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しつこいですが東京大空襲64年目。 [気になる映像]

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 先日、亀戸天神社で恒例の「梅まつり」をやっていたので、久しぶりに観にいってきた。菅公の亀戸天神は、江戸期の1663年(寛文3)建立なので、江戸東京では相対的に新しい「名所」だ。でも、幕末にはかなり人気があった地域とみえ、安東広重の『名所江戸百景』には、第30景「亀戸梅屋敷」と第65景「亀戸天神境内」の2景が取り上げられている。
 この2景は、画家であるモネとゴッホが模倣したことであまりにも有名だけれど、ゴッホの描いた「梅屋敷」は明治期の水害で消滅し、モネが描いた亀井戸天神の風景は、1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲Click!で跡形もなくなってしまった。ただし、関東大震災Click!にも東京大空襲Click!にも焼け残った建物がある。天神社境内の北西部、神輿蔵の並びに建っている大きな蔵だ。
 亀戸は、当初はB29の爆撃目標にされていなかった・・・という話を、いつか親父から聞いたことがある。米軍は、隅田川の東側沿岸である本所・深川・向島界隈、そして西側沿岸の日本橋・神田・浅草界隈を爆撃の主目標にしていたというのだ。隅田川の東側は、横十間堀(川)つまり錦糸町あたりまでが爆撃エリアであり、さらに東を爆撃する予定ではなかったらしい。
 大川の両岸は繁華街も多く住宅が密集し、また工場も多かったので爆撃の最優先エリアだったようだが、実際にB29による爆撃が開始されると、ナパーム焼夷弾の威力が想定以上だったため、その周辺域にも余剰の焼夷弾で爆撃を加えていった・・・という経緯なのだろう。事実、亀戸への爆撃は本所・深川地区に比べ、かなりの時間的なズレがある。だからこそ、本所・深川地区で被爆した人たちは、いまだ火災が見えない亀戸方面をめざし、横十間堀(川)を渡っていったのだ。ところが、避難した先にも焼夷弾Click!が霰のように降りそそぐことになった。空襲の猛火をくぐり抜けた亀戸天神社の蔵は、あちこちに焼け焦げを残しながら現在でも往時のままの姿で建っている。
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 話は変わり、千葉県南房総で青木繁が1904年(明治37)に描いた、『海の幸』の仕事場である古民家保存の活動をされている、「NPO法人安房文化遺産フォーラム」Click!の池田様より、映画『赤い鯨と白い蛇』(せんぼんよしこ監督)上映会へのお誘いを受けた。青木繁が滞在した古民家の近くには、中村彝Click!が滞在して1910年(明治43)に制作した『海辺の村(白壁の家)』Click!の描画ポイントもある。映画は、高円寺で上映されるということなので、さっそく出かけてみた。
 せんぼんよしこの作品は、わたしも過去にTVドラマを何本か観ているけれど、特に印象に残っているのは1988年(昭和63)にNTVで放映された、井上光晴Click!原作の『明日-1945年8月8日・長崎-』だろうか。彼女のドラマはよく観ているが、映画作品は初めてだった。(初監督作品ということだ) 会場となった「セシオン杉並」のロビーには、東京大空襲の被爆直後の写真が10数点展示されていた。大空襲の資料類で、わたしにも見憶えのある写真ばかりだ。
 『赤い鯨と白い蛇』は、このサイトでも先年記事にしたことがある、米軍による首都攻略の「コロネット作戦」Click!に備えていた敗戦まぎわ、千葉の館山で防衛任務(特殊潜航艇「海龍」基地の特攻任務)についていた海軍士官と、士官を宿泊させていた民家の女学生との淡い恋物語・・・なのだけれど、映画のほとんど全編が当時ではなく現代の館山を舞台に描かれている。わたしの義父が、ちょうど九十九里浜で塹壕堀りをしていたころを起点とする物語だ。
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 館山は、戦前から海軍の聨合艦隊が集結する海であり、横須賀で建造された軍艦が公試運転を行なう海域でもあった。1940年(昭和15)に「紀元2600年」の観艦式に集まった、館山沖の聨合艦隊の姿をとらえた空中写真が現存している。また、敗戦が濃厚になり突貫工事で造られたため、非常に象徴的で皮肉な運命をたどった、横須賀海軍工廠の大和型戦艦の3番艦「信濃」(途中で航空母艦に改装)が、工事をつづける造船所の技術者や作業員たちを大勢乗せたまま、最後の公試運転を行なった海でもある。(その姿もB29の偵察機によって撮影されている) 湘南海岸や鎌倉ではほとんど壊され消えてしまったけれど、館山には湘南と同じように海岸のあちこちに、「コロネット作戦」に備えて造られたコンクリートのトーチカや地下施設が、そのままの姿で現存している。
 ネタばれになるので詳しくは書かないけれど、戦時中のシーンをほとんど挿入せず、現代に生きる女性たちの姿を描くだけで、これほど「あの戦争」を強く感じさせる作品もめずらしいだろう。直接、「戦争は悲惨だ」という描写はほとんどなく、70代から20代までの4世代(小学生まで入れれば5世代)にわたる女性の生き方を通して、「教科書」に載る歴史としての出来事ではなく、消すことのできない痕跡をいまに残すもの・・・として、連綿と今日まで継続して繋いでみせた。むしろ、そこここで笑ってしまうシーンが多いのは、向田邦子Click!ドラマ(『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』など)のコンビで懐かしい、樹木希林と浅田美代子の絶妙な“かけあい”や“間”があるからだが、香川京子のリアリティあふれる演技がひときわ光っていた。
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 映画は感動的で、また「楽しく」鑑賞できたのだけれど、気になったのは「セシオン杉並」の会場のほうだ。主催したのが「杉並女性団体連絡会」だったせいか、男性があまり・・・というかほとんどいなかった。気がつけば、570席ある座席のほとんどが女性で占められていた。それにしても、「戦争」へ敏感に反応するのは、現在でも“産む性”たる女性のほうが多いのだろうか? それを象徴するかのように、映画のラストシーンには出産したばかりの母子が登場している。
 『赤い鯨と白い蛇』では、妊娠から出産を決意する20代前半の女性がひとり描かれているけれど、同じせんぼんよしこの『明日』では、難産でようやく出産したにもかかわらず、明日へ生きられなかった母子が描かれている。B29の爆音が響くなか、投下されたパラシュート付きの原爆を見上げ、本能的な戦慄からスイカを取り落としてしまう助産婦(妊婦の母?)も、樹木希林が演じていた。

