下落合駅を通過する西武電車1960年代末。 [気になる下落合]
少し前に、戦後すぐのころ1950年(昭和25)すぎあたりに撮影された、西武線の写真Click!をご紹介したことがある。今回は、1960年代の後半から1970年(昭和45)ごろにかけて、下落合駅を通過する西武新宿線の姿をご紹介したい。
前の記事でも書いたけれど、わたしは鉄道に詳しくないので、写真にとらえられた車両の種類が西武新宿線に導入されていたなんの種類なのかはわからない。1960年代の後半から70年代にかけ、西武新宿線にはモハ373形、サハ1411形、サハ1412形、モハ501形、サハ1530形などの車両が走っていたらしいが、運転席の窓が3つに分かれている四角い“顔”がモハ373形、どこか当時の湘南電車(東海道線)に似ている、アールがきいた窓がふたつに分かれている“顔”がモハ501形ではないだろうか。
まず、「しもおちあい」という駅名プレートが見える写真から見ていこう。(写真①) 前回と同様に、鉄道ファンにはたいへん恐縮だが写っている電車ではなく、わたしとしては周囲の風景に惹かれるので注目したい。w 西武線のホームで、いましも上り電車と下り電車がすれちがおうとしているが、電車が大きくとらえられている側が下落合駅の上りホームで、カメラマンのいる手前は下りホームだ。
「〇〇作所」と書かれた、大きなコンクリートの建物か見えているが、妙正寺川に面した「正久刃物製作所」の工場だろう。その右手に見える2階建てモルタル仕様の建物は、当時の下落合郵便局だと思われる。正久刃物製作所の向こう側(北側)に、屋根から樹林がのぞいているので、十三間通りClick!(新目白通り)の工事はそれほど進捗していない、1960年代後半あたりに撮影されたものだろう。
つづいて、やはり60年代後半に撮影されたとみられる、上りホームを通過する電車をとらえた写真を見てみよう。(写真②) 左端に、洗濯物が干された2階家がとらえられているが、ホームがカーブする東端に近いこの位置にあったのは松原邸だろうか。その向こうに少し引っこんで見える、下見板張りの家が内田邸ないしは望月邸だろう。
下落合駅のホーム東側の、北へややカーブする線路の先に目白崖線の丘が見えている。その丘上から突きでるように、白いビル状の建物がひとつポツンと片隅にとらえられているが、学習院昭和寮Click!(日立目白クラブClick!)のテニスコートに面した第三寮Click!ではないかと思われる。1960年代は、十三間通り(新目白通り)が存在せず、高い建物が周囲になかったためかなり遠くまで見通せただろう。
次に、東京電力の高圧線鉄塔Click!(旧・東京電燈谷村線Click!)が写る、下落合駅の西側をとらえた写真を見てみよう。(写真③④) この高圧線の一部は、下落合駅の東端にあった西武線の鉄道変電施設に入り、その他の高圧線は田島橋Click!の南詰めにあった東京電力(旧・東京電燈)目白変電所Click!へと向かっていた。
写真2枚の左隅には、人々やクルマが横断する下落合駅西側の踏み切り(下落合1号踏切)が見えている。1970年(昭和45)前後は、十三間通り(新目白通り)がいまだ工事中のため、早稲田通りや小滝橋経由で新宿方面へと抜けられる、補助45号線Click!と名づけられた聖母坂Click!の道筋は、クルマがかなり渋滞して混雑していたとみられる。
最後に冒頭の写真と同時期の、おそらく1970年前後の撮影とみられるが、下落合駅の上りホームを通過するモハ501形に牽引された電車の写真を見てみよう。(写真⑤) 下落合駅の西側には、1960年代半ばに建設された東京学生交流会館(学生援護会)のビルが見えている。この広い敷地(上落合1丁目307番地)は、1950年代まで警視庁第4予備隊(警察予備隊→保安隊→自衛隊)の駐屯施設があった場所で、1960年(昭和35)前後に解体されて空き地となり、60年代半ばに東京学生交流会館が建設されている。
同会館の向こう側にも、北側を妙正寺川に接した当時としてはかなり高層の建築である、1969年(昭和44)竣工の下落合グリーンパークマンションが写っている。また、冒頭写真の右側に写る2階家、写真⑤では電車の上に屋根だけが見えている2階家は、下落合駅のホームに接した野上邸だろう。冒頭写真にもどり、野上邸の右手(東隣り)にとらえられた1階建ての家は吉田邸ではないかとみられる。
さて、わたしが下落合界隈を歩きはじめたのは、1974年(昭和49)の高校時代からだった。したがって、これらの写真にとらえられた情景はリアルタイムで目にしていない。当時は目白駅、または高田馬場駅、あるいは下落合駅を起点にして散策したが、すでに落合地域の十三間通り(新目白通り)は開通し、高い建物が少なかったので見通しはよかったものの、現代の風景と基本的には変わらない街の枠組みができあがっていた。当時と現在とで根本的に異なる点は、下落合の街並みに密集していた樹木の緑が、比較にならないほど少なくなっていることだろう。
なんだか、鉄道写真集のような体裁の記事になってしまったけれど、1950年代に撮影されたとみられる西武線の写真を、新宿歴史博物館Click!の資料室でも見た記憶がある。そこには、中井駅の近辺からとらえられた下落合の丘(現・中落合/中井の丘)が写っていたように記憶している。また機会があれば、こちらでご紹介したい。
◆写真上:1970年(昭和45)前後の撮影とみられる、下落合駅を通過する西武新宿線。
◆写真中:それぞれ、1960年代後半から1970年(昭和45)にかけて、下落合駅のホーム上から撮影された西武線写真。下落合駅の空中写真は、上から下へ1963年(昭和38)、1966年(昭和41)、1971年(昭和46)、1975年(昭和50)撮影のもの。
◆写真下:上は、1960年代に撮影された下落合駅。画面に写る松浦カメラ店は、わたしもフィルムを買った憶えがある。下は、1974年(昭和49)撮影の下落合駅。この情景は実際に目にしており、オレンジ屋根の尖がりフィニアルが懐かしい。
わたしは幸運にも入院経験がないのですが、病院の食事を考えただけでなんだか回復しそうもありません。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ピストンさん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 10:19)
