夫な糸をつけ、それを強弱に引っぱることで弁を振動させて音を紡ぎ出す。口元に当てて、口の開き方を工夫すれば多彩な音色が出る。とても単純な楽器なのだが、単純であればあるほど奥が深いのは、どの楽器にも共通して言えること。よほど長い期間、練習をつづけない限り、思いどおりのボリュームのある艶やかな音やメロディなど絶対に出せない。
 学生時代に、萱野茂さんが書かれた『アイヌの民具』(1978年)刊行運動へ参加したことがある。アイヌ民族が日常生活で使用していた、さまざまな民具を美しいイラストや写真で記録し、詳細な図版や解説を加えた豪華本として出版しよう・・・という運動だった。売れるかどうかがわからず、どこの出版社でも二の足を踏んで相手にしてくれそうもなかったので、いっそみんなでカネを出して出版しちゃえ・・・と進めた運動だ。結果は、予想以上の大きな反響で、北海道から沖縄まで2,500人を超える多くの参加者が集まり、本は1年弱ほどの短期間で出版。現在でも売れつづけ、すずさわ書店で版を重ねている。
 

 「先住民族」という言葉がある。米国やカナダ、オーストラリアなどでは、はっきりと彼らの位置を特定できるが、日本ではきわめて曖昧だ。おそらく朝鮮半島から侵入し寒冷地適応が済んだ新モンゴロイド系のSt遺伝子やHLA型白血球の因子、B型肝炎ウィルス(北方タイプ)などがクッキリとしている地域以外、日本ではほとんどが「先住民族」のエリア、すなわち本来の「日本」=原日本・・・といってもいいかもしれない。南方ポリネシア系の古モンゴロイド的な特色が濃い地域とは、もちろん北海道のアイヌ民族をはじめ、東北、関東、北陸、中部、四国、山陰、九州南部、琉球列島とほとんど日本列島の全域におよんでいる。大坂の商業資本が松前藩と結託して、渡嶋半島から「蝦夷地」全域へと進出しだしたころから数百年の視界でいえば、北海道の先住民族は間違いなくアイヌ民族やウィルタ民族だが、歴史のタイムスパンを千年単位に拡げれば、古来の原日本人たる「先住民族」とナラ(国/祖国・・・朝鮮語)に象徴的な「後侵民族」との関係は、より深淵なテーマとなって起立してくる。明治期以降から現在にいたるまで、教部省→文部省→文科省の歴史教科書では口をつぐみ、黙殺して決して語られなかった歴史の重要な1ページだ。
 「みんな同じ日本人じゃないか」あるいは「日本人になれ!」と恫喝され、苦しめられつづけてきた人たちのみならず、「日本人」っていったいなんだ?・・・と、そのアイデンティティを突きつめるほどに、単に「正史」のみからの文献史学的なアプローチばかりでなく、これら自然科学的、あるいは考古学的な成果物からの視点は、これからますます避けては通れない重要なテーマとなるだろう。
 わたしは、「まつろわぬもの」たちと呼ばれた人々の末裔であり、古代の「出雲王朝」と親密なつながりのあった「東王朝」の流れをくんでいる原日本人だ・・・などと、なかば夢見ごこちに想うことがある。そこには当然、関東地方のオキ(南武蔵)やオミ(北武蔵)、オクマ(上毛野)という一大勢力の存在と、もう少し東北へとスライドしたウクハウ、アザマロ、アテルイ、モレ、そしてツカル海峡をわたったコシャマイン父子なども、どこかで強く意識しているせいだ。江戸(エト゜=岬・鼻)にあった古代からの奉神のほとんどが、出雲神であることもきわめて象徴的だ。

■写真はムックリ(mukkur)。「ムックリ」の「リ」は、「ル」と「リ」の中間に近い発音。は『アイヌの民具』萱野茂(1978年/「アイヌの民具」刊行運動委員会)。


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びざーるIIと『’ROUND MIDNIGHT』。 [気になる音]

 わたしが初めて聴いたJAZZアルバムが、このクロード・ウィリアムソンの『’ROUND MIDNIGHT』(1956年)だ。なんとも地味なジャケットデザインで、レーベルも“モダンJAZZ聖地”のBethlehemとしぶく、ウェストコーストのパウェルといわれていた彼の演奏も、いまから聴くと特にどうってことない。でも、当時はこのピアノトリオのサウンドが、とても新鮮に聴こえていた。
 1970年代の半ば、新宿三丁目あたりに「びざーる」というJAZZ喫茶があった。歩道から地下へ階段を下りていく、けっこう大音量でうるさいJAZZ喫茶だった。オープンしたのは古く、東京オリンピックのころだと聞く。70年代に入ってから、昼間はJAZZ喫茶だが夜になると酒が飲める「びざーるII」が、新宿二丁目の近くにオープンした。こちらも地下で、「びざーる」本店よりは音量が小さかったように思う。当時、高校生だったわたしは、友人と新宿へ遊びにきた帰りに、なぜかこの「びざーるII」のほうへ立ち寄った。ふつうの喫茶店だと思ったのだ。
 ところが、入ってみて後悔した。とても会話できるような雰囲気ではなく、サックスが大音量で流れている。(いまからだと、それほどの音量ではなかったのだが) 友人とすぐに出ようとしたけれど、すかさず水が運ばれてしまった。しかたがないので、アイスコーヒーを注文して友人と大声で会話するハメになった。そのとき流れていたのは、おそらくハンク・モブレーのテナーだったと思う。そそくさとコーヒーを飲んで、早めに出ようとしたときにアルバムが変った。店員が、柱につけられた<演奏中>のラックへ、新たに入れていったジャケットがこれだった。それまでは、クラシックやロック、ポップスしか聴いてこなかった耳に、クロード・ウィリアムソンの『’ROUND MIDNIGHT』はとても新鮮に聴こえた。ジャケットを手にとって読んでみたりして、結局、A面をすべて聴いてから店を出た。
 それからすぐに、JAZZにのめりこんだわけではない。もうひとつ、同じような経験が重なることになる。しばらくして、今度は横浜の石川町にあったJAZZ喫茶「IZA II」で、やはりピアノトリオを聴いている。「IZA」は、いまでも鎌倉に営業をつづけるJAZZ喫茶&バーの老舗で、70年代半ばに支店を横浜へ出したばかりだった。どうやら、わたしは支店の「II」から入るのが得意らしい。(夜に入るとライブも盛んで、大好きだった「IZA II」は80年代初めに閉店している) このときかかっていたのは、ケニー・ドリューの『The Modernity of Kenny Drew』(1953年/Verve)と、これまたメチャクチャしぶい作品だった。

