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松下春雄と村岡花子の『お山の雪』。 [気になる下落合]

お山の雪カバー.JPG
 数年前から、わたしは1928年(昭和3)に青蘭社書房から出版された村岡花子の童話『お山の雪』を探し歩いてきた。古書店ではまったく見あたらず、図書館でも収蔵しているところは数が少ない。なぜ、これほど『お山の雪』にこだわっていたかといえば、同書の装丁および挿画を担当しているのが、松下春雄Click!だったからだ。
 青蘭社書房の同書を、どうしても手にしてみたいので時間を見つけては古書店をのぞいていたのだが、この2年余の間、ただの一度も見かけたことがなかった。思いあまって、「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」Click!へご連絡を差し上げたところ、村岡花子のご子孫である村岡美枝様と村岡恵理様より、さっそく保存されていた同書の写真をお送りいただいた。(冒頭写真) しかし、『お山の雪』の装丁は、わたしが想定していたデザインとはまったく異なっていた。『お山の雪』の装丁デザインには、どうやらもうひとつ別のバリエーションが存在するようなのだ。
 わたしが、西落合の旧・松下春雄アトリエClick!跡の邸にお住まいの、山本和男様・彩子様夫妻Click!をお訪ねしたとき、「こんなものが出てきました」と見せていただいたのは、『お山の雪』のために描かれたとみられる原画の一部だった。ブルーに塗られた紙の地に、雪をいただいた山々が白く描かれ、その上に「お山の雪」というタイトルが、やはりホワイトの絵の具で右から左へ描かれていたように記憶している。青色はそれほど濃くはなく、やや灰をまじえたようなパステル調の上品なブルーだ。原画のサイズはそれほど大きなものではなく、A4サイズぐらいではなかっただろうか。わたしは当然、そのイラストが同書の表紙に使われた原画だと想定していた。
 ところが、村岡様に送っていただいた画像を見ると、わたしが山本夫妻の邸で拝見した絵柄とは、まったく異なる装丁であることがわかった。では、わたしが拝見した原画は、本を開いた中扉に用いられた絵なのだろうか? どうしても気になったわたしは、古本市場に同書が出るのを待ちきれず、国会図書館に収蔵されている『お山の雪』を参照してみた。でも、山本様が保存されている『お山の雪』の原画は、どこにも使用されてはいなかったのだ。つまり、松下春雄のご子孫である山本夫妻が保存している作品は、『お山の雪』原画のバリエーション作品ということになる。
お山の雪表紙.jpg お山の雪裏表紙.jpg
お山の雪内扉.jpg お山の雪装丁松下春雄.jpg
 松下春雄は、村岡花子の夫であり青蘭社書房の代表だった村岡儆三とどこかで知己をえていたか、または村岡花子となにかの機縁で知りあっていたのか、あるいは誰かの紹介による装丁デザインおよび挿画の仕事だったのかは不明だが、大森新井宿西沼613番地にあった青蘭社書房からの仕事を引き受けている。当時の松下春雄は、帝展に毎年入選を繰り返す有望な若手画家として周囲から見られていたと思われるのだが、ひょっとすると帝展を観賞しにでかけた村岡夫妻が松下作品に目をとめ、彼のもとへ制作をじかに依頼している可能性もあるだろう。
 松下春雄は、村岡花子の作品を読んだあと表紙や内扉のデザインを何案か制作し、今日的ないい方をすればカラーカンプを携えて、村岡夫妻へプレゼンテーションしているにちがいない。実際に採用されたのが、もっともお奨めの「A案」だったのか、それとも山本様のもとに残るシンプルな表現のほうが「A案」だったのかは定かではないが、村岡夫妻は山々を背景に前面へ家族たちがシルエットになった、西洋風の家をスケルトン状に描いた案のほうを採用している。そして、本作のほうが印刷所へ反射原稿として入稿され、松下アトリエにはプレゼンで採用されなかったデザイン案、すなわちバリエーション案のほうが残った……、そのような経緯ではなかったかと推測できる。
 『お山の雪』には、36話にわたる村岡花子のオリジナル童話が収録されている。松下春雄は、それらの童話の合い間にも5枚の挿画を制作した。彼は、児童書の挿画の仕事が好きだったらしく、1928年(昭和3)の『お山の雪』の出版からわずか5年後に白血病で急逝Click!するまで、何度か児童書の挿画を担当している。昭和初期に刊行がつづけられた、『小学生全集』第35巻(文藝春秋社)にも松下は何度か作品を寄せている。これは、自身も子育ての真っ最中で、子どもたちがかわいかったからにちがいない。松下春雄アルバムClick!を見ていると、彼の子煩悩さが伝わってくる写真が多い。
お山の雪01.jpg お山の雪02.jpg
お山の雪03.jpg お山の雪04.jpg
お山の雪05.jpg お山の雪奥付.jpg
 『お山の雪』が出版された1928年(昭和3)、松下春雄が表紙画や挿画を描いたのは下落合1385番地Click!、すなわち目白文化村Click!は第一文化村の北側にあったアトリエ時代Click!ということになる。帝展の水彩画家から油彩画家へと、ちょうど従来の作品表現からの脱却を試みていた時期であり、いろいろな意味で新しい表現や方法に挑戦していた時代だと思われる。このころから晩年にかけ、松下はモチーフを風景中心から人物中心へと徐々にシフトしていく。そんな制作の転回点における、松下春雄による『お山の雪』のデザイン表現だった。
 1928年(昭和3)9月の第9回帝展で、松下春雄は5回めの入選をはたしている。しかも、この年の入選作は100号の油彩画だった。「本年は水彩画をやめて油画を出品いたし、御陰にて百号の大作の撰いたしました。今年にて五回連続の撰いたしました」と、率直な喜びを熊沢一衛あての手紙(10月17日付け)に書いている。おそらく、この大作を仕上げている最中に、『お山の雪』の仕事も並行してつづけていたのだろう。松下春雄のきわめて真面目な性格から、どちらの仕事も全力投球だったにちがいない。
村岡花子.jpg 松下春雄.jpg
西落合松下春雄アトリエ.jpg
 現在、「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」は残念ながら休館中だが、同館に展示されているさまざまな資料が巡回展覧会「モンゴメリと花子の赤毛のアン展~カナダと日本をつないだ運命の一冊~」へ出品されている。東京では、日本橋三越で今年(2014年)の5月21日から6月3日まで開催されるので、興味がおありの方はぜひお出かけを。

