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柳橋物語。(2) [気になる神田川]

 柳橋や西両国(東日本橋)にまつわる話を、わたしは子供のころからよく聞いて育った。そこは、大江戸一の繁華街、両国広小路を背負った華街だから、いろいろな物語が残っている。この事件も、日本橋本町筋から両国広小路を巻き込んだ、日本橋界隈の昔話としていまに広く伝承されている。いわく、柳橋の「牛騒動」。
 1832年(天保3)は鼠小僧次郎吉が捕縛された年として有名だが、この年の正月、初荷の入った大伝馬町二丁目の酒問屋「川口屋」で、事件は起きた。初荷は牛車でとどくのが慣わしで、五色のめでたい鼻緒をつけた牛たちが、この日も見世前に並んでいた。ちょうど荷車の酒樽を店内に運んでいる最中、2頭の牛が突然あばれだしたのだ。
 この日の早朝、京橋で火事があり、その消火にあたった町火消しが通りかかったところだった。火事でハイテンションになっていた彼らが、おそらく牛をからかったのだろうといわれている。それが、とんでもない事態になってしまった。2頭の牛は、引き綱を切って逃げだし、正月の人出でにぎわう日本橋筋を暴走しはじめたのだ。牛たちは、逃げまどう人波の中を突進し、死者1名・重軽傷者15名を出してしまった。死者は、通油町にあった菓子屋の娘で、見世前で羽根つきをしていたところを、牛のツノで突かれて放り投げられ、3日後に息を引きとったと伝えられている。このことは、同じ通油町の長谷川時雨や、岡本綺堂なども書きとめている。
 それでも、牛の暴走は止まらなかった。日本橋を斜めに突っ切ると、ついには両国広小路へと出てしまう。ここで、1頭の牛が左に折れ、筋交御門先の昌平橋あたりで捕獲されたが、もう1頭は浅草御門をくぐり浅草橋をわたって、“城内”へと入りこんでしまった。浅草御門の門番は、門扉を閉めるいとまさえなかったという。そのまま、正月の人出でにぎわう浅草寺まで出られてはタイヘンとばかり、近隣の人たちが道をふさぎ牛を追い返そうとした。牛は蔵前通りの北進をようやくあきらめ、人々に追われながら駒形堂のあたりから、とうとう大川へとダイビングする。
 ちょうどそのころ、柳橋の舟宿「松屋」では、いましも柳橋芸者の小雛と福井屋(京橋の紙屋と伝えられている)の旦那とが、亀戸天神へ初詣に出かけようと、猪牙に乗りこんだところだった。正月だから小雛は旦那の前で、あでやかに着飾っていただろう。舟が岸を離れたとき、ふたりは「牛騒動」に気づいたが、早く大川を渡って竪川へ入りこんでしまえ・・・ということで、そのまま漕ぎだしてしまった。舟宿へ「もどる」というのが、正月だから縁起が悪いと感じたらしい。舟は、大川の川中へと進んでいった。これが現在も、柳橋に伝えられる悲喜劇のはじまりとなった。
 駒形から大川へ飛びこんだ暴れ牛は、下流へと流されつつも向こう岸めざして泳ぎだしていたのだ。当然、流れがあるので大川を斜めに突っ切ることになる。小雛を乗せた舟も、竪川めざして斜めに横切っていた。だんだん舟へと近づいてくる、水面に突き出た大きなツノの牛頭を見て、小雛はパニックを起こしてしまったらしい。舟のすぐ手前で、牛は水中に沈んだ。ホッとした小雛と福井屋の旦那だったが、次の瞬間、舟の前へ大きな牛の頭がヌッと出た。目をむいた牛の頭に驚いた小雛は、つい舟の上で立ち上がってしまったのだ。猪牙はたちまち傾き、小雛は大川へとドボンしてしまった。

 泳げるはずもない柳橋芸者の小雛は、溺れる者はなんとやらで、近くに浮上していた牛の両ツノにとっさにしがみついた。まるで牛の背に乗るようにして、小雛は大川を渡っていく。牛にしてみればたまったもんではなかったろうが、小雛も必死だったのだ。牛が体力のある、暴れ牛だったのも幸いしたのだろう。小雛を乗せた牛はそのまま大川を渡りきり、向こう岸の百本杭辺に無事上陸した。小雛は失神していたが生命に別状はなく、牛もその場でようやく捕まえられた。ツノを握りながら、大川を牛の背に乗って渡った柳橋芸者として、小雛は江戸じゅうの話題をさらった。いまでも、この物語は繰り返し伝えられている。
 さて、小雛はその後、江戸市中を荒らしまわったスリと深い中になり、土地を売って(江戸を出て)逃避行をするほどの事件に巻きこまれてしまう。ここでまた、小雛にとってはトラウマとなってしまった牛が絡み、千住大橋での大捕物帖へと発展するのだが、それはまた、別の物語・・・。

■写真:柳橋にいまも残る、芸者を呼べなくなってしまった料亭。舟宿から猪牙を出した小雛と旦那は、こういう料亭(料理茶屋)で落ち合い新年を祝ったあと、亀井戸天神へ繰り出そうとした。 

牛の背に乗って大川を渡る小雛を、ponpocoponさんが見事なイラストClick!で描いてくれました。ほんとうに、ありがとうございました。(感激!)


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bijinga-ponpocopon

はじめまして
面白いお話でした。
牛に乗って川を渡る芸者さんの絵描きたいと思いました。
by bijinga-ponpocopon (2005-09-07 11:38) 

ChinchikoPapa

ponpocoponさん、はじめまして。そして、nice!をありがとうございました。
ぜひ、柳橋芸者・小雛の「川流小雛牛背」(かわながれ・こびなのうしおい)の図というタイトルで描いてください。(^o^;
それにしても、すばらしいイラストブログですね。拝見していたら「与話情浮名横櫛」のイラストを発見! 今週中にも、玄冶店(源氏店)の「切られ与三」を書いてみたくなりました。できたらアップします。
最後に、さっそく美しいブログを「読んでるブログ」へ登録させていただきました。
by ChinchikoPapa (2005-09-07 12:09) 

bijinga-ponpocopon

小雛ちゃんの記事からリンクを貼りましたのでよろしくお願いします。
TBしちゃいました。
絵は想像ですので・・・。
by bijinga-ponpocopon (2005-09-09 21:43) 

ChinchikoPapa

さっそく、記事本文の下段でも、ponpocoponさんのイラストとリンクを張らせていただきました。ありがとうございました。\(^^/
心よりお礼を申し上げます。<(_ _)>
by ChinchikoPapa (2005-09-10 00:10) 

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