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金久保沢は天然神奈(鉄穴)流し場だったか。 [気になる下落合]

天然鉄穴流し(金久保谷)1973.jpg
 豊富な鉄資源にめぐまれた関東から東北地方には、各地で古代からつづいたとみられるタタラ(大鍛冶)遺跡Click!が各地で発見されている。南部(岩手県一関地域)は、広島県の川沿いの山間部(現・広島市落合地域)や和歌山県の岬町界隈と並び、日本でも昔から良質の岩鉄(鉄鉱石=磁鉄鉱・褐鉄鉱・鳴石など)の採掘に恵まれていたため、砂鉄を収集する神奈(かんな=鉄穴)流しClick!と同時に、砂鉄より低温で溶解できる岩鉄の製錬による銑鉄や、鉧(けら)・目白(鋼)Click!などの生産が古くから行われていた。
 特に岩手県の南部地域は、古代の舞草(もくさ)鍛冶が活躍した舞台であり、初めて湾刀(日本刀)を創造した小鍛冶(刀鍛冶)集団として、刀剣史では日本刀の故地と呼ばれ最初期の時代に位置づけられている。古墳期から奈良期にかけ、西日本では徒歩(かち)戦による刺突(さっとつ)を中心とした直刀(朝鮮刀)が主流だったのに対し、東日本(特に関東)では馬畔(めぐろ:目黒=<群>馬牧場)Click!が発達し、乗馬したままの騎馬戦ですれちがいざまに対戦相手を撫で斬ることができる、湾刀(日本刀)が早くから発達していった。
 戦闘の方法や形態によって、新たな武器や兵器が生まれるのは古代も現代も変わらないが、東日本の「坂東戎(えびす)」あるいは「東北蝦夷(えみし)」などと呼ばれ、九州に上陸したとみられるヤマト(の前身)から蔑称で呼ばれていた地方で、他国に例を見ない日本刀が誕生したのは、なにが中国や朝鮮半島のコピーではない「日本」文化なのか、なにがこの国ならではのオリジナリティなのかを考えるうえで、砂鉄によるタタラ製鉄の事蹟(日本以外は鉄鉱石の低温溶解による鉄製造が中心)を含め、非常に興味深いエピソードだろう。のちに、東日本各地の「騎馬武者軍団」Click!(いわゆる「つわもの:さむらい」=武家)を形成する素地や特徴は、早くも古代の東日本に出現している。
 余談だが、日本刀の刺突を中心とした「直刀」化は、江戸期に入ると再びブームを迎えている。それは、江戸の各町にあった剣術道場における刺突技、スポーツの剣道(剣術とは別もの)でいえば“突き”の有効性が改めて注目されたからで、大規模な騎馬戦などなくなってしまった江戸時代には、古代以来、再び人対人の剣術で直刀に近い日本刀ブームが一時的に高揚した。すでに、室町期の古刀から新刀時代Click!に入っていた江戸前期だが、寛文年間(1661~1673年)を中心に反りが少なく直刀に近い日本刀が、全国各地の工房で数多く鍛造されている。これらは「寛文新刀」と呼ばれ、体配(刀姿の形状)を見ただけで制作年代を即座に特定できる、わかりやすい鑑定ポイントClick!となっている。
 さて、各地に残る神奈(鉄穴)流しや自然風を活用した登り窯(竪炉)、ないしは中世以降の足踏み鞴(ふいご)を用いた大規模な炉などが残る大鍛冶(タタラ)遺跡Click!は、大江戸(おえど)の東隣りの下総国一之宮(千葉県香取市)にある、創建がたどれないほど古い香取神宮の周辺でも見ることができる。特に、同社の北面裏にあたる「金久保谷」の谷間は、あえて丘の斜面を段々に拓き神奈(鉄穴)流し作業を行う必要がなく、いわゆる「天然神奈(鉄穴)流し」場の砂鉄採集地として広く知られている。
 金久保谷(別名:鍛冶谷)は、バッケ(崖地)Click!から噴出する湧き水によって小流れが自然に形成され、その流れに沿って砂鉄が急速に堆積していくという、大鍛冶(タタラ)たちにとってみれば手間がかからず、願ってもない簡便かつ効率的な砂鉄の採集地だったようだ。彼らにしてみれば、もっとも労力を要する神奈(鉄穴)流しの準備作業を省力化でき、あとは周囲の森林を伐採して大量の炭を焼き、斜面に登り窯=竪炉(古代)ないしは炉(中世以降)を設置するだけという、非常に生産性の高いタタラ場だったろう。
 丘の地形を変えるほど、まるで棚田(そもそも日本の棚田自体が、タタラ跡に造成されている事例も多々ある)のように斜面をひな壇状に改造し、丘の上部へ水流を引く土木工事をするか大量の水を人力で運びあげ、それを流して土砂や砂利を下段へと少しずつ排除し、上段へ沈殿する比重の重い砂鉄を採集する、多大な労力が必要な神奈(鉄穴)流しについて、岩手県藤沢町教育委員会の古史料(1970年編)より引用してみよう。
金久保谷1.jpg
