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負け犬のシネマレビュー(12) 『紙屋悦子の青春』 [気になる映像]

あの日に帰りたい?
『紙屋悦子の青春』(黒木和雄監督/2006年/日本)

 原爆が投下される前日の長崎を静かに描いた『tomorrow―明日』以来、この時代をていねいに切り取ってこられた名監督、黒木和雄の遺作。原作は『美しい夏キリシマ』の共同脚本家でもある松田正隆の戯曲である。
 冒頭、年老いた悦子(原田知世)と夫(永瀬正敏)が交わす小津映画ばりのリフレインは、ともに実際以上に若く見えるふたりに似合わない老けメイクも手伝って笑いを誘うが、回想の昭和20年へ舞台を移すと、いつもながら畳の目から茶碗まで、その時代の息吹が伝わってくる。
 B29が3月10日の東京を皮切りに13日大阪、17日神戸、19日名古屋と、わずか10日ほどで都市部を焼け野原にした昭和20年も、季節になれば桜は咲く。鹿児島あたりにはまだのどかさが残っていたのか、町なかより食料事情がよかったのか、来客のためにおはぎを作る程度の余裕はあったようだ。そのとっておきの小豆粒は、『tomorrow―明日』で、南果歩が作った目玉焼きのようにきらきらと輝きを放つ。
 さて紙屋家の来客というのは、悦子が心を寄せる兄(小林薫)の後輩の航空兵(松岡俊介)そのひとではなく、彼の親友で悦子に一目ぼれした永瀬である。押し出しのよさそうな男と、求婚にきたのに肝心のことは言えず緊張のあまり出されたおはぎをひとりでばくばく食ってしまう気の利かない男。そんなふたりが親友どうしで、ヒロインの夫となるのは後者という想定に、向田邦子の『あ・うん』を思い出す。あの物語の門倉と水田の関係ははっきり憶えていないが、死ぬ覚悟で好きな女を親友に託した門倉が、それなのに生き残ってしまったとしたら……などと思いながら観たが、この映画では、特攻を志願した松岡は命を散らす。
 
 戦前の教育を受けたこの男が悦子をほんとうはどう思っていたかはわからない。永瀬は親友から託された手紙を持ち帰るが、それは観客である私たちの目前では開かれない。また、好きだった男の親友と指先ひとつふれないまま結婚の約束をする悦子の本音もわからない。
 その時代を生きた人は、そういう時代だったと一笑するのだろうが、気の利いた挨拶もできないのにいざとなれば「あなたをひとりにはしない」なんて歯の浮くようなことが言えるのも、それに対して「あなたをここでずっと待ってる」と返せるのも、明日をも知れぬ身だからだ。いまの時代、口のうまいお調子者ならまだしも、無愛想で不器用な男がこんなことを言ったら、自分ががいないと困る理由でもできたか、さては借金かと痛くもない腹を探りあうかもしれない。へそまがりな私はそうだ。まちがっても、ずっと待ってるなんて言えないなあと思い至って、気がついた。純愛というのは、やはり死と隣りあわせになければ成立しない、と。つまり不治の病か、戦争、である。
 隣国と海で隔てられた島国、日本は言うまでもなく世間知らずな国である。だからこそロシアや中国なんて大国に攻め入るなんて向こう見ずなことができたのだが、ウブな世間知らずほど大胆なもの。個人より国家、長幼の序に、お上の言うまま、そんなよくも悪くも人びとが純粋だった時代、不謹慎を承知でいえば恋愛も結婚も今よりずっとラクにできただろう。なにしろいつ爆弾が落ちてきて死ぬかわからないのだ。そんなときにぐずぐず思い煩ったり、くだらないかけひきを考えているヒマはない。見知らぬ外国で出合い頭に恋に落ちるように、ちょっとした縁を、運命のように思ってすがっても不思議はない。
 
 と調子よく書いてきたが、本当は不自由な時代。そんな時代をうらやましいと思わせるのが黒木監督の腕である。『tomorrow―明日』の南果歩や、『父と暮らせば』の宮沢りえ同様、この映画でも、本上まなみや原田知世が清潔で美しく、とても幸せそうに見える。特に原田の兄役の小林薫と、義姉で親友の本上まなみ夫婦のやりとりは主人公のふたり以上に微笑ましい。もんぺからワンピースに着替えて夫を出迎えるところや、電報を運んでくる郵便屋さんを戸口で待つところ、そのしぐさや言葉の端々にだんなさんが好きでたまらないという愛情があふれていて、この大柄な女優が幼女のように可愛いのだ。
 黒木監督は、昭和20年という日本にとって特別な時代を、特別ではない市井の人の暮らしを徹底して描くことで反戦の思いを伝えてきた。これは日本人が純粋だった時代が舞台の、極上の恋愛映画なのである。
                                         負け犬
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岩波ホール 8月12日~公開予定


