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九条武子の東京郊外ドライブ。 [気になる下落合]

九条武子1.jpg 九条邸跡1.jpg
 九条武子Click!は急逝する前年の1927年(昭和2)2月20日、多摩の浅川(現・高尾駅近く)に造成されたばかりの大正天皇の墓(多摩御陵)を訪れている。このとき、下落合から夫の九条良致男爵にともなわれ、多摩へクルマででかけたことになっている様子が、同年の『主婦之友』4月号に写真やイラスト入りで紹介されている。でも、写真にも記事の内容にも、九条良致の様子がまったくどこにも記録されていない。ずいぶん以前から反りが合わず別居中だった夫が、九条武子と出かけるために乗り付けたとされる、下落合の自邸前に付けられたクルマの前にたたずむ武子の写真は大きくフューチャーされているけれど、同行したとされる夫の影が非常に薄いのだ。
 このとき、婦人雑誌の記者とともに、九条良致が差し向けたクルマで浅川へと出かけたのは九条武子ひとりだけで、夫のほうは実は同行していないのではないか? 1927年(昭和2)の『主婦之友』4月号に掲載された、上掲写真のキャプションから引用してみよう。
  
 九條武子夫人は、去る二月二十日、御良人の九條良致男に伴はれて、浅川の多摩御陵に初の参拝をすまされました。御良人の男爵は、畏くも皇太后陛下の御弟に当らせられ、大正天皇の御大葬儀には、御親戚代表として参列された方でございます。本号には武子夫人の参拝紀行と、当日行を共にした本誌の山内神斧画伯の御陵絵図が発表してありますから、どうぞ御覧くださいませ。写真は、出発前の九條武子夫人でございます。(九条武子「多摩御陵奉拝の記」より)
  
 出発前の九条武子とクルマの背後には、現在の野鳥の森公園の上、下落合753番地に近くの服部土木建築Click!が建設した九条邸の姿が垣間見えている。この時期の九条邸Click!は、大正期のように周囲を竹垣と生垣ではなく、2mほどの背の高い板塀に囲まれていたようだ。彼女が有名になるにつれ、物見高い人たちがしばしば邸内を覗くようになったのかもしれない。
 キャプションの文中にもあるとおり、大正天皇の葬儀に出席したのは夫の九条良致ひとりであって、九条武子は出席していない。この文章のほか、記事のリードにも九条良致が「親戚代表」として葬儀に出席した、つまり“意識的”にひとりで葬儀へ出たことが強調され、繰り返ししつこく記載されている。これは裏返せば、九条武子は夫とともに連れ立って葬儀へ出席するのを拒んだのではなく、良人が彼女を含む家族の「代表」として実は出席していたのだ・・・という、いわずもがなの弁明とも受け取れる表現となっている。そして、陵墓の造成が終わったところで、改めて夫婦で参拝しようということになった・・・という穏当な筋書きになってはいるけれど、良人が九条武子を下落合へ迎えにきた形跡がきわめて薄いのだ。
九条邸跡2.JPG 九条邸跡3.JPG
 かんじんの九条武子の文章にも、夫の影はただのひと言も出てこない。むしろ、東京市外を西へ、武蔵野の郊外ドライブを楽しむ情景描写が主体の紀行文のような内容となっている。また、この紀行文には歌作も含まれていて、8首の短歌が詠まれている。昭和初期に見られた東京郊外、甲州街道沿いの風情がよく表現されていると思われるので、少し長いが引用してみよう。
  