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 鉄を吹く処を烔屋(とうや)と云う。其の術は先ず砂鉄を取る法(。)流水の便利なる山の中腹に溝を掘り、これに水を入れて頻りに穿鑿(せんさく)し、土砂が先ず流水で砂鉄は沈滞する。これを取ってよくよく土砂を洗い去るにあるのである。即ち水利の便利な土地では土を掘りその中から岩石、砂利を除いた土砂のみを溜水を急に流して土砂を大洗いして砂鉄を集める(。)釘子村にも現在し その状態が見られる。こうした砂鉄にはまだまだ沢山の砂利を含んでいるので、今度は水量の多い急流の処を選び清め洗いするのである。水利の便利な処では、大洗から清流まで一貫作業で行なった(カッコ内引用者註)
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 これら面倒な作業の多くは、丘の斜面を活用して地形を改造する必要があるが、その膨大な労力を省けるとすれば、金久保谷を発見した大鍛冶たちにとっては嬉しい仕事場だったにちがいない。あらかじめ段丘が重なるようなバッケから噴出する優良な砂鉄を堆積させる湧水は、さしづめ神のめぐみの神奈(鉄穴)川Click!だったろう。そのような湧水の噴出と、天然による良質な砂鉄の堆積地だからこそ、古くから「金久保谷」と名づけられ有名なタタラ遺跡のひとつになったと思われる。近くの香取神宮には、周辺で採集された砂鉄を製錬して造られたとみられる、鉄窯や鉄斧など多くの鉄製品が奉納されている。
 さて、目白崖線にも同様の地名「金久保沢」Click!が存在している。金久保沢は、香取神宮裏の金久保谷と地形が近似しており、目白崖線に食いこむ谷の中でも大きくて深く、また間口の広い谷戸を形成している。だからこそ、日本鉄道の品川-赤羽鉄道(現・山手線)を通す経路の谷に選ばれ、のちに目白駅Click!目白貨物駅Click!が設置されているのだろう。金久保沢は、奥へいくにしたがって谷戸の幅が扇状に横へ拡がり、その斜面の随所から大小の湧水が噴出していたと思われる。
 現在は、山手線の敷設や住宅街の形成で地形が大きく変わっているが、谷戸奥の形状は二股に分かれるような窪(久保)地Click!になっており、その双方から湧水の主流となる豊富な流れが平川Click!(現・神田川)へと注いでいたにちがいない。江戸期には、金久保沢の全体が下高田村と下落合村の入会地にされ、灌漑用水用の溜池が設置されていたが、湧きでる清水や豊かな森林資源を両村協同で利活用していたものだろう。西側の湧水源へ、江戸期から設置されつづけてきたとみられる小さな弁天社が豊坂の中腹Click!に現存している。
 噴出する豊富な湧水流に森林資源、そして大規模な神奈(鉄穴)流しを必要としない、あらかじめ堆積した大量の砂鉄を発見した大鍛冶(タタラ)集団は、嬉々として木炭を生産するために周囲の樹林を伐採しはじめ、同時に谷戸の脇にある斜面へ炭焼き窯を築造しただろう。また、別のチームは季節や風向きを考慮し、同じく近くの斜面上部(砂鉄の採集場近く)へタタラ用の登り窯(竪炉)を建設しはじめたにちがいない。これが中世以降であれば、周囲の粘土や石材を利用して製錬炉を組みあげ、炭が焼きあがるのを横目で見つつ採集した砂鉄を炉の近くへ運び、移動の際に運搬してきた足踏み鞴の部材を組み立てはじめただろう。
登り窯タタラ.jpg
金久保沢1880.jpg
金久保沢1910.jpg
 古代から中世にかけての大鍛冶(タタラ)たちは、その事業規模からみて100人単位の集団だったと思われる。時代をへるにつれ、すばやいリードタイムで大量の木炭を製造する炭焼きのプロチームと、地形を改造して効率よく砂鉄を採集する神奈(鉄穴)流しチーム、そしてタタラ炉を操業して鉧(けら)や目白(鋼)を製錬するチームとに分業化し、これらの仕事は同時進行で行われていただろう。彼らの家族を含めれば、大鍛冶(タタラ)集団は数百人規模にふくれあがっていたかもしれない。
 だが、彼らは金久保沢で数年も暮らせなかったにちがいない。タタラの窯あるいは炉を操業するためには、厖大な木炭が不可欠だ。その炭焼きのために、周囲の森林は短期間で丸裸になってしまう。わざわざ遠方から材木を伐りだしてくるのは、非効率的かつ生産性が低下するので、大鍛冶たちはいまだ砂鉄が豊富に残る谷戸に未練を残しながら、次のタタラ場を求めて平川(現・神田川)を上流へと移動していった。谷戸を去る際、数十年後に再び立ち寄るために、この谷戸を「金久保沢」と名づけ記憶したのかもしれない。
 以前、砂鉄によるタタラ操業から目白(鋼)を製錬する、現代の日刀保出雲タタラの記事でも触れたとおり、厖大な森林資源と木炭を必要とするタタラは、中世以前の低い生産効率から推測すると温度を上げるために、さらに大量の木炭を消費していただろう。1976年(昭和51)に、玉川大学出版局から刊行された黒岩俊郎の『たたら―日本古来の製鉄技術―』には、当時の木炭と樹林の消費に関する試算が掲載されている。ちなみに、文中で「鉄」と表現されているのは、タタラ用語でいう良質な目白(鋼)を含んだ鉧(けら)のことだ。
  
