妖怪学講義から100年後でも「幽体離脱」。 [気になるエトセトラ]
哲学館Click!(現・東洋大学)の井上円了Click!が、「妖怪学講義」で次のような講話をしたのは、およそ1世紀以上も前のことだ。落合地域の西隣りにある井上哲学堂Click!でも、訪れる人々や学生たちに同じような話をしていたのかもしれない。それから100年余、世の中の人々は相変わらず「真怪」Click!に悩まされつづけている。
井上博士による「妖怪学講義」の一部を、1924年(大正13)に帝國教育研究会から出版された『精神科学/人間奇話全集』(文化普及会)の第4巻から引用してみよう。
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宇宙間に真正の真怪無きかと云ふに然らず。真怪は素より存するに相違ない。之を説明すれば、宇宙間の諸現象を分つて、客観主観即ち物心両界にするのが古来のきまりである。而して物界には物の規則があり心界には心の規則があつて、物の規則は物的科学によつて精密に立証せられ、心の規則は心的科学によつて詳細に論明せられ、又其の両界の関係は哲学によつて是亦明示せられてゐる。/是等の諸説に照せば、世間にて伝ふる千妖万怪の疑問は氷釈瓦解して青天白日となる。然るに更に一歩を進め、其物自体は何か、其心自体は何かといふに至つては、物的科学も心的科学も筆を投じ口を緘し、造化の妙、谷神の玄と冥想するのみである。是こそ真正の真怪にして、真の不思議といふものだ。
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井上博士は、物心両面の科学が「千妖万怪」にまっすぐ目を向け、それを解明しようとしないことこそ不思議で奇怪だと皮肉っぽく書いているが、現代科学もまた「千妖万怪」に対しては冷ややかな眼差しを向けるだけで基本的に無力の状態だ。
もっとも、人文科学分野の民俗学者ならともかく、物理学者が「幽霊が出現する法則性について研究したい」などといったり、動物学者が「妖怪の有無をフィールドワークで究明したい」などと表明したり、医学者が「オーラとエクトプラズムの関連性について実証したい」など申請したら、まず当局にはまともに取りあってもらえず、「キミには、休暇が必要なようだね」などといわれ、即座に研究費と研究室を丸ごと没収されるか、場合によっては大学や研究所にはいられなくなるだろう。
井上円了は、自身が創立した学校での講義なので自由にどのような話でもできたのだろうが、ほぼ同じ時期に学習院Click!の院長をしていた乃木希典Click!が、学生たちを前に訓話ならぬ怪談話Click!をしただけで、父母たちからひどく顰蹙をかった事件Click!を見ても、「千妖万怪」現象に対する当時の“科学万能”的な世相を想像することができる。
井上円了は「妖怪学講義」の中で、科学で解明できない「真怪」として、実際に遺族へ直接取材したとみられる短い怪談を紹介している。つづけて、引用してみよう。
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維新前彦根藩士寺澤友雄といふ者があつた。一夜同藩士某が寺澤の邸外を通行せしに、垣の上に半身を顕はし、前後を見廻してゐる人を認め、月の光りに照してみれば、其家の主人である。然るに寺澤は江戸詰にして不在の筈なれば不審に堪へず、翌朝其家に至つて尋ぬれば、夫人も同時刻良人の影の障子に映りしを見たとのことである。其後江戸より急報が来て、果して寺澤は同時刻に熱病で不帰の客となつたことが知れた。
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この事例は、物理的な肉体から「幽体」が離れて別の場所に出現するというケースだが、妻(肉親)と第三者(知人)がほぼ同時刻に目撃していることから幻覚とは思えず、井上円了はどう論理的に考えても説明のつかない「真怪」として紹介したものだろう。「虫の知らせ」というようなことは昔からいわれるが、複数のしかも肉親でもない人間を含めて姿が目撃されるというのは、なんらかの物的ないしは心的な事実なり作用なりがあったのではないかととらえているようだ。
現代の怪談用語でいえば、死者から魂が抜けだす「幽体離脱」ということになるのだろうが、100年前とほとんど変わらずに、この手の話は現代でも数多く語られつづけている。肉体から離れでる「幽体」は、別に死者でなくても起こりうる場合があり、たとえば眠っている間に肉体から「幽体」が抜けだして周囲を徘徊したり、友人・知人のもとを訪れたりする「生霊」怪談も少なくない。ふつうは「きっと、夢でも見てたんでしょ」ということになりそうだが、訪れたこともない友人の部屋に貼ってあるポスターや家具の配置、読んでいる本などを当てられてビックリ……という話が多いようだ。
医療の最前線で仕事をする医師にも、「幽体離脱」を頻繁に目撃しているという人物がいる。面白くてすっかりハマってしまった「月刊住職」Click!(2022年2月号)に連載されている、内科医で医学博士の志賀貢が記録する「多くの死者を看取って体験する幽体離脱という事実」では、医師や看護士の日常として「幽体離脱」が語られている。
現在、年間の国内死者数が約145万人で、うち65歳以上の高齢者の占める割合は約90%だという。著者が勤務する内科では、そのような高齢者の入院患者が多く、必然的にそのまま死去するケースも急増している。同誌より、少し長いが一部を引用してみよう。
