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御用聞きvs奥様・女中バトル。 [気になるエトセトラ]

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 わたしが子供のころまで、御用聞きが家へとやってきていた。さすがに魚屋や青物屋はすでにいなかったけれど、クリーニング屋に本屋(書店営業)、豆腐屋、鋳掛屋、傘修理、刃物研ぎ、薬売りなどは、ときどき姿を見せていた。いまではクルマやバイク、自転車による触れ売りが多くなり、めったに戸別をまわる御用聞きはいなくなってしまった。
 いまの下落合でも、やはり御用聞きはやってくる。富山の薬売りに千葉の花売り、牛乳屋がときどきチャイムを鳴らすけれど、あとのほとんどが新興宗教と新聞の勧誘でお呼びでない人たちばかりだ。家へやってきた御用聞きの品物は、できるだけ買ってあげる(とってあげる)ようにしている。御用聞きは激減したけれど、かわりに触れ売りが急増しているのは、以前記事Click!にしたことがある。最近の下落合では、文化村界隈から出張してきているのか、豆腐屋兄さんの触れ売りが新たに加わった。文化村を散歩していると、何度も出くわしていた豆腐屋さんだ。
 戦前、食材や日用雑貨をわざわざ店へ買いにいく・・・という概念は希薄だった。これは、山手も下町もまったく同様で、必ず出入りの御用聞きが訪ねてくるから、あえて商店をまわる必要がなかったのだ。この習慣は古く、江戸期の棒手振り(ぼてふり)あたりに端を発しているのだろう。町場は棒手振りや担ぎ売りの激戦区だったので、ひっきりなしにやってきたというが、旧乃手界隈では数も少なかったから、馴染みの棒手振りや担ぎ売りは大切にされ、茶菓などをふるまわれて、町場よりもよほど優遇されていたようだ。ただし、地域にもよりけりで、いまでも端唄に伝わるが「♪仇(あだ)は深川 いなせは神田 人の悪いは糀町~」とあるように、もともと武家が多く住んでいた乃手の糀町(麹町)は、威張りちらして借金を踏み倒すとんでもない連中が多く住んでいて、評判は最低だった。
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 戦前の『婦人倶楽部』を調べていたら、1939年(昭和14)2月号に「若しも私が御用聞きだつたら」(芳川幸夫・作/須藤重・画)という、面白い記事を見つけた。そこには、当時の御用聞きと奥様/女中とのさまざまなバトルや駆け引きが紹介されている。もっとも文章の趣旨は、御用聞きにバカにされないきちんとした家庭環境を維持しましょう・・・という、やや説教くさい奥様向け「修身」にすぎないのだけれど、当時の御用聞きのアプローチがうかがい知れて興味深いのだ。
 たとえば、御用聞きの視点に立つと、世の奥様方(各家庭)はこういうふうに分類できるらしい。
 ・大ざつぱな奥様は用心物です。
 ・「奥さん女中」は苦手です
 ・噂話の好きな奥さんは感心しませんなア
 ・愛想のいゝお断りは嬉しいものですよ
 ・名コンビには敵ひませんよ
 ・我れ関焉(かんせず)の旦那さまの家庭は信用出来ますよ
 ・知つたか振りの奥さんは軽蔑の的ですよ
 ・包丁の光つてゐる家は必らず栄えます
 ・身奇麗な奥様/お洒落な奥様
 「大ざつぱな奥様」とは、注文がいい加減で勘定の支払いもいい加減。「奥さん女中」は、意思決定を女中がして奥さんへ取り次いでくれない家。「名コンビ」とは、奥様と女中の気が合っていて、なかなかスキを見せず売りにくい家。「我れ関焉の旦那さま」とは、家庭内のことがいっさいわからない男のいる家。「知つたか振りの奥さん」とは、商品知識があるように見せかけて値段を負けさせるセコイ家。「身奇麗な奥様/お洒落な奥様」とは、朝から白粉や口紅をつけ怪しい雰囲気の奥様方のことで、勘定の支払いがお洒落のほうに消えてルーズだ・・・ということらしい。
 結局、家にいる奥様にはこうあってほしいという、作者・芳川幸夫の願望にすぎないのだけれど、仕事の合い間にサボッて開かれる、御用聞き仲間の“会議”などは、少しリアルで面白い。
  
 何々家とか、誰れそれ様とか、名を伺つただけで、はゝん、あのお家かと、うなづけるほどの御大家は、別として、私どもが、お出入りしてゐる、甚だ失礼な申分ですが、所謂中流の御家庭では、矢張奥様が御用聞きに、直接接していらつしやる方が、万事好都合のやうでございますネ。/中には、何んといひますか、変に格式張つて、御用聞きとの応対は、万事女中任せ、御自身からは、なかなかお言葉も、下されないといつた、威張つた奥さまもいらつしやいますがネ、こんな方に限つて、蔭で御用聞きに、赤い舌を出されるものですよ。 (同誌「若しも私が御用聞きだつたら」より)
  
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 昔日の下落合は、おそらく御用聞きの超激戦区だったろう。昭和初期に、いまの生協のような共同購入のしくみを持つ「同志会」Click!が目白文化村に、家庭購買組合が近衛邸跡(目白中学校跡)にできたとき、周辺の御用聞きたちは得意先をいくらか失い、ずいぶん落胆したにちがいない。
 現在の下落合は、道を流して歩く触れ売りと、スーパーマーケットの激戦区となっている。

■写真上:根津の団子坂上に残る、旧・安田邸の台所と勝手口。
■写真中:「若しも私が御用聞きだつたら」の挿画。が「チワッス」で、が「まにあってる!」。
■写真下が、「ねえねえねえ、ちょいと向かいの奥さんのこと聞いてる? ねえねえ、あんた知ってるでしょ、教えてってば」。が、朝から化粧に1時間半。それにしても、「お洒落な奥様」がまるで江戸期の宿場女郎みたいな白粉の塗りかたをしているのは、いったいどうしちゃったのだろうか?


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コメント 8

ChinchikoPapa

「建物も歳を重ねると生き物になる」というのは、素敵な言葉ですね。
nice!をありがとうございました。>納豆(710)な奇人さん
by ChinchikoPapa (2008-10-25 12:22) 

ChinchikoPapa

もともと稲付城の近くにあった、湧水地に建立されていた弁才天なんですかね。
nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2008-10-25 12:27) 

ChinchikoPapa

ネコの居場所はむずかしいですね。人間が用意してやっても、たいがい裏切られます。w nice!をありがとうございました。>パルの大冒険さん
by ChinchikoPapa (2008-10-25 12:33) 

ChinchikoPapa

Dream Keeperもよく聴いたアルバムです。ラテン系のモードが入ってると惹かれるようですね。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2008-10-25 12:42) 

sig

こんにちは。
当節、うちに来る御用聞きは、勧誘は別として農協さんだけですね。お米をお願いしているものですから。
豆腐もクリーニングも、もう御用聞きに回らなくなりましたね。
by sig (2008-10-27 10:08) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございました。
クリーニング屋さんは、わざわざ持ってったり取りに行ったりする面倒を考えますと、来てくれるとありがたい・・・という感覚がいまでもあります。きっと、バイクで集配すると採算が合わないのでしょうね。
by ChinchikoPapa (2008-10-27 13:06) 

ChinchikoPapa

昔の記事にまで、nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2011-05-18 19:31) 

ChinchikoPapa

こちらの記事にまで、nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2011-05-18 19:32) 

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