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下町で和栗のマロンパフェ食べくらべ。 [気になる下落合]

銀座千疋屋窓辺.JPG
 秋になると毎年、栗好きなわたしとしてはマロンパフェが食べたくなる。いつだったか、東京の代表的なフルーツパーラーClick!(江戸期には水菓子屋)のパフェをご紹介したことがあったけれど、江戸期の1846年(弘化3)に創業し落語にも登場した神田「万惣」が、事業継続を考慮しない東京都に耐震設計未満とされてつぶされてしまい、かわりに新宿のタカノフルーツパーラーを加えて東京の「3大パフェ店」としていた。
 でも、(城)下町Click!が故郷で味覚もそれに近いわたしとしては、フルートグラスのような細い容器に入った、オシャレで甘みを抑えた乃手っぽいタカノフルーツパーラーのパフェよりも、やはり下町の千疋屋や資生堂のほうが性にあっているらしい。そこで、マロンパフェの食べ歩きではないけれど、改めてパフェの美味しい下町の店「4大パフェ店」をご紹介したい。その多くが、江戸期や明治期にスタートした水菓子屋の時代から営業している店舗で、そのうちの2店はわたしの先祖たちが常連だった店だ。
 まず、1834年(天保5)創業の日本橋千疋屋の総本店だが、2022年の秋には和栗を十分に確保できなかったものか、オーソドックスな本来のマロンパフェを提供していなかった。「国産渋皮栗のパルフェ」という、マロンパフェもどきの商品は10月から出していたが、いつものスタンダードなマロンパフェとはまったく異なる商品なので今年はスルー。ここの本来のマロンパフェは、大きなパフェグラスにモンブランアイス、マロンクリーム、生クリーム、バニラアイス、そしてふんだんな渋皮和栗を丸のままあるいは砕いて用い、パイ生地を焼いたビスケットにセルフィーユ(ハーブ)を添えた仕様だった。
 マロンパフェをひとつ頼み食後にコーヒーを飲むと、もう昼食がいらないほどの充足感や満腹感を憶え、その量や料理法が他店を圧倒しているのは、フルーツパフェと同様にマロンも同じだった。「あ~、美味しかった」だけで客を帰さず、「今年の秋は、もうこれで満足したからいいか」と思わせる、圧倒的なCS(顧客満足度)を提供してくれる店だ。料理にはうるさかったらしい父方の祖母が常連だったのも、むべなるかなという気がする老舗だ。
日本橋千疋屋本店.jpg
日本橋千疋屋.JPG
 さて、日本橋千疋屋総本店からのれん分けして独立したのが、1881年(明治14)の京橋千疋屋本店だ。同店および銀座千疋屋本店もそうだが、いかに元祖の日本橋千疋屋総本店とのちがいをアピールし、料理の差別化をはかるのかが、代々つづく最大のメニュー課題だったろう。京橋千疋屋本店のパフェ類は、量がやや少なめで食事のあとのデザートか、小腹の空いた3時のおやつには最適だ。
 秋になると毎年「和栗のパフェ」をメニューに載せているが、それを単独で注文するというよりも、同店で食事をしたあとデザートの楽しみとして味わう、あるいはおやつに注文してコーヒーや紅茶とともに味わうのが本来のコンセプトなのだろう。渋皮和栗を用いたモンブランクリームにバニラアイス、渋皮つきの和栗、パイ生地のフレーク、コーヒーゼリー、そしてチョコレート(マロンチョコ?)をトッピングしている。
 京橋千疋屋本店では、面白い経験をしている。わたしが午前中の早めに出かけたせいか、「和栗のパフェ」を注文すると、スタッフのお姉さんがちょっと困った顔をした。ほかのパフェならすぐにできるが、きょうのぶんの和栗が遅れていまだとどいていないという。わたしがメニューを眺めながら、よほど残念な表情をしていたのだろう、「少々お待ちください」といって一度奥へ引っこみ料理スタッフと相談してからもどると、「少しお時間をいただけますか? すぐに手配をいたしますから」と答えた。
 およそ15~20分ほど待っただろうか、店にはとどいていなかったはずの和栗を使った同店ならではのパフェが、テーブルへ魔法のように出てきた。おそらく、注文を受けた料理スタッフのひとりが自転車かクルマかはわからないが、京橋通りを北上して日本橋をわたり日本橋千疋屋総本店で和栗を分けてもらったか、あるいは京橋通りを南下して銀座通りの4丁目で右折し、銀座千疋屋本店で分けてもらったのではあるまいか。それぞれの地域で本店を名のってはいても、先祖は同じ江戸期からつづく水菓子の大店(おおだな)なので、素材を融通しあうフレキシビリティが、そのまま現在もつづいているのかもしれない。
京橋千疋屋本店.jpg
京橋千疋屋.JPG
 服部時計店(和光ビル)Click!の斜向かいにある、その銀座千疋屋本店だが創業は1894年(明治27)といちばん新しい。当初は「新橋千疋屋本店」という名称で、汐留にあった旧・新橋停車場Click!の近くに開店していたようだが、東海道線の軌道筋が大きく変わり新・新橋駅Click!東京駅Click!が竣工した1914年(大正3)以降に、銀座商店街Click!の繁栄を横目でにらみつつ、数寄屋橋筋の現在地へ移ってきたものだろう。創業130年近い老舗だが、のれん分けした千疋屋本店の中ではもっとも新しい店舗だ。