 甲州街道は良い道であつた。自動車は都の北、平坦な道を静かに走つてゆく。過ぎてゆく沿道の村々は、春の訪れもおくれて、未だ冬ごもりの寂しい色につゝまれてゐた。
  梅も咲かずまばら篁くろ土に やゝまだ春のおそき村かな
  にはつどり胸毛ふくらせほる土に まだ草の芽もこもりてあるらし
 青い屋根、桃色の窓、ラヂオのアンテナなども見える、ペンキを塗つた現代式住宅も、だんだんに少くなつて、調布の里を過ぎたあたりは、見はるかす遠い丘に鎮守の森、桑の畑など、それらは武蔵野らしいむかしのまゝの、画幅を展げてゐるのも嬉しかつた。(中略)/多摩川はまだ冬枯れのまゝに、呆けた薄が堤に残つてゐた。浅い流れの水面には灰色の雲が光なくうつりねずみ色と茶褐色の野を一線に、くつきりと松林が画してゐる。松には春もなく冬もない、何時に変らぬ常盤のすがたは、悟道の一境に達した人の心のやうだとも言へる。泣いては笑ひ、求めては失ひつゝ迷へる心は、咲いては散り、染めては落ちる木のたぐひでもあらうか。松節の堅きを賛美する一方には、何かしら不変と言ふことが、却つて寂しいものゝやうに思はれて、常に変化から変化を楽しんでゐることが考へられる。
  道のべにふとみしことのしかすがに こゝろにふれて身にしむ今日は
 八王子市の郊外に近づけば、一面の桑園である。今は知らずむかしは、機織り暮らしたでもあらう家々の女等の仕事が、床しくもまた懐かしいものと偲ばれる。 (同上)
  
多摩御陵1.jpg 多摩御陵2.jpg
 彼女は真新しい陵墓にお参りして、そのままクルマで下落合へともどってくるのだが、最後まで夫の姿も気配もまるっきり感じられない。また、主婦之友社の写真部も同行した画家も、九条良致の姿をとらえてはいない。連れ立って出かけるのを九条武子に拒否された連れ合いの良致が、クルマだけを下落合へ差し向け、同行した主婦之友記者には一緒に出かけたことにしておいてくれ・・・と依頼したのかどうか、その影も存在感も限りなくはかない。
 わたしが小学3年生のとき、高尾山とその周辺をめぐる遠足があり、ついでに浅川の「多摩御陵」もバスで訪れている。「たまごりょう」という名称を聞いて、確かに卵型をした饅頭のような膨らみがふたつあったので、「卵陵」という名称に妙に納得したものだ。クラスの連中とはしゃぎまわる傍らで、当時担任だった明治生まれのS教師(わたしは思想・信条の違いに関係なく、いまでも厳しかったこの教師が好きだ)が陵墓へ深々と頭を下げていたのが、いまだに強く印象に残っている。
 同じ年の『主婦之友』8月号には、急死する半年前の夏に撮影された、九条武子のめずらしい浴衣姿が掲載されている。彼女が着ている浴衣の柄は、日本画家・鏑木清方との合作デザインだ。
  
 夏の夜は更け易い。月もいつしか落ちたらしく、庭の木立はしだいに暗のとばりに包まれてくる。こゝは市外下落合の、九條武子夫人の閑静なお住居。淡いぼんぼりの火影が、瀟洒な浴衣姿の夫人を、一きは﨟たけくうつくしくしてゐます。夏の夜は静かに静かに更けてゆきます。夫人のお胸には、さぞや美しい歌が、限りなく湧くことでありませう。因に夫人の召すお浴衣は、清方画伯と夫人の合作になる、今年の『主婦之友浴衣』であります。 (同誌「ぼんほりの灯」より)
  
九条武子2.jpg 九条武子3.jpg
 このころの彼女は、ときに婦人雑誌のモデルとして、あるいは各誌へ原稿を執筆することによって、経済的にも夫から本格的に自立しようとしていたのかもしれない。ブタの蚊取り線香に、お盆のぼんぼりが置かれた縁側の浴衣姿は、下落合で最後の夏をすごす九条武子の姿だ。

■写真上は、自邸前のクルマ脇にたたずむ多摩へ出発前の九条武子。は、現在の同所。
■写真中上:下落合の九条武子邸跡。左写真の突き当たり2棟ぶんが、旧・九条邸の跡だ。
■写真中下は、1927年(昭和2)の『主婦之友』4月号に掲載された山内神斧によるイラスト。は、同号の赤塚忠一による「多摩御陵を中心とした東京附近の名所案内図」(部分)。
■写真下は、下落合の自宅縁側でモデルになる九条武子で、急死する7ヶ月前の姿だ。は、1934年(昭和9)の『主婦之友』3月号に掲載された、九条武子の七周忌特集の写真。


