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神田川の空を彩る染物工房の記憶。 [気になる神田川]

神田川豊橋1.jpg
 この前、歳のせいなのか「Uber Eats」がとっさに出てこなくて、たぶん通じるだろうと思い「最近、よくウーパールーパーが走ってるのを見るね」といったら、相手はほんの少し笑いながら「外食や買い物に出ない人が多いんだよね」と答えてくれた。
 わたしが小学校の低学年のころ、「そめものや(染物屋)」と「せんたくや(洗濯屋)」を混同していいまちがえていた記憶がある。母親が箪笥から着るものを持ちだし「染物屋」へ染めなおしに出かけるのを見て、「洗濯屋」(クリーニング)に出かけたのだろうと思いこんでいたのだ。だから、着てるものが古びて汚くなると染物屋に持っていけば、きれいになってもどってくると思いこんでいたらしい。おそらく誰かとの会話でも、恥ずかしいことに洗濯屋のことを染物屋と呼んでいたかもしれない。
 小学生のときは、外で遊んでドロドロになって帰るのが常だったので、母親からため息まじりに「この白い下着の汚れは、洗濯機では落ちないわ」といわれたとき、「染物屋にもってけばきれいになるんじゃない?」と訊いて、ようやく勘ちがいに気づくことになった。母親いわく、「パンツを染物屋に持ってってど~するのよ!」。以来、わたしのいいまちがいはなくなった。
 このエピソードで思い出すのは、中村伸郎Click!周辺の“爆笑コント”だ。1986年(昭和61)出版の中村伸郎『おれのことなら放つといて』(早川書房)から引用してみよう。
  
 私たち老化夫婦の対話は、時には他愛もなく長閑でもある。/「一寸買いものに行ってくる」/と私が立ち上ったら、女房が、/「どこへ行くンです」/ときいた。私の家の近くにセブンイレブンというスーパーがあり、食料品ばかりでなく、原稿用紙、ボールペン、録音テープその他色々ある。だから、それを、/「イレブン・ピーエム」/と私が言ったら、女房は平気な顔で、/「八ッ切りの食パンを一袋、買ってきて下さい」/と言った。セブンイレブンの近くに煙草屋があり、暗い店先に、眼の窪んだ九十二歳のお婆さんが店番をしていて、私が、/「セブンイレブンを下さい」/と言うと、お婆さんは黙ってセブンスターをくれる。
  
 自由学園Click!女学生Click!たちによる商店Click!企業Click!の個別訪問では、高田町(現在のほぼ目白・雑司が谷・高田・西池袋・南池袋地域)にもかなり多かった、神田川沿いに展開する染色業Click!の工場や工房がほとんど登場していないので、わたしの思い出とともに少し書いてみたい。
 わたしの学生時代、神田川沿いや妙正寺川沿いには「乾し場」と呼ばれる、染物を天日で乾燥させる大きな物干し台のような構造物が、まだいくつか残っていた。この「乾し場」は、家々の屋根よりもよほど高く、遠くからでも視認できた。特に藍染めの長大な布が干してあったりすると、それが風にたなびいて美しく、まるで空に漂う鯉のぼりの吹き流しのように映えていた。それらの藍染めは浴衣地か、日本手ぬぐいの素材に使われたのだろう。戦前に撮影された神田川沿いの写真を眺めていると、あちこちに「乾し場」を見つけることができる。
神田川乾し場1930三島橋から面影橋.jpg
神田川乾し場1955頃.jpg
豊橋佐藤染業.JPG
 授業が終わり、交通費を浮かすために神田川沿いを歩いてアパートに帰ろうとすると、1970年代末なので十三間通りClick!(新目白通り)はいまだ工事中のまま、神田川の改修工事がスタートしていたせいか、現在のようにずっと川沿いを歩ける遊歩道などなく、1本外れた道路を歩いたり、再び川沿いに出て歩いたりを繰り返しながら下落合方面に向かっていった。都電荒川線の早稲田電停あたりから豊橋をわたると、すぐ右手に大きな乾し場があり、ときどき染物が風に揺れて美しかった。その乾し場が、佐藤染業のものであることを知ったのは、ずいぶんあとのことだ。
 神田川沿いの染色業は、江戸期には神田紺屋町で開業していた工房が多く、明治から大正にかけて江戸川Click!(現・神田川の大滝橋あたりから舩河原橋までの旧称)沿いへと移転し、関東大震災Click!以降はより上流で水がきれいだった戸塚地域や落合地域、また神田川へ落ち合う妙正寺川沿いへと展開したケースが多い。同じ豊橋近くで開業していた、武蔵屋染工場の記録が残っている。1994年(平成6)に豊島区郷土資料館から発行された、「町工場の履歴書」展図録から引用してみよう。
  