◆写真上:村岡様よりお送りいただいた、村岡花子『お山の雪』(1928年)の装丁。(写真提供:赤毛のアン記念館・村岡花子文庫)
◆写真中上は、国立国会図書館に収蔵されている『お山の雪』の表紙()と裏表紙()。は、中扉()と松下春雄の装丁・挿画クレジット()。
◆写真中下:松下春雄が描いた挿画5点と、『お山の雪』の奥付(下右)。
◆写真下は、村岡花子(写真提供:赤毛のアン記念館・村岡花子文庫)と松下春雄()。は、西落合のアトリエで撮影された彩子様(左)と苓子様(右)で、背後には巨大なキャンバスと画布のロールが見えている。


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コメント 35

ChinchikoPapa

「ぐんまちゃん」は、なぜかいつも赤い蝶ネクタイなのですね。
nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 13:41) 

ChinchikoPapa

アイラーの曲には、ときどき楽天的で底抜けに明るいメロディラインが登場しますね。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 13:49) 

ChinchikoPapa

古いドラマで、仲代達也と田村正和が主演した『砂の器』では、長嶋茂雄の引退試合が随所に挿入されていたのが印象に残っています。nice!をありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 13:54) 

ChinchikoPapa

春は気圧が乱高下するせいでしょうか、いまいち体調がよくありません。nice!をありがとうございました。>沈丁花さん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 13:57) 

ChinchikoPapa

もうすぐサクラにつづき、ハナミズキが美しい時季ですね。
nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 14:00) 

ChinchikoPapa

「花電車」というと路面電車で別の意味になりますが、まさに花薫る電車ですね。nice!をありがとうございました。>hanamuraさん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 14:02) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 14:05) 

ChinchikoPapa

水道橋には、わたしもいろいろな想い出があります。思い出のある場所に立つと、時間の流れの速さを感じますね。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 14:12) 

ChinchikoPapa

シャガの群生を見ると、本格的な春の到来を実感しますね。
nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 14:15) 

ChinchikoPapa

千鳥ヶ淵には、横浜の中華街が出店しているんですね。
nice!をありがとうございました。>八犬伝さん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 17:37) 

ChinchikoPapa

なるほど、シェルブールにあった雨傘店の娘だったドヌーブは、雨傘工場の社長夫人になっていたわけですか。w nice!をありがとうございました。>makimakiさん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 17:43) 

ChinchikoPapa

だし巻きオムレツというのは、食べたことがないですね。初めて聞きました。nice!をありがとうございました。>カァズさん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 17:47) 

