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佐伯祐三の「テニス」を細見する。(下) [気になる下落合]

 さて、佐伯祐三は第二文化村の益満邸テニスコートの前で、この「テニス」を一気に描き上げたのだろうか? イーゼルを据えた描画ポイントClick!で、50号のキャンバスを前に「でけたで!」と宣言したのだろうか。アトリエへ持ち帰り、あとから加筆することはまったくなかったのだろうか。のちにアトリエで加筆するということは、乾きかけの絵具、あるいは完全に乾いた絵具の上から、新たに絵具を重ねることになる。すると、下の色と混ざり合うことが少ないので、かぶせた絵具の色がそのまま載ることが多く、画面へまた異なる調子や効果を産み出すことができるのだ。
 第1次滞仏時のパリで、佐伯のアトリエを訪ねた作家・芹沢光治良は、彼の加筆の様子を次のように証言している。1950年(昭和25)に発行された、『美術手帖』2月号から引用してみよう。
  
 日本には帰りたくないが、日本に帰って、古い日本画の山水と宗教画を見ることで自分の絵を完成できるかも知れないから、あきらめて日本へ帰ります、とも言ってました。
 「日本へ留学するんです。すぐパリへもどって来ます」
 こんなことを、怒ったような表情で言ってました。そんな風に話がおわると、佐伯君はその日昼間外でかいて来たものを画架において、加筆しはじめました。アトリエは部屋ではなくて、街であると佐伯君は言って、昼はきまって外で描いて来るようでした。あの頃は三時にはもう日がくれるので、やむなく帰って来たのでしょうが、外で描いた絵は、必ず画架において眺めなければいいのかわるいのか分からないとも、画架において加筆しなければダブロー(ママ)にならないとも、言ってました。そして、その加筆する時に、そばに誰がいようとも、どんなにさわごうとも、さまたげにならないようでした。
                                                                  (芹沢光治良「或る頃の佐伯君」より)
  
 制作メモClick!を見るかぎり、個々の『下落合風景』作品があたかも1日で仕上げられたように思えるのだが、この記録はあくまでもイーゼルを立てた描画現場と情景の覚え書きであって、各作品の完成したタイムスタンプではない可能性があることにも留意しなければならない。つまり、画面の中で厚塗りされた部分に上描きがなされた箇所があり、その絵具がまったく下の絵具の溶融や干渉を受けていない場合、下の絵具がかなり乾いてから上描きされたものだと推測できる。いくら速乾剤を混ぜたにしても、画布に塗られた絵具が乾燥するまでは、塗りの濃淡にもよるが数時間から数日間はかかる。厚塗りの多い佐伯作品の場合なら、なおさらなのだ。
 
 通常の画家の作品なら、毎日の決まった時間に同じ光線条件のもとで少しずつ描いていくのだろうから、このような課題は発生しにくい。ところが、佐伯作品の場合は、きわめて短時間で仕上げられたという証言Click!が圧倒的に多く存在している。その早描きの様子は、いまや伝説化しているようにさえ思える。だから、50号の特大『下落合風景』を仕上げるのに、ほんとうに描画ポイントでの短時間仕事で済んだのか、あるいは大きなキャンバスを抱えてアトリエへもどったあと、生乾きの上から塗るだけの1日仕事で済んだのかどうか、あるいは・・・と、とても興味のあるテーマなのだ。
 また、「テニス」の画面を仔細に分析するということは、『下落合風景』をはじめ佐伯祐三Click!のこの時期における描画法を、おおよそ把握できることにつながる。特に、パリ風景とは異なる日本の風景、しかも東京市外のいまだ武蔵野の面影が色濃く残る、緑ゆたかな下落合での仕事の全体像を垣間見られる、「テニス」はまたとないかっこうの“窓口”でもあるのだ。さっそく、画面を隅からすみまで細かく観察していく。すると、明らかに下の絵具がある程度乾いてから塗られたと思われる筆跡を、いくつか発見することができた。
 ひとつは、青空に浮かぶ厚塗りの雲のところ。陽光が雲に反射して、黄金色に光っている様子を表現するために、佐伯はシルバーホワイトでたっぷりと塗った雲の縁に、透明性の高い黄土系か薄いオレンジ系の絵具で薄塗りをしている。この処理は、下のホワイトの浮雲がかなり乾いてからでないと不可能なものだ。この作品が描かれた夜、あるいは数日内の仕事だろうか? ただし、同行した専門家の方のご意見では、ひょっとすると当初の古いニスの変色したものが、修復でも洗い落としきれずに、シルバーホワイトの上にのみ残ってしまった可能性も棄てきれない・・・とのことだった。わたしは、どちらかといえば黄土色かオレンジの配色が意思的に感じられるので、アトリエにおけるのちの加筆ではないか・・・と思ったりしている。