 武蔵屋はもと神田の紺屋で、のち江戸川に移り、関東大震災で焼けて高田に移転してきました。この頃からインジゴ(合成藍)やドイツの化学染料の「バット」で浴衣地や手拭いを染めていました。当時の神田川は水量も多く、水が澄み、流れがゆるやかで温かいので、「みずもと」(水洗い)の時に糊がすぐ落ちてよかったといいます。/修行先の武蔵屋には乾し場が3つあり、普段は30~40人が働き、10月から暮れにかけて年始回り用手拭いの注文で最も忙しい時期は、新潟から出稼ぎ職人が来て総勢70~80人となりました。当時としては大規模な染工場だったといえるでしょう。(中略) 昭和25年頃幸次郎氏は武蔵屋の名前を引き継ぐ形で、三島橋近くの戸塚町に染工場を設け、井戸水による染色を始めました。その後新目白通りの拡幅工事により、下水道が完備していた現在地に移転しました。/近年浴衣や手拭の需要が減少し、工場では職人不足で型付けや染色技術の伝承が困難になってきています。
  
佐藤染業1971.jpg
佐藤染業1975.jpg
神田川乾し場1974.jpg
 佐藤染業についての記述はないが、おそらく武蔵屋染工場と同じような経歴をたどってきたのだろう。豊橋(戦前)から三島橋(戦後)、そして高田2丁目(1994年現在)へと移転した武蔵野染工場は廃業したが、わたしの学生時代に乾し場が印象的だった佐藤染業は、いまだに健在だ。もっとも、川沿いの風物詩だった乾し場はとうに撤去され、いまでは構内の脱水機と乾燥機で染物を乾かしているのかもしれない。
 1974年(昭和49)に東宝で制作された、『神田川』(出目昌伸・監督)という映画がある。フォークの『神田川』Click!のヒットで、たくさんの観客動員を当てこんだ稼ぎ目的の作品だが、冒頭シーンからして旧・隆慶橋が登場し、東詰めの角地にあった「みみずく家」Click!(タバコ屋)の建物が懐かしい。ずいぶん昔に、いい映画と好きな映画はちがうという記事Click!を書いたけれど、映画のストーリーそっちのけで、当時の風景にジーンとしてしまうのは、おそらく歳のせいだろう。
 映画の筋などどうでもよく(ただし高橋惠子はキレイだけれどw)、70年代の神田川の風景や、わたしの歩いていた街角があちこちのシーンで登場するのを飽きずに眺めていたりするのは、きっと外出する機会が減って精神的に内向化しているせいだろう。この道をそのまま左へ少し歩けば、1974年(昭和49)の下落合なんだけどな、そこではちょうど別のドラマClick!が撮影されてたはずなんだ……などと思いながら、シーンを早送りして風景や街角を何度か見返してしまう。
 映画『神田川』には、豊橋やその右岸にあった小さな稲荷大明神(たぶん個人邸のものだったのか現在は行方不明)、そして佐藤染業の社屋と大きな乾し場が登場している。ヒロインの高橋惠子(当時は関根恵子)の住んでいるのが、佐藤染業の西隣りにある古い木造アパートの2階という想定だったからだ。佐藤染業の従業員たちは撮影当時、『神田川』のロケを楽しみながら見ていたのだろう。
 染物工場の中には、かつて田島橋Click!の北詰め、下落合69番地にあった三越染物工場Click!からの仕事を引き請けていた工房も、高田町には少なくなかったという。いつか記事に書いた、戸塚町で営業していた林染工場Click!と同様のケースだ。
神田川稲荷1974.jpg
武蔵屋染工場(戦前).jpg
町工場の履歴書1994.jpg 神田川映画1974.jpg
 だが、浴衣や手ぬぐいの需要が下がるにつれ、染色工場からクリーニング工場へ転換する事業者も現れた。染色業とクリーニング業とでは、洗いや乾燥の工程で、どこか設備が似通っていたからかもしれない。すると、わたしの小学生時代、「染物屋」と「洗濯屋」の勘ちがいも、あながち大きなピント外れではないような気がしてくるのだ。