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ChinchikoPapa

ブルーノートの「処女航海」は、盤面が擦り切れるほど聴きました。でもなぜか、CDの棚にはなかったりしますが・・・。^^ nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2008-12-12 11:35) 

ChinchikoPapa

紀州蜜柑を送ってくれる知り合いがいるのですが、一度うまいもんがたくさんありそうな和歌山へ行ってみたくなりました。nice!をありがとうございました。>wanさん
by ChinchikoPapa (2008-12-12 11:39) 

ChinchikoPapa

政治に無関心な「政治家」たち・・・というのは、言いえて妙ですね。
nice!をありがとうございました。>納豆(710)な奇人さん
by ChinchikoPapa (2008-12-12 11:43) 

ChinchikoPapa

あこがれの太陽光発電ですが、屋根の傾斜が鋭角だと(つまり尖がり屋根だと)設置できないことを、先日やってきたメーカーの人に訊いて知りました。nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2008-12-12 11:48) 

ChinchikoPapa

ピーターソンの曲は採譜されて、芸大ピアノ科のおもに運指法の教材にされているようですが、インプロヴィゼーションを譜面に起こすところがそもそもクラシカルな芸大らしいですね。nice!をありがとうございました。>mwainfoさん
by ChinchikoPapa (2008-12-12 12:59) 

sig

こんにちは。
この時代の甲州街道とは当然、今で言う多摩川寄りの旧甲州街道でしょうから、多摩川の描写があったりするところを見ると、田畑が広がる景色に飽きて、大国魂神社のある府中を過ぎたあたりから、酔狂に土手道など走ったのかもしれませんね。
by sig (2008-12-12 13:43) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントをありがとうございます。
雑誌の記者やカメラマン、挿画家とも一緒だったでしょうから、途中でドライバーに指示して周辺を散策ドライブしたのかもしれませんね。先日、府中に仕事があってたまたま大国魂神社に寄ったのですが、大きな出雲神の社にびっくりしてしまいました。府中は、古くから馬牧場があったところで競馬場の存在とともに、都内の目黒地域とよく似ていますね。
by ChinchikoPapa (2008-12-12 14:03) 

ChinchikoPapa

わたしも、ここでコンサートのご紹介などしておきながら、このところ土日が急に忙しく聴きに行かれませんでした。nice!をありがとうございました。>komekitiさん
by ChinchikoPapa (2008-12-12 14:05) 

ChinchikoPapa

わたしもブログ以外は、メジャーなDreamWeaverではなく、HomepageBuilderでソースコードを生成しています。ソースをコピーしてブログに貼ると、ぜんぜん違った雰囲気になって新鮮ですね。nice!をありがとうございました。>まるまるさん
by ChinchikoPapa (2008-12-12 17:34) 

sig

こんばんは。
大国魂神社は実は結婚式を挙げたところでして、現在府中へは生涯学習のビデオの関係で足しげく通っております。私自身、府中とこんなに深い縁ができるとは思ってもいませんでした。
by sig (2008-12-12 18:53) 

ChinchikoPapa

えっ、そうでしたか。実は、わたしの知り合いのカメラマンも、この社で結婚式を挙げています。^^ 地域ではとても人気の聖域だとも聞きます。くらやみ祭に象徴されるように、男女の出会いの場、スタートの場としても広く知られていますよね。夜出かけると、誰かに出会えるのでしょうか。nice!をありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2008-12-12 19:08) 

ponpocopon

>こんばんは 義父のお墓があるお寺が西淺川町なので墓参りに行きます。高尾は墓地のメッカですね。
by ponpocopon (2008-12-13 18:43) 

ChinchikoPapa

ponpocoponさん、コメントとnice!をありがとうございます。
実はきょう、高尾から相模湖、裏丹沢のあたりへ行ってきました。散りかけの紅葉はきれいだったのですが、東京に比べて3~4℃気温が低かったようですね。いま、風呂でゆっくり温まってきました。
by ChinchikoPapa (2008-12-13 20:08) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2010-06-15 14:38) 

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