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富永哲夫博士による家庭衛生の常識。(3) [気になる下落合]

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 富永哲夫Click!『家庭衛生の常識』Click!(帝國生命保険/1932年)は、庶民が気軽に読めるようできるだけユーモアをまじえて書かれているようだが、博士は非常にマジメで学究肌の性格だったものか、その“笑わせどころ”ですべっているような感覚をおぼえる。衣服と衛生のテーマでも、冗談なのかマジメなのかが不明な記述がある。
 生活に必要な衣服について、人間がすべて裸体のまま暮らせるようになったら、「婦人の心理状態」に大きな変化が起きるだろう……という出だしからはじまっている。衣服と衛生を論じるにあたって、全裸生活での「婦人の心理状態」について触れることが、はたしてどれほどの意味をもつのかは不明だが、気温が30℃ほどあればできないことはないが、日本の(四季のある)気温だと「辛抱できない」だろうなどと書かれている。おそらく、ユーモアのつもりで冗談をいっているようなのだが、ピクリとも笑えないのだ。
 それにつづき、衣服は人間の体温を調節し身体を保護して、ときに外見をよく見せるという重要な役割をになっている……と、当時もいまもありまえのような記述のあと、しかしながら「食ふ物も食はずに着物をもつて飾るのは主客転倒」と、これもいわずもがなのことを書いているので、ひょっとするとこの一文全体を冗談のつもりで書いたのだろうか。
 どこまでが冗談で、どこまでがマジメな文章なのかがわからない、読み手を困惑させるような表現がつづく。あるいは、衣服についてはあまり書くことがないので、規定の原稿枚数を埋めるために「ここらで、少し読者を笑わせてやろう」というような、富永博士の思惑からつまらないことを書いてしまったのだろうか。
 衣服の通気性が悪ければ、体表面と衣服との間の換気がうまくいかず、蒸し暑く感じて不快だ……というような、当時もいまも誰もが周知のことを書きつつ、ようやく医師らしいアドバイスが登場するのは章も終わりに近いあたりだ。同冊子より、引用してみよう。
  
 衣服の湿潤と不潔とは人間に不快を感ぜしめるのみならず、衣服の保温性や通気性を悪くして衛生上よろしくないことは云ふまでもない。即ち常によく洗濯して衣服の性質を良好ならしむべきである。他人の着物を使用するには日光消毒、蒸気消毒或は「フオルマリン」消毒等を行へば完全である。/尚注意を要するは着衣法である。過度の着用と甚しき圧迫を避けなければならぬ。我国の女子が用ひる帯や、欧州婦人の「コルセツト」などは改良を要する所であらう。身体運動を妨げることなく、血液の循環に障碍を来さないやうに注意しなければならぬ。
  
 他人の着物を借りて着るのは、当時としてはめずらしくなかっただろう。街中の古着屋を利用することも多く、また今日のレンタル衣装と同様に、冠婚葬祭では誰かから着物を借用して着ることはふつうに行われていた。ただし、日光消毒(虫干し)やスチーム消毒ならともかく、フォルマリン消毒などをされたらきつい刺激臭が残留し、返却するときに文句をいわれかねなかったのではないだろうか。それに、フォルマリン消毒をした着物から発生するガスで、頭痛や吐き気、結膜炎、鼻炎、気管支炎、肺炎などを誘発しそうだ。長時間にわたり吸いつづければ、めまいや意識障害などを招来しかねない。
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 昭和初期は、まだまだ女性が和服を着る機会が多かったのだろうが、今日では先の冠婚葬祭や正月、成人式、卒業式など特別な機会でもない限り和服は着ないだろう。コルセットにいたっては、コスプレが趣味でもない限り目にすることさえまれだ。また、当時は所有する洋服の数が少なく、今日のように乾燥機もないので、梅雨どきなど洗濯をしてまだ生乾きの状態でも、着替えがないのでやむをえず着て出かけるようなこともあったのだろう。いまでは、ほとんどなくなってしまった衛生課題ばかりだ。
 衣服の保温作用について、繊維素材の性質や織り方などにも触れている。熱の伝導力が低い数値の素材ほど、保温する力が(あたりまえのことだけれど)大きいとし、空気の熱伝導を100とすれば、それぞれ繊維素材の伝導比率は次のようになるとしている。
 ・毛(メリヤス)……127
 ・絹(メリヤス)……172
 ・木綿(メリヤス)…188
 ・麻(メリヤス)……222
 「メリヤス」は繊維の織り方(編み方)のことで、布地の条件を同じにして熱伝導率を比較したものだろう。いうまでもなく、熱伝導率が低く熱が逃げにくいのは毛織物で、もっとも熱が発散しやすく涼しいのは麻布ということになる。
 富永哲夫は服飾の衛生の次に、太陽光による健康への効能を書いている。都市部では、家々が密集して陽当たりが悪く、結核患者などが多かったことから、太陽光線を無条件に肯定し賞賛している。今日のように、その放射線(紫外線など)を長時間にわたり、必要以上に被曝しつづけることによって生じる障害や疾病などについては、いまだ研究が進んでいない時代なので触れられていない。
 太陽光を浴びる健康法について、富永哲夫の注意点は住宅の設計にまでおよんでいる。古い格言の「日光の見舞ふ家には医者来らず」を引用し、日光が多く射しこむ住宅の設計を推奨している。陽射しがあたらない家に住んでいると、精神が沈鬱して徐々に神経過敏となり、消化器官の疾病が起こりやすくなるとしている。また、陽当たりの悪い部屋だと新陳代謝の機能が低下して体調を崩しやすくなり、殺菌力のある日光が少ない家には細菌がよく繁殖して、伝染病をはじめ疾病が発生しやすいとも書いている。
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 そして、住宅建築における日光の採り入れ方を、具体的な設計にまで踏みこんで解説している。南向きに設置された、居間やサンルームを推奨しているのは当然としても、太陽光は時間によっても季節によっても強弱があって移ろうので、おそらく画家などを想定しているのか「寧ろ北面するが利益が多い」と、これまたいわずもがなのことを書いているので、どうやらこの章も原稿のマス目を埋めるのに苦労しているのかもしれない。
 富永哲夫が、衛生技師として住宅設計における具体的な指摘をしているのは、衣服の項目と同様に章も終わり近くになってからだ。同冊子より、再び引用してみよう。
  