 「一トンの鉄を生産するのに、どれだけの木炭、及びその木炭を生産するのに、どれだけの山林が必要か」という試算である。それにはいくつかの仮定が必要であるが、もし/(1)一トンの鉄をつくるのに、一四トンの炭を必要とし、/(2)生木一石から三〇~三七・五キロの炭ができるとし、/(3)一町歩から一〇〇石の生木が生産できるとし、/(4)さらに、三〇年で生木が成長する/と仮定するならば、一トンの鉄を、毎年生産しつづけるのに必要な森林の広さは、約〇・二五平方キロメートルとなる。
  
 わかりやすくいうと、わずか1トン/年の鉧(けら)を製錬するためには25万m2の森林、つまり東京ドーム5.4個分ほどの森林が必要となる計算になる。同じ場所で2年間もタタラ操業をすれば、あたり一帯の森林は伐り株だらけの丸裸になってしまっただろう。
金久保沢(西谷戸筋).JPG
金久保沢弁天社.JPG
溜池(血洗池).JPG
 金久保沢を去った大鍛冶集団は30年後、先代から語り継がれた記憶を頼りに、再びこの谷戸を訪れているだろうか。そして、回復した深い森林資源と、天然の神奈(鉄穴)川に堆積している豊富な砂鉄を発見し、仲間や家族と手を取りあって狂喜していたのかもしれない。