◆写真上:神田川の豊橋付近で、稲荷は画面左手に見える車止めあたりにあった。
◆写真中上は、1930年(昭和5)に神田川改修工事の竣工直後に撮影された写真で高い乾し場が印象的だ。おそらく、三島橋から上流の面影橋を眺めたところ。は、1955年(昭和30)ごろに豊橋から撮影された佐藤染業の乾し場。は、豊橋から下流を眺めたところだが桜並木に隠れて佐藤染業が見えない。
◆写真中下は、1971年(昭和46)と1975年(昭和50)の空中写真にみる佐藤染業の乾し場。は、1974年(昭和49)撮影の同社乾し場。(『神田川』より)
◆写真下は、1974年(昭和49)撮影の豊橋際にあった稲荷。(同前) は、戦前に撮影された豊橋際の武蔵屋染工場。下左は、1994年(平成6)発行の「町工場の履歴書」展図録(豊島区郷土資料館)。下右は、1974年(昭和49)の映画『神田川』(東宝)DVD。

読んだ!(20)  コメント(27) 
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コメント 27

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2020-05-20 10:19) 

ChinchikoPapa

なんだか人が少なくて、1970年すぎあたりの、ほとんど住宅街だった原宿みたいな雰囲気ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2020-05-20 10:24) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2020-05-20 10:24) 

ChinchikoPapa

今回の法案の出発点となった公文書のテーマですが、国立公文書館を調べてますと軍関係や内務省(特高警察)の資料が、櫛の歯が抜けるように、あるいはゴッソリ丸ごと存在していないことに気づきます。自分たちの行為や事実を廃棄・隠ぺい(なかったこと)にして、歴史そのものを改ざんする卑劣な行為そのものですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2020-05-20 10:33) 

ChinchikoPapa

『Bijou』というA.シェップのアルバムは、おそらく聴いたことがないと思います。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2020-05-20 10:35) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2020-05-20 10:35) 

いっぷく

アメリカでは反戦歌などのプロテストソングもあるというのに、どうして日本に来るとフォークソングは四畳半清貧ソングなの?というツッコミは措くとして、草刈正雄も高橋惠子も今や孫がいる身。そう考えると時の移ろいを感じますね。
by いっぷく (2020-05-20 18:30) 

ChinchikoPapa

経営基盤の強弱が、いちばん大きな要因ではないかと思います。中小の塾が授業をやめてしまったら、おそらく翌月からすぐに倒産の危機に瀕するでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>step-iwasakiさん
by ChinchikoPapa (2020-05-20 18:54) 

ChinchikoPapa

いっぷくさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
最初のころは、それでも反戦歌っぽい作品もありましたけれど、だんだんノスタルジックな懐古や失恋のグチ、寂寥感ともなう恋の終わり、うしろ向きの想い出語り、果ては行方不明になりかねない旅への出発……と、なんだかみじめったらしいシチュエーションが増えていったような記憶があります。
草刈正雄と高橋惠子が、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれてホクホク顔になるとは想像できませんでした。膨大な時間が経過したんですね。
by ChinchikoPapa (2020-05-20 19:09) 

ChinchikoPapa

昨夜はなぜか寝つかれず、久しぶりに日本酒を多めに寝酒したら、妙な夢をたくさん見たような気がします。あさ開酒造の「岩手ブルー」、惹かれるボトルデザインですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2020-05-20 21:57) 

ChinchikoPapa

金沢や富山など北陸のすし屋だと、日本海のネタばかりでなく、熊刺し(ツキノワグマのルイベ)がありますね。頼むと冷凍庫から出してきてくれ、溶けはじめのポッと赤みがさしたところで切ってだしてくれます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2020-05-21 10:55) 

ChinchikoPapa

「付け句」遊びは面白いですね。その昔、黙阿弥芝居などでよく見られる七五調のセリフに、なにかを足してパロディにする「付け台詞」が、親から上の世代で流行ったといいますが、そのバリエーションのような感じでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>サボテンさん
by ChinchikoPapa (2020-05-21 11:13) 

ChinchikoPapa

きょうは出がけに、少し街中を歩いてみたのですが、建設工事の現場がそろそろ再稼働しはじめていました。工期の遅れを取りもどそうとしているのか、いつになく慌ただしい動きでしたね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2020-05-21 11:16) 