 次に注意すべきは窓の大きさである。充分なる光度を得るには窓の大きさは床の面積の五分の一以上でなければならぬ。然しながら八分の一乃至七分の一を以て先づ満足してよいとも云はれて居る。勿論如何に窓が大きくとも若し窓外に光線を遮るものがあれば不充分となることがある。室の一点より窓の上縁に引いた線と同じく、この一点より窓外の遮光物体の上縁を結んだ線となす角を開角と名付ける。この開角の大きさがその点の明るさを支配するものである。室の何れの点に於ても、開角が五度以上あるがよい。又室内の床或は机等の一点に於て、その点と窓の縁を結ぶ線がその平面となす角度を入射角と云ふ。入射角の大なる程光明の度が大である。一般に入射角二八度以上なるをよしとされてゐる。これを大ならしめんとするには窓を高くするか、又は室の奥行を小ならしめなければならぬ。一般に室の奥行は床より窓の上縁までの長さの一倍半以内にすべきものである。
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 この28度の入射角については、隣家を想定した図版を描いて解説しているが、留意すべきは窓掛(カーテンのこと)や障子の有無によって、(あたりまえのことだが)日光が遮られてしまう点だ。障子の場合は、48.5%の日光を遮断し、障子紙が古くなって汚れている場合は70.7%も遮ってしまうとしている。また、カーテンはできるだけ日光を遮らないよう、白色で薄手の木綿繊維を推奨している。
 おそらく、東京市の衛生試験所でいろいろな実証実験をしているのだろう、透明なガラス窓の光量を100%とすると、不透明な磨りガラスでは約75%に落ちてしまうと書いている。また、新しい障子紙では約50%の光量を確保できるが、古い汚れた障子紙では約30%に減衰するとしている。さらに、白いカーテンでは透明な窓ガラスに比べて約20%の光量しかなく、灰色のカーテンにいたっては約10%の光量しか得られないと書いている。
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 でも、今日的な視点で考えてみれば、単純に「光量(光の明度)=太陽光の効用」とはならないだろう。太陽から放射されて地球にとどく紫外線などの放射線の多寡が、殺菌作用や疾病予防など健康維持と密接に結びついている重要なファクターだ。確かに、部屋が明るければ目を悪くする可能性は低くなるし、部屋も温まって健康にはいいかもしれないが、カーテンにしろ障子にしろ磨りガラスにしろ、太陽光のメリットである放射線をどの程度透過させて家内で活用するかが要点であって、光量(明度)の問題とはまた別のテーマだろう。

◆写真上:絹雲がかかる陽光をあびる、秋の落合第四小学校Click!の校舎。
◆写真中上は、大正中期に制作された渡辺ふみ(亀高文子)Click!『キャンバスの女』。は、現代では慶事や祝事などでしか着られなくなった和服。
◆写真中下は、現代でも洗濯物の天日干しはもっとも効果がある衛生的な殺菌法。は、住宅建築における南向きの部屋への太陽光の入射角と窓の位置関係。は、ようやく下落合の深い谷戸にも陽光が降りそそぐようになる初夏のころ。
◆写真下は、下落合310番地の御留山Click!相馬孟胤邸Click!の南東角に設置された居間(サンルーム)。は、庭へ出るドアのついた西洋館の典型的なサンルーム。

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