 ちょっと余談だけれど、最近「老舗(しにせ)」という言葉をよく耳にするが、「昭和15年の戦前から営業している老舗です」などと聞くと、非常に奇異な感じをおぼえるのはわたしだけではないだろう。この地方で「老舗」といえば、少なくとも100年以上(4~5代以上)つづいた店でないと老舗とは呼ばないので、1~3代で築いた店は「古い店」「親の代からの店」ではあっても「老舗」とはいわない。「1970年代の初めからつづく喫茶店の老舗です」にいたっては、「オレと同時代じゃん、どこが老舗なんだよ!」と反発したくもなる。おかしな言葉や用法は、いつかの「世界観」Click!と同様、どこかに書いて残しておかないと誤りがそのまま継承され、定着しそうなのでとっても気持ちが悪い。
 銀座千疋屋本店は、千疋屋の中では唯一むき栗を使った「和栗のパフェ」で、渋皮はきれいにそぎ落としてある。渋皮栗はマロンアイスに用いられ、バニラアイスに生クリーム、丸ごとあるいは砕いたむき栗をふんだんに使って、最後にセルフィーユを添えている。千疋屋各店のパフェ料理では、もっともシンプルで“基本に立ち返った”ような仕様をしている。オリジナリティを追求した演出や妙な気どりがなく、おそらくマロンパフェをたっぷり味わいたいというストレート志向のお客には、もっともフィットする店ではないだろうか。
銀座千疋屋本店.jpg
銀座千疋屋.JPG
 さて、最後はご想像どおり、1902年(明治35)創業の銀座資生堂パーラー本店だ。同店が開店したのは1902年(明治35)だが、松本順Click!が早稲田に創設した蘭疇医院Click!に、彼の西洋医学校での教え子だった福原有信が売薬合資会社「資生堂」を創業したのは、明治初期の1971年(明治4)ごろのことだ。その後、すぐに銀座へと移転し、1872年(明治5)に「銀座資生堂薬局」と社名を変更している。
 現在の資生堂の沿革には、早稲田における松本順の蘭疇医院との関係や、創業由来のエピソードには触れず、1872年(明治5)の銀座への移転時からしか掲載されていない。おそらく、彰義隊や靖共隊を支援し監獄へ放りこまれたにもかかわらず、薩長政府にタテつきつづけた醤油の大店・亀甲萬Click!(キッコーマン)が、大正期に法人化されてからの沿革しか掲載しないのと同様、敗戦まで薩長政府流れの国に忖度・遠慮した記述を、戦後もそのまま踏襲しつづけ訂正していないのだろう。銀座資生堂に喫茶部門が設置され、それが資生堂パーラーとしてオープンしたのが1902年(明治35)というわけだ。すでに薩長政府流れの国家は、とうに破産・滅亡しているのだから、両社とも遠慮せずに江戸期に由来する創業者の経緯や社の沿革もちゃんと載せてほしい。
 同店で出すマロンパフェは、「和栗のモンブランパフェ」と名づけられている。モンブランアイスにミルクアイス、モンブランクリーム、生クリーム、紅茶(ダージリン)ゼリー、渋皮和栗の丸ごととピース化したものをたっぷり加え、トッピングにはチョコレートのスティックにアーモンドとキャラメルのフロランタン、おまけに和栗の上には金箔が添えられている。とても贅沢で複雑な組み合わせだが、こなれた風味でさすが“喫茶店の王者”ならではのパフェだ。そう、先の千疋屋の3点は“フルーツパーラーの王者”だが、資生堂は店名にパーラーとついていても、昔から銀座を散歩する家族連れが立ち寄る喫茶店のイメージが強い。以前にも書いたが、大人から子どもまで楽しめる万人受けしそうな風味であり、それぞれのアイスやクリームなどの作り方も同店ならではの伝統的なレシピだろう。中には、曽祖父母たちが楽しんだメニューも、そのままの味で残しているのかもしれない。
 わたしが同店へ出かけたとき、見まわせばお客は全員が女性で寿司屋や焼き肉屋、牛丼屋へひとりで入ったときの女性は、おそらくこんな気持ちになるのではないかと想像してしまった。ただし、資生堂パーラーの接客マナーはピカイチで、前に訪れたタカノ本店のパフェリオのように男が座っても不審そうな顔はされずw、差しだされたメニューの1点をすぐ指さしたわたしに、かなり年配の女性スタッフは「お決めになっていらっしゃったのですね!」と、嬉しそうにメニューをたたむと急いで厨房に消えていった。
 それにしても、午前中の出勤前と思われる女性が、パフェにコーヒーあるいは紅茶を飲んでいるのに、改めて銀座資生堂パーラーが昔から“喫茶店”のイメージのままであることに気づく。かなり高くつく「朝食(?)」がわりなのだろうが、朝から豪華なパフェを食べてランチのとき胃もたれをしないのだろうか。いや、人のことは決していえないけれど……。
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銀座資生堂パーラー.JPG
 この(城)下町4店で改めて気づいたのは、渋皮をむいた和栗を用いる銀座千疋屋本店のオーソドックスなマロンパフェが、かなり美味で強く印象に残る点だ。やはり、シンプルで飾らない正統的(あるいは伝統的)な仕様が、飽きがこないで何度でも食べたくなるポイントなのだろうか。もっとも、これら4店の料理はすべてが高レベルでの比較であり、そこいらで食べるパフェの風味とは、いちおう次元が異なることは最後にお断りしておきたい。