■写真上:亀戸天神の境内に残る、関東大震災と東京大空襲とをくぐり抜けてきた蔵。
■写真中上は、亀戸天神の「梅まつり」の様子。は、1947年(昭和22)の亀戸天神上空。
■写真中下・下:せんぼんよしこ監督の映画『赤い鯨と白い蛇』より。
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ドラマ『襤褸と宝石』にみる佐伯像。 [気になる映像]

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 数日前から大風邪を引いてしまい、熱に浮かされ文中であらぬことを口走っていましたら、すかさずご指摘ください。一昨日も、彫刻家・夏目貞良の作品を『聖徳太子』などと書いてしまいましたが、まったくの妄想で正しくは『女の胸像』です。(なにが「聖徳太子」なんだか?/熱爆!)
  
 1980年(昭和55)9月8日のNHK特集で放送された、ドラマ『襤褸と宝石』(中島丈博・脚本)のシナリオをようやく手に入れて読んだ。わたしは、当時いまだ学生でアルバイトに忙しく、午後7時30分から放映されたこの作品を見逃している。シナリオを読んで感じたのは、現在の佐伯祐三および佐伯米子の一般的なイメージは、このドラマによる影響が大きいのではないか?・・・という点だ。
 以前から、このサイトでも何度か触れているけれど、事実とフィクションとの境界線がとても曖昧になる、あるいは事実関係が正反対になってしまうという事例を、特に芝居や講談の世界において書いてきた。目白(旧・雑司ヶ谷)の四ッ谷が舞台となった『東海道四谷怪談』Click!と、四ッ谷見附近くの四谷左門町の文政町方書上に記録されている、江戸期に実際に起きたエピソードとがごっちゃになり、被害者と加害者とが入れ替わってしまう(何度も子孫の方が訂正されても認知されない)、あるいは江戸の現地でただの一度も取材や調査をしたこともない戯作者(竹田出雲)が、事件から46年後に大坂(阪)で書いた『仮名手本忠臣蔵』Click!などの例をみても、現実に起きたことと虚構(フィクション)とが混同され、事実とは大きく乖離した内容が“史実”と認知されてしまう危うさについて、ずいぶん前に書いた憶えがある。振袖火事(明暦大火)の本妙寺Click!(戦後、何度も記者会見を開いているが虚偽が訂正されない)にしても、高橋伝Click!の「伝説」にしても同様だ。
 そこまでは極端でないにしても、『襤褸と宝石』にもそのような手ざわりを感じてしまうのは、わたしだけだろうか? 作者である中島自身さえ、次のように書いている。1980年(昭和55)に発行された、『ドラマ』10月号(映人社)から引用してみよう。なお、カッコの註釈はわたしが入れている。
  
