佐伯祐三のアトリエ再び。 [気になる下落合]
このブログで「目白文化村」Click!をシリーズで書いていたとき、第三文化村に隣接した佐伯祐三のアトリエは、彼の死後に米子夫人が住んでいた古い母屋の写真Click!とともにご紹介した。1926年(大正15)の事情詳細図には、同所に「佐伯」という家はなく、「酒井億尋」という名が敷地に記載されている。酒井は中村彝の友人で、当初は画家を志したが目を痛め、のちに実業家に転じて荏原製作所の経営者になった人物だ。佐伯の自宅兼アトリエは、当初から酒井名義の土地に建てられていた。実質的に酒井億尋の所有地だったかどうかは、その姻戚関係とともに諸説ある。
1921年(大正10)、下落合の林泉園脇にあった中村彝アトリエから西へ500mほど離れた旧・下落合3丁目661番地(現・中落合3丁目)の敷地に、念願の自宅兼アトリエができあがったとき、大工が祝儀に鉋(かんな)を持ってきたらしい。その鉋に取り憑かれた彼は、学校(東京美術学校)へも行かず絵も描かなくなり、自宅のあちこちを1日じゅう削り始めた。しまいには、自分でアトリエつづきの洋間を増築する騒ぎになった。だがこの洋間、ドアを造るのを忘れて、完成直後に壁をぶち壊して入ったようだ。これも、「31歳で死ぬ」と予告していた、彼の“伝説づくり”のひとつなのだろうか。
アトリエから南側つづきの2階建て和建築(自宅)は、1972年(昭和47)まで米子夫人がそのまま住んでいたが、その後、新宿区の公園化とともに80年代の半ばに解体された。現在は、当初から建てられたアトリエと、その西側に付属する佐伯祐三が増築した洋間のみが残されている。1985年の母屋解体前の写真(目黒区美術館所蔵)と、現在のアトリエ内部の写真とを見比べてみると、新宿区の手によってアトリエ内部にかなり補修や改造がなされているのがわかる。では、佐伯祐三アトリエの内部を拝見Click!してみよう。
大正から昭和にかけ、佐伯は下落合のあちらこちらを縦横に歩きまわっている。気に入った風景に出会うと、しばらく周囲を観察したあとイーゼルを据えて、おもむろにすさまじいスピードでスケッチし始めたにちがいない。でも、いま彼が同じような人相と風体で下落合をウロウロし、樹木の陰から、あるいは道路上で股メガネをしながら(笑)、あたりの風景や家々を怪しく、いわくあり気にうかがったりすれば、おそらく町内の防犯パトロールにひっかかるか、通報されて10分とたたないうちに戸塚警察署のパトカーがやってくるだろう。
佐伯が歩いた牧歌的な下落合、芸術家にことさら寛容だったらしい当時の下落合はすでになく、都心・新宿にあるただの山手住宅街のひとつに、どうやら下落合は変節してしまったようだ。このあと、「下落合風景」シリーズの作品と、描かれた場所とを改めてまとめてみたい。
・・・そうだ! 「下落合みどりトラスト基金」Click!が保存運動をつづけている屋敷森に、蔵がたったひとつポツンと残されているが、あの内部を「佐伯祐三『下落合風景』シリーズの散歩コース案内」展示にしてはいかがだろうか? もちろん、ホンモノの「下落合風景」作品は集められるわけがないが、複写の絵とともに、旧・下落合(中落合と中井含む)の街中を簡易ジオラマ化した立体地図(昭和初期)と、当時の空中写真の描画ポイントとを対比させるしかけ。きわめて低コスト(ここが魅力でしょ?>新宿区さん)で造れそうだから、下落合から中落合、中井を散歩される東京じゅうの方たちの拠りどころにしてはいかがだろうか。ジオラマの中には、幻の目白文化村のミニチュアも再現できる。ほんとは、描画ポイントの現在地に佐伯作品のプレートを設置して、散歩コースらしくしたいけれど、そうなるとおカネがかかりすぎるし・・・。(やはり付近の風景を描いている、中村彝Click!や松本竣介Click!も「いっしょに入れて!」と、ファンの方はおっしゃるでしょうか?)
■写真上:左はアトリエの北面、右は採光の大きな窓を内側から見上げたところ。
■写真中:アトリエが完成したあと、佐伯が増築した洋間の内部。左のストーブの排煙部らしい穴(1985年当時)が、右の現在では明かり取りに改造されているのがわかる。
■写真下:左は股メガネの佐伯祐三。もちろん撮影におどけているだけで、下落合の路上でいつもこんなことをしていたわけではない。右は散歩中の、手前が佐伯で奥左が米子夫人。穏やかそうなスナップだが、夫妻の心中は修羅だったのかもしれない。「モンマニに来る朝、米子ハンと離別の事、決まりました。米子ハンは、兄さんと良サンと、荻須に相談するちゅう事でした。離別にあたっては、絵を五百枚欲しい云わはったけど、その事、俺はいまだ返事してしまへん。日本に帰ってからにするつもりです」(1928年3月17日の手紙より)。だが、彼が日本にもどることはなかった。1928年(昭和3)2月、パリの東にある村モランにて、ともに佐伯が30歳で死ぬ半年前のスナップ。
佐伯祐三のアトリエが残っている。しかし、公園の片隅に残っているだけ。そんなのあり?って思ってました。一応、元に戻してもらって、新宿歴史博物館の分館にでもしてもらって。そうなるといいなあ。
by 小道 (2005-11-05 21:30)
たぶん、いまの建てつけのままですと、大勢の人が見学した場合、床が抜けてしまうのではないかと思います。特に佐伯自身が増築した、洋間のほうがヤバイんじゃないかと。(^^;
いまのところ、「分館」扱いは四ノ坂の林芙美子旧邸だけですが、一応区の所有で保存がなされている佐伯アトリエよりも、中村彝のアトリエがとても気になります。松本竣介アトリエは、建て替えでなくなりましたが、アトリエ内部の雰囲気は遺族のご自宅内に「再現」されているようですね。今度、機会がありましたらご紹介いたします。
by ChinchikoPapa (2005-11-06 00:24)
そうですね。佐伯のは一応保存されていますから。中村彝のアトリエは、いつなくなるか不安ではあります。自分たちの地元の遺産とも言えるものを、理解し、大切にすることをお願いしたいです。
by 小道 (2005-11-06 09:12)
旧・杉邸もそうですが、住民の方が強く意識して大切に住まわれているところは安心なのですが、売りに出されて業者の手に落ちると、そこが歴史ある建物の場合、意図的にアッというまに壊されてしまいますね。
住民が保存に立ち上がる前、・・・というか気づく前、早朝からやってきては、サッと壊していくようです。つまり、区役所の当該部署や教育委員会が開く9時ごろには、すでにかなり壊されて、担当者が駆けつけても手遅れ・・・というパターンです。
by ChinchikoPapa (2005-11-06 12:42)