ChinchikoPapa

蹴とばし屋の桜鍋なら食べたことありますが、馬肉のハンバーグというのは未経験です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazukazuさん
by ChinchikoPapa (2020-05-21 14:19) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>のぞみさん
by ChinchikoPapa (2020-05-21 18:16) 

ChinchikoPapa

なにもないシンプルなコーナーがあるのは、ライブ配信によいですね。きのうZoom会議をしたら、今回は「No Image」を選択した参加者が3人もいて、注意深くサウンドを聞くと「ウヒャヒャヒャヒャ」(幼児)とか「ニャーーオ」(ネコ)の声とかが聞こえ、どういう環境で参加されてるのだろうか?……と興味津々になりました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ピストンさん
by ChinchikoPapa (2020-05-21 18:58) 

ChinchikoPapa

神保町シアターで映画を観たことは、おそらく一度もないんじゃないかと思います。“名画座”あるいは特集上映館としてよく観に通ったのは、池袋文芸座、文芸地下、早稲田松竹、高田馬場パール座、三百人劇場、佳作座、ギンレイホール……などでしょうか。もう、その多くが閉館してしまいましたが。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2020-05-21 20:44) 

kiyokiyo

ChinchikoPapaさん
おはようございます!
そうなんですね、日本でも当たり前のようにその様なことが行われているなんてショックです。
有ったことを無かったことにしてしまう中国共産党の習近平政権と同じですね。
間違った人に権力を握られると、怖ろしいことになってしまいます。
今が正念場なのだと思っています。


by kiyokiyo (2020-05-22 09:17) 

ChinchikoPapa

立石寺は、残念ながら夏に訪れたことはないのですが、居並ぶ巨石群は改ざん以前からのメンヒル、あるいはドメインではないかという研究もありますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2020-05-22 10:15) 

ChinchikoPapa

kiyokiyoさん、コメントをありがとうございます。
あまりの無責任さに、開いた口がふさがらないような政府のニュースばかりですが、一昨日のオープン日と同時にダウンした「雇用調整助成金申請」サイトも、民間ではありえない事態です。きわめて重要なWebサイトが、公表したオープン予定日にアクセスできなければ、プロジェクトチーム全員が始末書どころか、依願退職扱いでクビのようなケースです。
責任者の顔が見えませんが、いまだ復旧のメドが立たないこのプロジェクトを指揮し意思決定を行っているのが、厚生労働省のいったい「誰」なのか、責任の所在を明らかにしてほしいですね。
by ChinchikoPapa (2020-05-22 10:40) 

kiyokiyo

ChinchikoPapaさん
おっしゃる通りです!
僕もそう思います
by kiyokiyo (2020-05-22 12:56) 

ChinchikoPapa

kiyokiyoさん、コメントをありがとうございます。
結局、公務員自体がDXの普及を妨害している……ということなのでしょうね。「ICTは不安定で信頼できないから、手作業のほうが安心でしょ?」という印象を醸成しつつ、世界の動向や常識をまったく無視した組織や意識がはびこっているのだと思います。
確かに、50人いた事務方のスタッフがICTの導入で3人に、30人前後で切りまわしていた総務部門が、RPAの導入で0人になるのは、民間の事例を見れば明らかですので、その切羽詰まった危機意識とともによくご存じのはずですから、自分たちが「不要」とみなされるのに恐怖を抱いているのだと思います。
by ChinchikoPapa (2020-05-22 13:24) 

ChinchikoPapa

外出すると、料理屋の店先で売っている多種多様な弁当を見るのが楽しみです。先日、とんかつ屋の弁当を試しに食べたのですが、美味しかったですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2020-05-22 20:01) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2020-05-23 11:32) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2020-05-26 09:54) 

古田宙

佐藤染業のお嬢さんは落中在学でした。下落合駅そばの干場の光景はけっこう最近前みられたのですね。川の中に入って糊を洗い流す作業も記憶にあります。
by 古田宙 (2020-06-20 07:21) 

ChinchikoPapa

古田宙さん、コメントをありがとうございます。
下落合駅前にある「たかはし」さんの洗い張りは、まだホテル山楽が建っていたころ、わたしも何度か見たことがあります。川に入っての水洗いは、さすがにイベント以外では記憶にないです。でも、川の水質からいえばできそうですが、染め物を川底まで運ぶ負荷がたいへんなのでしょうね。
by ChinchikoPapa (2020-06-20 11:16) 

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