 書き手の側からすると、こうした人物(佐伯祐三)をドラマの主人公として設定しなければならない場合、実話を元にしているだけに、余り面白い仕事とは言えない。彼自身は一直線に絵を描くことに殉じていくのであるから、ドラマ上での振巾を別に求めざるを得ない。果たして、そのような人物が発見できるか・・・・・・と素材を見廻したところ、佐伯の妻米子がいたのである。
                                    (同誌「作品によせて」中島丈博より)
  
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 作者のこの言葉は、フィクションを構成するうえで非常に重要なテーマを含んでいると思う。それは、物語を“違和感”なく(気持ちよく)必然的に成立させるためには、吉良義央はとてつもなく性悪かつ意地悪な年寄りでなければならず、浅野長矩が野放図な自尊心の持ち主で、単にキレやすく自制心のない若者では困るのだ。あるいは、民谷(田宮)伊右衛門が底なしの悪党でなければ成立しえない、虚構としての「わかりやすい」(少なくとも観衆や読者に不条理かつ理解不能ではない)人間ドラマを、どこかで強く意識せざるをえないからだ。
 つまり、“狂言まわし”役が存在しなければ、舞台(物語)は回転しない・・・という、古くて新しいフィクション創造におけるテーマだ。ドラマに劇的な変化や「振巾」を与え、動的な展開を絶えずもたらすためには、「問題を起こす」役まわりの人間が周囲に不可欠だという法則。作者は、それを「佐伯米子」に設定したと率直に書き著している。さらに、このドラマが放映されたのが、「公共放送」としてのNHKだったという点も、通常の民放ドラマよりもはるかに大きな影響を視聴者に与えたかもしれない。
 ドラマに登場する“解説者”としての美術評論家「島袋」は、おおよそ誰かは想定できるし、また彼にアドバイスを受けた作品であることも想像Click!がつく。だから、登場する佐伯祐三と佐伯米子の姿は、彼のフィルターを通したふたりの“像”に近い描かれ方もしているのだろう。また、実際の佐伯アトリエと解体前の母屋でロケーションが行われたこともドラマの虚構性を薄め、より“現実味”を帯びさせるファクターとなっただろう。
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 下落合における佐伯祐三の描かれ方は、きわめてオーソドックスだ。いや、この言い方は逆かもしれない。『襤褸と宝石』により、下落合をめぐる佐伯像が従来にも増して、ますます「定着」し「一般化」したともいえるのではないだろうか。特に1926年(大正15)から翌年にかけ、第2次渡仏前の佐伯の仕事はほとんど省略され、わずか数行にすぎない。
  
 61 『下落合風景』
 当時の佐伯の連作に現実の武蔵野風景がかさね合わされて----
 島袋の声「二科会展出品作の好評にもかかわらず帰朝後の佐伯は苦悶していた。パリの硬質空間に馴染んできた佐伯にとって、日本の風景はモチーフになりにくかった・・・」
                      (同誌『襤褸と宝石-佐伯祐三の生涯-』のシーン61より)
  
 そこにあるのは、「絵にならない日本の風景」に対する佐伯の“焦り”であり、連作『下落合風景』Click!はそんな焦燥感の中で描かれたことになっている。『下落合風景』には渡仏の資金稼ぎ以外にあまり意味を求めない、ある美術評論家のパリに偏重した著作へと重なり合うシーン。換言すれば、強いテーマ性を持ち意識的にモチーフとなる風景を選んでいたのではなく、パリ風景の“代用”として下落合をはじめ各地の風景を漠然と描いていた・・・という捉え方だ。
アルルのはね橋佐伯祐三.jpg ビーナスはん.jpg
 パリ市街と東京の街とがモチーフとしておよそ異なることぐらい、別にわざわざ描いてみなくても観察すればわかることだろう。また、「硬質」で「石造り」のパリと質感が似た街角は、震災復興後の東京市内には各地で見られたはずなのだが、佐伯はそれらをほとんどモチーフには選ばなかった。だから、下落合を中心に「絵にならない」風景を描いていたから、パリとは勝手が違うと感じて焦っていた・・・という解説には、どこか短絡した不自然な“理由づけ”Click!の組成とともに、ゴリッとした違和感をおぼえてしまう。「絵にならない日本の風景」への“焦り”だけでは、どうしてもモチーフとして好んで描いていた(あえて下落合でも古い鄙びた場所、ありふれた「絵にならない」風景、工事中や造成中の場所などを多く意識的に選んでいたと思われる)、『下落合風景』の連作について整合性のとれる説明がつかないのだ。
 余談だけれど、『襤褸と宝石』の作者・中島丈博は以前にここでもご紹介した、わたしの大好きな黒木和雄監督の『祭りの準備』Click!(ATG/1974年)のシナリオライターでもある。