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コメント 8

ChinchikoPapa

負け犬さん、すみません。<(__)>
ヒロインの原田知世ではなく、勝手にホンジョを記事トップに持ってきてしまいました。このあたり、大家のワガママと好みが色濃く反映してたりします。(爆!)
by ChinchikoPapa (2006-08-10 00:27) 

負け犬

いえいえ、本文にもあるようにいずれがヒロインでも遜色ないので。
by 負け犬 (2006-08-10 03:56) 

toyoda

本日,岩波ホールで見てきました.第1回でしたが,補助席を入れても満員で驚きました.上にも書いてありましたが原田・永瀬の老人役に無理があると思いました.また仲が良すぎると感じました.笠智衆さんは東京物語を撮ったときは40台でしたが,立派に「おじいちゃん」でした.またオカミサンにぶっきらぼうで,死んでしまってから「もっと優しくしておくんじゃった」と語るところが自然でした.
映画が終わってから,「8月15日は,小泉さんはどうするんだろう」などと,ボーっとした頭で考えながら,靖国神社・神楽坂・早稲田・高田馬場・落合を経由して歩いて帰ってきました.
by toyoda (2006-08-13 18:39) 

ChinchikoPapa

toyodaさん、コメントをありがとうございます。
きょうは暑かったですね。九段から歩かれたのですか! わたしは、さすがに暑気あたりをするといけないので、この季節は少し散歩は控えて、下落合のカフェ「杏奴」で涼んでおりました。
黒木和雄は、わたしの大好きな監督ですので、この作品はぜひ観たいと思っています。昨年、新宿区が上映してました『父と暮らせば』もけっこう混んでいましたが、『紙屋悦子の青春』もしばらくは満席がつづくでしょうか・・・。
by ChinchikoPapa (2006-08-13 19:10) 

toyoda

 ご覧になるなら,「波の音」のモチーフというか,「波の音」の象徴的意味(あるいは実際的意味)について注意して見てきてください.私はボケーっと見ていましたので,繰り返し現れる重要なモチーフなのに,意味が良く分かりませんでした.
 映画とは関係ない話で恐縮ですが,私は,自分の娘に「悦子」という名前をつける親の気持ちが分かりません.一般的な喜び,正装の慶び,分かち合う歓びと「よろこび」には他にもあろうに,よりにもよって「りっしんべん」の悦びを,付けなくてもいいだろうにと思うのです.感覚的・官能的な悦楽レベルの「よろこび」は娘の名前に相応しくないと思うのです.
by toyoda (2006-08-14 07:07) 

ChinchikoPapa

わたしは物心つくころから15歳まで、波音=潮騒を“通奏低音”として育ちましたので、よけいに心地よくボーッとしてしまうかもしれません。(汗笑)
「悦子」の件、なるほど。確かに「法悦」とか「悦楽」とか、極度の快感を表現するときにこの字は遣われますね。学生時代でしたでしょうか、誰かから「悦子」という人名は、中国の千字文にある「悦予且康」の「悦予」(喜び楽しむ)を、日本で「予」という字に似ている「子」にして女性名にした・・・というようなことを、ずいぶん昔に聞いたことがありますけれど、中国の“漢詩文化”が日常的に活きていた、明治期あたりに付けられた名前なのでしょうか。
by ChinchikoPapa (2006-08-14 13:13) 

kimion20002000

TBありがとう。
いや、おもしろいblogでした。
昔は見合い結婚も多かったし、親戚の伯母さんなんかも、ちょっとした紹介で、結婚して、1週間で、旦那は戦地、そのまま帰らず、おなかに出来た子供をずっと寡婦で育てました。だけど、その出会いとか、暮した1週間をしみじみと話してくれます。なにが、幸せかは、わかりませんね。
by kimion20002000 (2006-08-18 01:39) 

ChinchikoPapa

こちらこそ、早々にTBをありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2006-08-18 13:26) 

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