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大正期のガーデニング用製品。 [気になる下落合]

西洋館と盆栽.JPG
 以前、大正時代の住宅街に多く建ちはじめた、西洋館を掃除する新しい道具類Click!や、台所に普及しはじめた合理的な調理機器Click!、早大の山本忠興Click!が自宅にそろえていた家電製品Click!、水まわりでは地下水をくみ上げて水道と同じように利用する井戸ポンプClick!など、大正期の家庭で見かけるようになった機器類をご紹介している。
 自由学園Click!女学生たちClick!は、1922年(大正11)3月に同じ高田町内の高田1417番地に建っていた山本忠興邸Click!を訪ね、最先端の家電を導入した家庭生活を見学している。そのときの様子を、1985年(昭和60)に自由学園女子部卒業生会が出版した、『自由学園の歴史Ⅰ 雑司ヶ谷時代』から引用してみよう。
  
 山本忠興博士の電気の家を見学
 博士は早稲田大学理工学部教授。スイッチ一つで開くドア、電気の壁暖房、電気ミシンと電気鏝(アイロン)、電気湯沸し、トースター、牛乳沸し、蒸焼用電気ストーブ、電気こんろ、電気洗濯機械などなど、その当時の私たちにとっては夢のような設備が整っていて驚いた。(カッコ内引用者註)
  
 これまでは、大正期に家庭内へ導入されはじめた、現代につながる多種多様な機器や道具について書いたが、きょうは屋外、つまりモダンな西洋館の庭を維持し、手入れをするための機器や商品をご紹介したい。
 西洋館には、日本家屋に見られるようなウメやモミジなどの樹木やツツジ、アジサイ、アヤメ、ボタンなどの草花は似合わず、ヒマラヤスギや棕櫚、ソテツ、バラ、チューリップ、芝など建物の外観とマッチするような樹木や草花が選ばれ植えられている。東京各地には、新しく輸入された草花の種や苗、球根を売る種苗店Click!がオープンしており、下落合の周辺にもガーデニングを楽しむ人々の人気を集めていた。
 でも、ただ単に庭へ植えただけでは、樹木や草花はうまく育たない。それでなくても、西洋種の草花を環境がまったく異なる日本の風土で育てるためには、常に手入れをしなければ生育が衰えたり悪い虫がついたりする。そこで、大正時代に家庭にまで普及しはじめたのが殺虫剤=農薬だ。もともとは、農家の田畑用や家畜用に開発された農薬だが、大正期に入るとガーデニングや庭で飼うペット舎などにも利用されるようになる。
 また、当時の住宅をめぐる下水溝Click!は開渠で不衛生なところが多く、生ゴミの処理も不十分だったため蚊や蠅、浮塵子(うんか)の発生を防止する用途にも使われている。大正期の東京では、製油技師だった今井菊太郎という人が発明した、「今井殺虫剤」がもっとも有名だったようだ。大正初期に発行された、「萬鳥園種禽場営業案内」のパンフレットから引用してみよう。
  
 今井殺虫乳剤 本剤は今井氏が多年苦心実験の結果に成れるものにして各種の農産物、果樹、盆栽等に有害なる諸種の害虫を駆殺するに驚くべき効力を有する一大発明品なり/本剤は黒褐色の固形体にして使用に際し害虫の強弱に応じ一斤を一斗五升乃至二斗五升の水に溶して用ゆれば有ゆる害虫を悉(ことごと)く駆殺し去り、しかも聊(いささか)も作物を損傷するの憂なし
 今井浮塵子(うんか)駆除新剤 本剤は液体なれば之れを使用するに何等の面倒なし 即ち罐を開き「竹べら」の如きものにて少量宛田面に落せば残りなく死滅すべし
 別製今井殺虫乳剤 本剤は蚜虫類(蚊)及貝殻虫類に専用すべきものにして其使用法は前記の乳剤異る所なし(カッコ内引用者註)
  
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庭園2.jpg
庭園3.JPG
 さて、今井殺虫乳剤を庭の樹木や花壇に散布するには、効率的な噴霧器が必要になる。明治期には、欧米から輸入された多種多様な機器がそのまま売られ、高価なそれらは一部の人々にしか利用されなかったが、大正期になると欧米製品をコピーし、ちゃっかり国内で「特許」を取得した安価な国産品が出まわりはじめる。
 以前、大正期の電気製品について書いた記事でも触れたが、当時の国産品は欧米製品に比べて技術的な集積が不十分なため、故障や不具合の発生率が相対的にかなり高かった。だが、海外製品に比べ修理の速さや部品や消耗品の調達の容易さから、徐々に国産品の人気が高まり普及するようになっていく。
 物流のリードタイムが、今日とは比較にならないほど長かったため、船便に依存した海外製品の場合は、部品の取り寄せだけで数ヶ月もかかることがまれではなかった。したがって、大正期になると国産製品はサポートを充実させることで、海外製品と徐々に肩を並べていくことになる。
 同パンフレットより、殺虫剤の噴霧器コピーを引用してみよう。
  