■写真上・中:1980年(昭和55)9月に放映された、ドラマ『襤褸と宝石』のスチール各種。
■写真下は、アルルのゴッホの描画ポイントに立つ佐伯。は、ビーナスはん(『婦人像』)。


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ゴッホ描画ポイントの作品プレート。 [気になる映像]

 

 今年の正月に、ゴッホの描画ポイントに作品プレートが建てられている、フランスのオーヴェル・シュル・オワーズの様子をご紹介Click!した。また、ゴッホの描画ポイントを細かくたどった佐伯祐三が、「オーヴェルの教会」や「村役場」、「跳ね橋」(アルル)など、ゴッホとまったく同じ場所にイーゼルを据えて作品を仕上げていることも書いた。
 佐伯の「下落合風景」シリーズClick!を活用して、オーヴェル・シュル・オワーズと同じようなことができたら、おそらく下落合は日本初の“近代美術ファンの街”となるだろう。同様に、ほぼ同時代に「下落合風景」を描いた数多くの画家たちも含めて回遊/散策コースを設定したら、都心という立地条件から考えても、鄙びたオーヴェル・シュル・オワーズの比ではないかもしれない。いや、この切り口を「文学」でも「近代建築作品」でも、はたまた「江戸友禅染め」でも当てはめてみれば、落合地区は日本じゅうの芸術/美術愛好者たちから注目を浴び、人々が「訪れたい/歩きたい/集まりたい/暮らしたい」街に変貌する可能性を秘めている。
 ゴッホの足跡とオーヴェル・シュル・オワーズを調べていたら、格好の映像資料を見つけた。ゴッホの描画ポイントを次々と歩き、そこに設置された「作品プレート」をはじめ、ゴッホの描画ポイントに埋められた「イーゼルタイル」や、歩いたコースを示す「モチーフ散策タイル」などの様子を詳しく紹介している。この番組、今年(2007年)の1月1日にBS日テレで再放映されたらしいのだけれど、うちはBSデジタルチューナーがないので観られなかった。DVD『山口智子 ゴッホへの旅~私は、日本人の眼を持ちたい~』(BS日テレ・テレビマンユニオン制作/2006年)が、それだ。
  
  
 アルル、サンレミ、オーヴェルなどゴッホゆかりの地が次々と紹介されるのだけれど、やはり描画ポイントに立ったときの、作品と現状との対比が面白い。ゴッホが歩いた、当時の面影そのままの場所が多いのに驚く。特に、作品プレートを建てて景観を大切にしている、アルルやオーヴェル・シュル・オワーズの変わらない様子には驚いた。佐伯祐三が描いたパリやフランス各地もそうなのだが、ちゃんと街の風情を壊さずに残しているところが、やはりすごい。景観を根こそぎ台無しClick!にする、どこかの国の街角とは大違いなのだ。
 さて、わが下落合(中落合/中井2丁目含む)はというと、佐伯の描画ポイントに立っても、はっきりそれらしい風情を感じられるのは、もはや数点にしかすぎなくなってしまった。二度にわたる空襲を受けているとはいえ、下町に比べたら当時の景観が色濃く残っていたはずなのだが・・・。それでも、都内のほかの町に比べれば、まだこの街独特の風情や匂いが強く感じられることは間違いない。

 いまからでも、決して遅くはないと思う。関東大震災Click!東京大空襲Click!、そしてトドメの東京オリンピックClick!で人々が離散し、なにもない「名所」だらけになってしまった(御城)下町Click!を、わたしとしては口惜しいのだけれど、この際“反面教師”にしよう。下落合が、なにもない「名所」化しないうちに、はっきりとした街全体のコンセプトを打ち出せば、まだなんとか間に合うはずだ。