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私が当直室で仮眠をとっていると、朝方の四時から五時の時間の間に、ドアをノックする音に目が覚めて、思わず「はい」と答えることがよくあるのです。/確かにノックする音は聞こえていたのですが、ドアを開けてみると、夜明けのひやりとした冷たい風が肌に感じるだけで人影はありません。もちろん、科学を学んできた科学者の末席を汚している者としては、幽霊の存在など信じたことはありません。/しかし、医者ともあろう者が、錯覚で目を覚まし答えてしまうとは、何と情けない話だと、ため息をつきながら、もう一度ベッドにもぐりこみます。/もっとも、このような現象に出くわしているのは私だけではありません。(中略) こうした数々の怪奇現象で一番病棟スタッフを驚かせるのは、幽体離脱という現象です。これも、ある看護師が実際に体験したことですが、夜勤で病棟の見回りをしている時に起こったことです。/――まさに、ベッドで寝ている患者の体から、いきなり人影が身体を離れて宙に浮かび上がりました。思わず息を飲み、ベッド際に立ち尽くしていると、その物体は壁の方に移動して次の瞬間、壁の中に吸い込まれてゆきました。驚いてナースステーションに戻った彼女の様子を見て、ベテランの看護師は、患者の臨終を予感したのでしょう。他の同僚を連れて、その患者のもとに駆けつけました。
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これは、「あたしの友人の隣りに住んでいる、仮にAさんとでもしときましょうか、Aさんの実家の前にある神社の神主さんの大叔母さんにあたる方の息子さん、仮にBさんとしときましょうか、その息子さんの友人で仮にCくんとしときましょうか、が体験したことなんですがね………こんなことって、あるもんなんですね~」と稲川淳二が語っている怪談ではない。現役の内科医がスタッフらの体験とともに証言している現象だ。この入院患者はほどなく死去したようだが、病気ではなく交通事故などで瀕死の状態のまま、救急搬送された重傷患者の場合にも起きることがあるという。
たいていの場合、「全ての現象が幻覚か錯覚ではないか」と済ませてしまうことになるが、著者はいちおう医学者なので、大脳生理学に「幽体離脱」の要因を求めている。大脳の前頭葉の外側、側頭葉の上端に「角回」と呼ばれる領域があり、この機関は脳の中で言語やものごとを認知する機能と、密接につながる重要な役割をもっているという。この部分へ電気的な刺激を与えると、「幽体離脱」が起きることがあるとしている。
しかし、脳の一部を刺激しただけで、なぜ当人と同様の姿かたちをした、あるいは影のようなもうひとりの人物(幽体)が出現するのかが、これではまったく説明されておらずわからない。肉体の一部である脳は物的な実態だが、「幽体離脱」で出現するモノは、ではいったいなんなのかが不明のままなのだ。井上円了なら、すぐに「物的物体」と「心的物体」などと分類しはじめそうな気がするが、思考をつかさどる脳を刺激しただけで、誰でも「目に見えるモノ」が出現すること自体、すでに物理学からは逸脱しているだろう。
それが、人間に備わった本来の「生理現象」のひとつであるならば、ぜひ医学の観点から脳の研究を深めていただきたいと思うのだが、おそらく現状だと誰からも研究費や研究施設、研究設備などは提供されないにちがいない。おそらく、著者もそのことをよく承知していて、学会誌ではなく「月刊住職」へエッセイとして寄稿しているのだろう。
余談だが、同誌には「僧形俗形世間法」というコーナーがあって、いろいろ社会的なニュースが掲載されている。2022年2月号には三重県松阪の坊主が、トンネル内の道路で自転車に乗った人をひき逃げし、警察に逮捕された記事が紹介されている。逃げた理由について、これから葬式があるから急いでいたということだが、ひかれたのは78歳の高齢者で、被害者の救護もせずに葬式がもうひとつ増えたらどうするつもりだったのだろう。人を救うはずの宗教者がひき逃げするとは、これこそ21世紀の「真怪」というべきだろうか。ちなみに、自転車に乗っていた方は「み仏のご加護」かどうかは知らないが幸いケガで済んだようだ。
◆写真上:井上円了の墓所である、西落合に隣接する江古田の蓮華寺。
◆写真中上:上は、1896年(明治29)に哲学館から出版された井上円了『妖怪学講義-理学部文・医学部門』(左)と著者の井上円了(右)。中は、蓮華寺にある井上円了の墓。下は、昭和初期に撮影された幽霊姐さんClick!のいる井上哲学堂の哲理門。
◆写真中下:上は、同じく昭和初期に撮影された井上哲学堂の四聖堂。中は、田畑が拡がる上高田側から妙正寺川をはさんで眺めた昭和初期の撮影とみられる和田山Click!の井上哲学堂。下は、哲学堂のシンボル的な六賢台から眺めた四聖堂。
◆写真下:上・中は、六賢台の内部。下左は、1924年(大正13)出版の文化普及会・編『精神科学/人間奇話全集』(帝國教育研究会)。下右は、2022年に刊行された「月刊住職」(興山舎)掲載の志賀貢「多くの死者を看取って体験する幽体離脱という事実」。
★おまけ
今年、下落合にやってきたウグイスはせっかちなのか、早朝からのべつまくなしに鳴きつづけている。何度かに1回はきれいな鳴き方をするけれど、たいていヘタで耳ざわりだ。
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