◆写真上:銀座千疋屋本店の窓辺から眺めた、歩道にある地下鉄×3線の銀座駅入口。
◆写真からへ、日本橋千疋屋総本店と本来のあるべき姿である同店のスタンダードな「マロンパフェ」、親切なスタッフの京橋千疋屋本店とデザートやおやつに最適化した「和栗のパフェ」、銀座千疋屋本店とむき栗を使った伝統的でオーソドックスな「和栗のパフェ」、スマートな接客の銀座資生堂パーラーと洗練された「和栗のモンブランパフェ」。

読んだ!(23)  コメント(8) 

読んだ! 23

コメント 8

NO14Ruggerman

「1970年代の初めからつづく喫茶店の老舗」には私も同様
違和感を抱いてしまいますね。
by NO14Ruggerman (2022-12-12 09:38) 

ChinchikoPapa

NO14Ruggermanさん、コメントをありがとうございます。
ここ3年のコロナ禍で、「老舗」と呼ばれる喫茶店の閉店つづきなのが淋しいです。日本橋人形町にある「快生軒」は、「全席喫煙」だったのが、さすがに2020年から「全席禁煙」になってしまいました。

by ChinchikoPapa (2022-12-12 11:27) 

サンフランシスコ人

モンブラン....サンフランシスコで、ramen及びJapanese sweetsブーム

http://skdesu.com/en/monburan-mont-blanc-japones/


の延長線???
by サンフランシスコ人 (2023-01-05 08:18) 

ChinchikoPapa

サンフランシスコ人さん、コメントをありがとうございます。
モンブランケーキは、昭和(戦前)の同名の喫茶店で出されたのが最初ですが、和栗の甘露煮を使ったアイスクリームと野組み合わせ=パフェ(パルフェ)は明治期からですね。
by ChinchikoPapa (2023-01-05 12:02) 

サンフランシスコ人

栗は、米国であまり人気がありません.....
by サンフランシスコ人 (2023-01-07 07:06) 

ChinchikoPapa

サンフランシスコ人さん、コメントをありがとうございます。
和栗は粒が大きくて、ヨーロッパでも人気があるせいかマロングラッセが輸出されているようですが、和栗の量は限りがあるので国内では年々高価になっていくのが悩ましいですね。
by ChinchikoPapa (2023-01-07 11:01) 

サンフランシスコ人

「見まわせばお客は全員が女性...」

1/8 日本町のジャパンセンターの店も同じ...
by サンフランシスコ人 (2023-01-10 06:50) 

ChinchikoPapa

サンフランシスコ人さん、コメントをありがとうございます。
資生堂はいまや女性が主体なのですが、千疋屋は男もけっこう来店して、このあたり店の特色が出ていて面白いです。
by ChinchikoPapa (2023-01-10 11:47) 

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