■写真上は、右に傾くゴッホ『七月十四日の村役場』(1890年)。は、左に傾く1925年(大正14)に描かれた佐伯祐三のオーヴェル・シュル・オワーズ『村役場』。
■写真中:ゴッホの描画ポイントに設置された、作品プレートやゴッホの散策コースタイル。
■写真下:DVD『山口智子 ゴッホへの旅~私は、日本人の眼を持ちたい~』(BS日テレ・テレビマンユニオン制作/2006年)。ゴッホと、安藤広重の「名所江戸百景」との関わりも面白い。


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負け犬のシネマレビュー(18)『こころの湯』 [気になる映像]

タイトルどおり心まで温まる
『こころの湯』(チャン・ヤン監督/1999年/中国)

 忙しい大家さんに代わって、今しばらくヒマな負け犬のシネマレビューでご辛抱を。というわけで公開からずいぶん経っているが、先日鎌倉駅前にある市の生涯学習センター(きらら鎌倉)Click!で観た佳品を紹介する。
 幕開け、うっそー、何これ? 改革開放政策の中国の風呂ってこんなことになってるの? と笑わせてくれるが、実際は二男とふたりで切り盛りする劉さんの銭湯は近所の人が集う憩いの場である。風呂の中では、背中を流してもらいながら夢のようなビジネスを語る人、オーソレミオを歌う人(なかなかうまい)、それを邪魔する人……。ひと風呂浴びた後は、中国将棋に興じたり、吸い玉やマッサージを受けたり、はたまた器のなかで2匹のコオロギを闘わせたり……。湯槽と脱衣場を中心に進む映画、出てくる人はほぼおっさんとじいさんだけと、華はないが、可笑しさはたっぷりである。
 物語は、この銭湯に経済特区から長男が帰ってくるところからはじまる。都会に出た息子と、昔ながらの生活を続ける父親とのぎくしゃくした関係や、それを取りなすきょうだいが障害者というのは何かパターン化された感じもするが、シリアスになるかと思えば、観ているこっちの予想を少しだけ裏切ってくれる。そのさじかげんがほどよく心地いい。何がいいって、父親が二男阿明(アミン)のめんどうを見ているふうでないところ。風呂の掃除をしながら、ジョギングと称して近所をひとまわりする場面など、長男が疎外感を持つほど素敵なのだ。

 父親役のチャウ・シュイ(『變面 この櫂に手をそえて』のおじさん)、コメディセンスが確かで、大まじめに語る風呂の大切さや、ケンカばかりしている銭湯の客の夫婦仲が悪くなった原因とやらを聞く件りなど、会場の人たちが画面に見入っているので笑っちゃいけないのかと思いながらも、あまりのばかばかしさくすくす笑ってしまった。この寓話、何度も生き返る母の葬儀に振り回される『祝祭』と同じで、必要なんだろうかと首を傾げるが、映画全体のおかしさは『大統領の理髪師』にちょっと似ている。もちろん現実を踏まえた大げさではないクライマックスが用意されている。期待どおりではないかもしれないが。
 だいたい2カ月に1度行われているこの映画会、その収益の一部が川喜多長政・かしこ夫妻の住まいだった旧・川喜多邸Click!を、上映設備のある記念館にするための基金に入る。川喜多さんといえば私にとってはフランス映画社の和子さんだ。「傑作を世界からはこぶ」バウシリーズはどんなレビューよりも信じられた。あのマークにまんまとハマって映画好きになってしまった私。寄付する余裕はなくても、映画を観る余裕はいつでもある。好きな映画を観るだけで、些少でもいくらかが自動的に寄付されるならこんなありがたいことはない。しかも主催・協力する人たちが選ぶ作品のセンスがいい。
 
 というのも、この春は鎌倉駅を最寄りとする最後の銭湯「瀧乃湯」がなくなってちょうど1年。これは「瀧乃湯」を偲ぶ作品でもあるのだ。この最後の銭湯、市民の声に応えて何年か閉店を延ばしたそうだが、失われたものへの郷愁は失ったからこそ存在するのもまた事実。毎日通えるならともかく、この時世、ノスタルジーだけで古いものを残すのは現実問題として難しい。だからといって人口が減る一方の高齢社会に、どこもかしこもマンションというのも芸がないし、あまりに将来を考えてなさすぎるけどね。
 次回は5月24日(木)にタイ映画『風の前奏曲』を上映予定。近くの方、お時間に余裕のある方は鎌倉観光のついでにぜひ観にいらしてください。チケットは当日1,000円(前売800円)……あーあ、頼まれてもいないのに宣伝しちゃったよ。
                                          負け犬