観光客が鹿せんべいをあげなくなって、そこらの新芽が食べつくされてないでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tomi_tomiさん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 10:24)
日航機事故があった前後、ちょうど数週間は海外にいましたので、この事故の記憶はかなり曖昧で希薄です。海外のTVでもトップニュースで伝えられていましたが、当時は報道番組で使われはじめていた初期のぎこちないCG動画で、ジャンボ機の尾翼に赤い鶴のマークが描かれていたのが強く印象に残っています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 10:33)
サンゴは死滅したら、その再生には膨大な時間がかかりますから、被害が拡がらないといいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 10:43)
ギルの4枚目、絶頂期のアルバムですね。ビッグバンド演奏ながら、キンキンと鳴り響くサウンドではなく、どこか温かみを感じる演奏が印象的です。同時期の、マイルスとのコラボ作品の『カケッチ・オブ……』を感じさせてもくれます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 10:49)
ここ数日でツクツクボウシの声が急増していますが、神宮の森もセミ時雨がすごそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 10:52)
帝釈天の参道というと、かき氷を思い浮かべてしまうのですが、このごろ昔ながらのかき氷を出す店が、目立って少なくなっていますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 10:55)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 10:55)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 12:05)
どの写真もとても懐かしく拝見しました。
下2枚の「下落合駅入口」の写真はそれぞれ10年程度の
新旧の違いなのでしょうが、郵便ポストや電話ボックスに
進化が見られるところが興味深いです。
60年代写真の「下落合駅」看板では「西武電車」と
表示されていたのは記憶に残っていなかったので
意外な感じです。
by NO14Ruggerman (2020-08-12 12:44)
NO14Ruggermanさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
わたしも、いちばん下に掲載した下落合駅の写真はなつかしいですね。駅から聖母坂をのぼり、右手にある大谷石の地下室があった廃墟を「クレヨン工場の跡か!」(実際は「グリーンスタディオ・アパート」の廃墟だったのですが)と、ワクワクしながら歩いたのを昨日のことのように憶えています。
駅名看板の「西武電車」は、西武線の開通直後から戦前まで西武鉄道の媒体広告に見られる表現ですが、あまり一般には普及しなかったですね。当時の資料や新聞・雑誌などを見ると、たいがい「西武電鉄」あるいは「西武線」と表現されています。
by ChinchikoPapa (2020-08-12 13:22)
夕立もかなり降りましたけれど、雷鳴もすごかったですね。うちのネコは雷が苦手なのですが、空を見あげながら逃げ腰でした。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 19:35)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 19:36)
明治期にカイコの卵を風穴や氷穴で保存するのは、わたしも聞いたことがありますが、酒樽を保存というのは聞いたことがないです。なんだか、地下の奥深くに貯蔵して熟成させるワイナリーみたいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 21:58)
うちのヤマネコはクーラーが苦手のせいか、涼しくなるとクローゼットの上段へ入りこんで雲隠れします。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>mayuさん
by ChinchikoPapa (2020-08-12 22:50)
こちらは、アブラにミンミン、ツクツクボウシのセミ時雨ですが、今朝6時半に目がさめたら、どこかでヒグラシの声が聞こえていました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2020-08-13 09:46)
行きはそうでもないですが、帰国時の機内で和食が出るとうれしいものですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2020-08-13 09:48)
下落合の駅って、昔はこんなだったのでやすね!
角のなだらかな電話ボックスが時代を象徴してやすね。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-08-13 13:00)
信仰心は本人の主体性の課題であって、人に勧めるものでも、また人を勧誘するものでもないと思いますね。「勧誘する宗教」は、本質的にいかがわしいです。もっとも、自己の主体性が確立されている人は、そもそも「神」などへ依存しないのでしょうが……。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>サボテンさん
by ChinchikoPapa (2020-08-13 13:17)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>みかぶさん
by ChinchikoPapa (2020-08-13 13:17)
ぼんぼちぼちぼちさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
下落合駅の写真で、書かれている角が丸い電話ボックスの時代(1960年代)から、この地域を歩いてみたかったです。まだまだ、建て替えが進んでおらず、大正期からの家屋が落合地域の随所で、かなり残っていた時代なんですね。
by ChinchikoPapa (2020-08-13 13:21)