 このときから、JAZZを本格的に聴いてみようと思いたったのだ。さっそく、ピアノトリオの2作品(LPレコード)を手に入れた。さんざん聴きこんだが、聴くだけではあきたらず、クロード・ウィリアムソンの「Stella by Starlight」のように弾けたらと思い、むこうみずにもピアノに向かった。でも、ぜんぜん指が思うように動かずダメだった。もっとも、JAZZを採譜してコピー演奏してもまったく意味がないのは(運指の練習ぐらいにはなるか)、少ししてからわかったことだ。
 足しげく通った「びざーる」本店のほうは、いまでも営業をつづけているが、JAZZ喫茶ではなくワンショット・バーに変わってしまった。70年代の当時、「びさーる」本店にはビートたけしがボーイとして働いていたそうだが、ひょっとすると水とおしぼりを運んでもらったかもしれない。


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肉体関係。 [気になる音]

 

 「せっかくマジな書きこみをしはじめたと思ったら、すぐこれかい!」…と、知人の呆れる声が聞こえてきそうなのだが、好きなんだからしかたがない。いま、いちばん頻繁に聴いているアルバムの1枚、クレージー・ケン・バンド(CKB)Click!の作品だ。JAZZ好きにもロック好きにも、ボサノヴァ好きにも、はたまた昭和歌謡好きにもたまらないアルバムではないだろうか? 懐かしのマンボだってブルースだって、ラップにツイスト、70年代フュージョンだってあるんだから…。
 「昭和79年」の「歌謡ロック」なんて言われているけれど、単なるアナクロニズムなんかじゃないところがいい。強いてカテゴライズの言葉を見つけるとすれば、「汎アジア歌謡ロック&JAZZ」というところか。友人が、的確なキャッチフレーズを教えてくれた。いわく「夜のサザン・オールスターズ」、言いえて妙とはこのこと。とにかく、手放しで“かっこいい”のだ。
 小学生のころ渚の市営プールで泳いでいると、流れてくる黛ジュンやザ・ピーナッツを聴きながら育った世代、シーサイドハウスや松林から響くエレキバンドの音を耳にすると、「不良には近づくんじゃありません」などと親に言われた世代にはたまらないサウンドが、CKBのどのアルバムにも宝箱のように詰まっている。CKBの活動の中心は、常に横浜にある。だから、“山手”といえば横浜の元町に隣接したフェリスの丘の山手町(ないしは野毛の高台か?)のことだし、“湘南”といえば葉山や逗子・鎌倉のこと。各地元の人間が聞いたら、「二度と言うな、ここは昔から湘南なんかじゃねえ!」と怒られそうな、湘南地方の規定さえ曖昧な浜っ子の視点なのだ。
 その昔、NHKの龍村仁さんが撮った『キャロル』というドキュメンタリーがあった。もちろん、NHKの編成局では放送禁止になり、ATG系の配給ルートで中小の映画館で公開されたかしていた。映画の中に漂っていたのは、どこか胡散臭くてインチキの匂いがして、いい加減そうなのだが無条件でかっこいい野郎ども。キャロルに憧れたCKBにも、そこはか共通する匂いを感じるのだが、2002年まで本牧で沖仲仕をしながら活動していたCKBのほうは、粗野な感触がほとんどなくキャロルよりもはるかにナイーヴかつ繊細だ。
 …さて、『肉体関係』(B000091KWH)。このアルバムの白眉は、「かっこいいプーガール」から「葉山ツイスト」「大人のおもちゃ」「長者町ブルース」「あるレーサーの死」へと駆け抜ける一連の曲で、一度聴いたら耳について離れない。また繰り返し、何度も聴きたくなる麻薬サウンドだ。シーサイドハウスへサーフボードを預けられる“すかした”裕福な連中を、「♪慶應ボーイのインパラなんかにゃ負けやしないぜ~」と唄う彼らだけれど、屋根に板をロープでくくりつけて走るいすゞペレット1600GTの浜っ子だって充分すかしてるぜ…と、物心つくころからディープ湘南で育ったわたしには、ねたみも交えた複雑な感情もどこかにあるのだけれど…。このアルバムのほかに、「香港グランプリ」や「実演!夜のヴィヴラート」などが収録された『CKBB(ベスト盤)』(B000185DI0)も、“夜の真夜中”に聴くにはお奨めの1枚。


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