■写真下は、鎌倉駅の間近にあった最後の銭湯「瀧乃湯」。は、雪ノ下の旧・川喜多邸。


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負け犬のシネマレビュー(17)『松ケ根乱射事件』 [気になる映像]

町ごとぶっ壊れた等身大の日本
『松ケ根乱射事件』(山下敦弘監督/2006年/日本)

 やってくれました、山下監督待望の新作である。 時代は、またしても『どんてん生活』や『ばかのハコ船』と同じバブル崩壊後。だが、今回舞台は一面雪に覆われたイナカ町。その絶景を引いたり、寄ったりするカメラが時おり眠気も誘う(もちろんほめているのだ)実に映画的な映画である。
 『リンダ、リンダ、リンダ』Click!でかれの作品を知った人は、えっ? と思うかもしれないが、デビュー作から追いかけてきた人はまずこのタイトルに、そしてオープニングの「これは実話にもとづいた話。作り手のクセで誇張云々……」に、そして物語のはじまりにほくそ笑むに違いない。
 ぬるま湯のような町でだらだら生きているうちに歳をとってしまった人たちと、そこを出る機会を逸し鬱屈を抱えながら過ごしているうちに町の空気になじんでしまった若い人たち。隣近所はみな、顔見知りばかりのイナカ町に、外から入ってくるのはわけありに決まっている。消え入りそうな弱々しい声と、ていねいな口調で激しく自己主張する川越美和は『ばかハコ』の小寺智子がひらきなおった感じ。見た目どおり乱暴な木村祐一はその理屈も乱暴だが、ことば使いだけはこれまた妙にていねいなのがおかしい。こちらも山本浩司の、出てきただけで笑えるおかしな風貌が迫力ある風体に変わっただけと思えば、あの愛すべきふたりが成長(?)して帰ってきたと見ることもできる。
 
 認知症のじいさんはともかく、例によって出てくる男はどいつもこいつも理屈にならないヘリクツで自分を正当化する身勝手なやつばかり。対する女は一見肝が据わっていそうにみえるが、よく見れば惚れた弱みにつけこまれているだけと、やっぱりどこかおかしい。その最たる男が三浦友和である。自分のことは棚にあげ、きらきら瞳を輝かせ、くだらない説教をたれる。これまた『台風クラブ』のぐーたら教師があのまま能天気に歳とって、あきれるほど無邪気なまま父親になったというところか。畳に寝そべって女に甘える姿がこれほど似合う中年はいない。これが素だとは思わないが、こういう役を喜々として演っているところが全然いやらしくなくて、魅力的である。
 そう。気持ちと行動は必ずしも一致しないように、世の中には理屈で割り切れないことがたくさんある。血のつながりもそうだし、男女の仲も。というわけで本作も見ているうちにオチはわかるが、これ、どうやってまとめるんだ? と思っていたら、山下らしく、ダメ男の口説きにも似た強引さと寛大さで、そーだよねえ人間なんてどうしようもない生き物だもんね、それでも生きていかなきゃしょうがないもんねえと、みごとにまるめこんでしまう。
 どうしようもない人たちを憎めないキャラクターにしてしまうのは毎度のことだが、そのたびに驚かされるのはその若さだ。たった30歳やそこらで、老いも若きもなさけない連中に、ここまで愛情のこもった視線を注げるやさしさはどこに端を発するのか。プレスシートで三浦友和もコメントしていたが、いったい監督の山下や、かれと組んでこんな脚本を書く向井康介はどんな子ども時代を過ごしたのだろうと思うが、その感性がバブルのはじまりと終わりを見たことによって形成されたとしたら、バブルが日本にではなく、日本映画に与えた功績は大きいと思う。
 
 昨年度は邦画の興行収入が外国映画を大きく上回ったという。大ヒットした『フラガール』も、もはや格差社会を受け入れるしかないという諦観思想をもたらす作品だったが、21世紀に入って特徴的なのは、中年期にある監督がテンションの高い若々しい映画を作るのに対し、20代、30代の若い監督が妙に老成した映画を作ること。きっと、あらかじめあきらめ、脱力した若者たちのこのせつなさ、『バブルへGO!!』なんて言ってる人たちにはわかってもらえないだろうと思うけど……。
                                          負け犬

『松ケ根乱射事件』公式サイトClick!
2月24日~「テアトル新宿」「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋」にてロードショー予定


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