 
 「テニス」の画面には、さらに気になる色が載っている。まるで鉛管から絵具をしぼり出して、そのままキャンバスになすりつけたような黄緑の塊と、細めの筆で最後に随所へ追加したような深緑の2色だ。双方とも、下の絵具と溶け合っている箇所もあれば、まったく混ざり合わない部分もある。この2色は、描いている現場でも当然使われただろうが、アトリエにおいても加筆に使われやしなかっただろうか。その配し方が、全体を改めて眺めまわしながら、最後の最後に追加されたような気がしてならない。さらに、アトリエで加筆した乾ききらない絵具面にも、最後のスクラッチが加えられなかっただろうか。
 また、佐伯の『下落合風景』ではお馴染みの電柱はどうだろう? 背景がほとんど空になる電柱は、下塗りが乾かないと描きにくい。「テニス」を見るかぎり、青空を乾かしてから風景にかかっているので、電柱はテニスコートの制作現場で入れられた公算がきわめて高い。しかも、その描線を細かく観察すると、途中で線がかすれるのも気にせず、一気呵成に描きおろされている。たった一度の描線で、なぞった跡がほとんど見られない。まさに、まばたきする間、一瞬の仕事だったようだ。当時の他の画家にはなかなか見られない、このすさまじい速筆の勢いこそが、佐伯作品が醸しだす新鮮さや生々しさ、そのダイナミズムをささえる秘密のひとつなのだろう。短時間で瞬間的に風景を切り取ってみせる、手並みの速さと鮮やかさは、勢いのある描線のいたるところに顕著だ。書の趣味に造詣の深かった、山本發次郎を惹きつけてやまなかった大きなファクターに違いない。
 さらに、もうひとつ気になっていたことがある。このめずらしい50号サイズの「テニス」は、はたしてなにかの作品あるいは習作を塗りつぶして描かれているのではないか?・・・という疑いだ。佐伯が下落合のアトリエでこしらえた、表面が独特な質感のキャンバスは、ほとんどが15~20号のサイズ。だから、大きな「テニス」のキャンバスには、なにか別の作品(たとえば学生時代の習作など)がもともと描かれていたのではないかと、つい想像してしまうのだ。佐伯は、既存の作品を平気で塗りつぶし、その上から別の絵を描いたり、キャンバスの表裏に絵を描いたりすることがままある。側光を当て、厳密に観察したわけではないので断定はできないけれど、「テニス」の下に別の作品が隠れているような様子は、肉眼で観察するかぎり、どうやらなさそうだった。おかしな盛り上がりや線の痕跡は、側面や斜めからいくら画面をすかし見ても認められなかった。はたして、創形美術による修復時、「テニス」のX線撮影Click!は行われたのだろうか?
 
 来年の2008年は、佐伯歿後80周年Click!にあたる。『下落合風景』の最大作「テニス」は、全国をめぐる歿後80年展へ長期間貸し出されることになる。わたしは幸運にも、その貸し出しの直前に作品を細見することができた。改めて、新宿歴史博物館のみなさんへ、心よりお礼を申し上げたい。貴重な作品を長く観察させていただき、ほんとうにありがとうございました。
 50号のキャンバスを風にあおられ、いつもより重たいズッシリとした絵道具を抱えながら下落合を歩く佐伯祐三の姿が、そして下落合のあちこちに折りたたみ式イーゼルを立てては、猛烈な勢いで仕事をする彼の姿が、さらに身近に、そしてとてもリアルに浮かび上がってきたように感じている。

■写真上:下の絵具が乾いたあと、アトリエで加筆したと想定することができる浮雲の輝き。
■写真中上:浮雲部分の拡大。厚塗りのシルバーホワイトの上に、透明度の高い黄土系か薄いオレンジ系の絵具を薄く重ねている。下のホワイトがよく乾かなければ、まずできない処理だ。ただし、洗い落としきれていない、古い時代の変色したニスの可能性も棄てきれない。
■写真中下:画面の随所に見られる、黄緑と深緑の“共演”。佐伯が好んで用いた、下落合の緑を表現する描画法のひとつだと思われる。これも、生乾き後のアトリエにおける加筆だろうか。
■写真下は、第二文化村の境界あたりに見られた電燈線あるいは電力線の電柱。線が縦に、一息で描き下ろされているのがわかる。は、画面の右側面から観た「テニス」。に別の絵が隠れていそうな、不自然な凸凹面や陰影はとりあえず認められない。


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ChinchikoPapa

takagakiさん、ありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2007-08-21 11:52) 

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