◆写真上:1976年ごろに撮影された、香取神宮裏にあたる金久保谷の天然神奈(鉄穴)流し場。崖地から噴出した湧水で、崖上段には豊富な砂鉄が自然に堆積している。
◆写真中上:香取神宮の裏手にあたる、金久保谷とその周辺の谷間の様子。
◆写真中下は、古代に行われていたタタラ操業の登り窯(竪炉)の仕組み。は、1880年(明治13)のフランス式1/20,000カラー地形図に描かれた金久保沢。は、1910年(明治43)の1/10,000地形図にみる金久保沢で地形がかなり改造されている様子がわかる。
◆写真下は、金久保沢の谷戸西側に通う道路の現状。は、西側の湧水源に設置されていたとみられる弁天社。は、金久保沢に形成された溜池(明治以降は血洗池)の現状。
オマケ
 金久保沢のすぐ西側、御留山Click!の東端斜面に建立された藤稲荷Click!(写真上)だが、太刀Click!が奉納されるなど小鍛冶(刀鍛冶)との濃いつながりを想起させるエピソードが残っている。だが、大もとは大鍛冶集団が設置した日本ならではの鋳成神が起源ではないか。近世に入ってから、近畿の秦氏(新羅)を起源とする農業神「稲荷」へ転化しているのではないだろうか。同様に金久保沢のすぐ東側、根岸の里Click!の丘上に設置されていた八兵衛稲荷(現・豊坂稲荷)Click!(写真下)の起源も、その地形や位置から非常に気になっているポイントだ。
藤稲荷.jpg
豊坂稲荷.JPG

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サンフランシスコ人

「なにが中国や朝鮮半島のコピーではない日本文化...」

サンフランシスコでは (でも)、中国と朝鮮と日本の文化を完全同一だと、勘違いしている....

「あたり一帯の森林は伐り株だらけの丸裸になってしまっただろう...」

カリフォルニア州では、巨大な森林が山火事で丸裸になってしまいます.....
by サンフランシスコ人 (2023-06-30 01:08) 

ChinchikoPapa

サンフランシスコ人さん、コメントをありがとうございます。
Microsoft社が1980年代、アジア向けワープロソフトにおける2バイトの漢字圏フォントを、中国の漢字(簡体字)で統一しようとしていたことは有名な逸話ですね。日本と中国、台湾における現用漢字がまったく異なるのを知らない、ちょっと恥ずかしい初歩的なミスでした。
イギリスの産業革命初期、製鉄に木炭を使用していたため山々が丸裸になり、製鉄のための山林伐採を法律で全面的に禁止したのは有名ですね。そのおかけで石炭産業が急速に発達して、産業革命が加速したわけですが。
by ChinchikoPapa (2023-06-30 10:52) 

サンフランシスコ人

「イギリスの産業革命初期....産業革命が加速したわけですが...」

大雑把な表現ですが......米国の大学では、欧米史を教えても日本史は教えない.....
by サンフランシスコ人 (2023-07-01 01:10) 

ChinchikoPapa

サンフランシスコ人さん、コメントをありがとうございます。
そのせいでしょうか、日本にくる米国人は相変わらず昔の定期コースの観光客が多く、いまの日本の情報を発信している人は少ないようです。
仕事などから日本で暮らし、いまの日本各地の最新情報を詳細に発信しているYouTuberは、目立つところだとフランス、イギリス、オーストリア、韓国、ドイツ、ウクライナ、ロシア、ヴェトナム、台湾、ブルガリア、フィンランド、オランダ、ポーランド、イタリア、スウェーデン、インド、スイス、エジプトなどの人たちで、しかも女性が圧倒的に多いのが特徴ですね。
by ChinchikoPapa (2023-07-01 10:01) 

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