 専売特許 自働噴霧器
 本器はフオルマリン液、石炭散水、殺虫乳剤等を撒布するに用ふるものにして極めて微細なる撒霧を生ず故に周密なる消毒又は殺虫法を行はんと欲する場合には最も適当せる撒霧器なり、本器は空気圧搾ポンプを中心に装置しあるが故に自動的に散霧せしむるを得
 実用新案特許 軽便噴霧器
 本器は上図の如き軽便の製作にして啻(ただ)に消毒殺虫のみならず園芸家が花卉(かき)盆栽の撒水用として至便の物なり(カッコ内引用者註)
  
自働噴霧器.jpg
軽便噴霧器.jpg
農薬散布.jpg
 花壇の草花や植木、生け垣、盆栽などを育てるには、害虫を駆除するだけでなく肥料の手当ても欠かせない。親父がよくガーデニングでやっていたように、家庭で出る生ゴミをそのまま穴を掘って、花壇や樹木の下に埋めれば格好の肥料になりそうだが、それでは園芸事業も園芸店も成り立たないので、特別に付加価値をつけた肥料が欧米から輸入されている。大正当時は、いまだ国産品よりも舶来品のほうが「高級」で品質もよく、信頼性も高くてありがたがれていた時代だった。
 イギリスで製造された肥料は、今日の肥料の成分構成(窒素・リン酸・カリ)とまったく変わらない。同パンフレットから、再び引用してみよう。
  
 プラント・フード
 本品は英国アルベルト会社の製造に係り植物の成長に欠くべからざる窒素、燐酸、加里の三要素を適当に配合せる速効肥料にして如何なる植物にも単に之れのみを施して足るものなり 且つ清浄無臭なるが故に花卉盆栽に最も適し園芸家の欠くべからざる肥料なり 本品は頗る美麗なる罐入なり
  
 化学肥料「プラント・フード」は、1缶あたり「甲」缶が35銭で「乙」缶が25銭なので、田畑のような広い面積に撒くにはいまだ高価すぎる。目白文化村Click!近衛町Click!のように、郊外へ邸を建てた家のガーデニングには適当な値段だったのだろう。当時、田畑の肥料には江戸期と変わらず、いまだ人糞の下肥があたりまえに使われていた時代だ。
プラント・フード.jpg
庭園4.JPG
萬鳥園跡.JPG
 いくつかの記事で引用している、「萬鳥園種禽場営業案内」のパンフレットだが、萬鳥園は下落合523~524番地を中心に広い敷地で開業していた、おもに養鶏場向けに多彩なニワトリの品種を販売する企業だった。東京同文書院Click!(のち目白中学校Click!併設)の東隣りで営業しており、中国やベトナムからの留学生Click!は、ニワトリの鳴き声がかなりうるさかったのではないだろうか。
 なぜ、わたしが佐伯祐三Click!の飼っていたニワトリなど「どうでもいい」ことにこだわるのか、不可解に思われる方もいるかもしれない。または、すでにお気づきの方もいるだろうか、佐伯が下落合のアトリエを建設中に仮住まいClick!をしていたのではないかと想定している住所が下落合523番地、つまり「萬鳥園種禽場」の敷地内そのものに当たるからだ。近衛家の敷地Click!(当時は近衛文麿Click!の所有地)に接して建てられた、華蔵界(けぞうかい)能智が経営する下落合の萬鳥園種禽場については、それはまた
、別の物語……。

◆写真上:見馴れれば不自然さは消えるか、大きな西洋館の庭に置かれた盆栽。
◆写真中上は、西落合1丁目306番地(のち303番地)にあったバラが主体の松下春雄アトリエClick!。門の上のアーチClick!は、モッコウバラ用に設置されたものだろう。は、チューリップが目立つ洋風花壇。は、洋風庭園でも見かける信楽焼き。
◆写真中下は、萬鳥園の専売特許だった自働噴霧器。は、花壇用にリサイズされたガーデニング専用の軽便噴霧器。は、基本的に同じ仕組みの農薬散布器。
◆写真下は、英国の肥料「プラント・フード」広告。は、下落合の畑にある花畑。は、近衛家の敷地に隣接していた下落合521~524番地の「萬鳥園種禽場」跡。華蔵界能智は、近衛篤麿が死去する前後に同家敷地を購入し開園していたとみられる。

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