ChinchikoPapa

ネットワークは技術的な側面からも、巨大な変革がそこまで迫っていますね。アナログ→デジタルに匹敵するイノベーションだという方もいます。nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 18:32) 

ChinchikoPapa

奈良井宿は電線に通信ケーブルが見えず、美しい街並みですね。
nice!をありがとうございました。>hide-mさん
by ChinchikoPapa (2014-04-11 21:03) 

ChinchikoPapa

近くの寺では、そろそろボタンのつぼみが大きくふくらんでいます。
nice!をありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2014-04-12 00:11) 

ChinchikoPapa

カフェベローチェの「鮮度か落ちる」は、近来にないあからさまな言質ですね。評判が大事な客商売で、なにも考えずに口走ったものでしょうか。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2014-04-12 16:29) 

ChinchikoPapa

原三溪の息子と岸田劉生は親しく、劉生は頻繁に三渓園を訪れていると思いますが、三渓園をモチーフにした作品はいまだ見たことがありません。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2014-04-12 16:32) 

ChinchikoPapa

朝の挨拶ひとつで、その日の気分ががらりと変わることもありますね。
nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-04-12 19:18) 

アヨアン・イゴカー

この絵の筆致、とてもモダンで、懐かしさを感じさせます。暖炉の前なのに着物姿、火鉢を囲んでいるのに、どことなく異国情緒が漂う。こういう描き方、同時代に生きていないにも拘らず懐かしく感じられます。
by アヨアン・イゴカー (2014-04-13 12:56) 

ChinchikoPapa

真鯛の手毬図師とロワールの白は、抜群に相性がよさそうですね。
nice!をありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2014-04-13 20:35) 

ChinchikoPapa

浜辺のマングローブ林というと、すぐにクラブ(カニ)を思い浮かべてしまいます。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2014-04-13 20:45) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントをありがとうございます。
西洋館に畳部屋があって、そこでは火鉢の生活だったんでしょうね。外観はライト風の西洋館でも、南に面した応接室だけは別にして、他のすべての部屋は和式……という住宅が、下落合にもありました。
by ChinchikoPapa (2014-04-13 20:57) 

ChinchikoPapa

きょうは、道路沿いのハナミズキが満開でした。
nice!をありがとうございました。>くらいふさん
by ChinchikoPapa (2014-04-13 21:06) 

ChinchikoPapa

うちのネコは起きないと起こしにきましたが、イヌは待ってるんですね。
nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-04-13 21:14) 

ChinchikoPapa

目を奪う、見事なエドヒガンザクラですね。
nice!をありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2014-04-13 21:20) 

ChinchikoPapa

甘くて香ばしそうなスウィーツですね、コーヒーにも合いそうです。
nice!をありがとうございました。>redroseさん
by ChinchikoPapa (2014-04-13 21:25) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>ミュゼさん
by ChinchikoPapa (2014-04-14 17:35) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>suzuran6さん
by ChinchikoPapa (2014-04-15 12:21) 

Marigreen

子供が赤毛のアンシリーズが好きでした。私は染まらなかったけど。『赤毛のアン』村岡花子さん以外の訳者いるのでしょうか?私は『シャーロックホームズの冒険』シリーズを阿部知二さん以外の訳で読みたいというのが夢ですが。
by Marigreen (2014-04-15 17:55) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
モンゴメリの「アン」シリーズは、実は読んだことがないのですが、NHKの朝ドラで村岡花子がヒロインとかで、再び注目を集めているようですね。翻訳者は、ほかにも何人かおられるのではないでしょうか。
「ホームズ」シリーズは、それこそあまたの翻訳者たちが手がけていたかと思います。
by ChinchikoPapa (2014-04-15 19:36) 

ChinchikoPapa

重ねて、こちらにもnice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-04-15 19:39) 

ChinchikoPapa

こちらにも、ごていねいにnice!をありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2014-04-21 22:27) 

ChinchikoPapa

描かれてる煙突は、とんでもない高さですよね。
nice!をありがとうございました。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2014-04-22 22:59) 

no_nickname

私も村岡恵理さんを存じ上げています。展覧会に参加させていただいたギャラリーのお手伝いを恵理さんがされていた時期があり、お世話になりました。
by no_nickname (2014-04-29 22:06) 

ChinchikoPapa

ナカムラさん、すみません。この記事のコメントを、見逃してしまいました。<(__)>
わたしは、メールでやり取りをさせていただいているだけですが、松下アトリエ(山本邸)から『お山の雪』の別デザインが見つかれば、ぜひお見せしたいと思っています。



by ChinchikoPapa (2014-05-22 18:00) 

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