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落合地域の人が居つかない場所。 [気になる下落合]

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 怪談とまではいかないが、人が居つきにくい場所というものが確かにあるようだ。別に、そこで過去に忌まわしい出来事があったわけでもない。ほかの場所と変わらない一画であり、変わらない周辺の環境なのだけれど、住む人がコロコロと変わって落ち着かない。一度でも空き地になると、周囲は人気の住宅街にもかかわらず、いつまでも空き地の状態がそのままつづくような敷地だ。
 たとえば店舗でも、同じような傾向が見られる一画がある。どんな商店が入っても、遠からずにつぶれるか移転するかでいなくなる。それほど人通りが少ないわけではなく、周囲にはオフィスや学校なども多いので、食べ物屋が入ればそこそこ売り上げが見こめるはずなのだ。開店の当初は、店主が見こんだとおり昼どきなどお客が店の前まであふれている。それが、数ヶ月たつと混雑がなくなり、1年もすると昼どきでもガラガラに空いていて、いつ前を歩いても店内に客の姿を見かけることがまれになる。
 店のメニューが飽きられたのだといえばそれまでだが、周囲の食べ物屋は別にメニューを変えることもなく、客が通常どおり入って営業をつづけている。そして、いつの間にか当該の店はつぶれるか移転するかして、またしばらく「テナント募集」のプレートが貼られることになる。すると、数ヶ月ののち、今度は別の種類の食べ物屋が、やはり周囲の客足のよさに惹かれて店開きするのだが、開店当初は繁盛するものの、やはり1年ほどで閉店していなくなる、その繰り返しなのだ。周囲の飲食店には、別に頻繁な入れ替わりや閉店などなく、10年20年と安定した営業をつづけているのだが……。
 周囲の人たち(飲食店も含む)は、「どうして、あの場所だけつづかないんだろうね?」と、一様に首をかしげるだけだ。特に料理がマズイわけでも、接客態度に問題があるわけでも、ましてや店舗が不潔でも、雰囲気が暗くて悪いわけでもないのに、短期間でつぶれて空き店舗になる。マーケティング的な視点からいえば、どのような食べ物屋でも新規参入しやすい好条件の場所のはずだし、だからこそすぐにも新しい店舗が決まって開店するのだが、もっても数年、早い店は数ヶ月ほどで閉店してしまう。
 上記のケースは、落合地域のとある通り沿いの店舗敷地の実例だが、住宅敷地でも同じようなことが起きていると、地元の複数の古老の方からうかがったことがある。いわゆる、「人が居つかない場所(土地&家)」という課題だ。古老たちの話によれば、それは耕地整理が行われた大正時代からはじまっており、家を建てては壊し、建てては壊しの繰り返しで、そのつど住民が入れ替わってきているという。人が実際に住んでいた期間は短く、むしろ空き家や空き地だった期間のほうがよほど長いのだそうだ。
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 調べてみると、確かに各時代の地図や空中写真を参照しただけで、その土地には家があったりなかったりと一定せず、特に戦後の入れ替わりは激しくて、家が建つとほどなく空き地になり、再び家が建つと数年で別の家の屋根が確認でき、それも数年で再び空き地になる……というように、住民が頻繁に入れ替わっていた様子がわかる。
 落合地域には湧水源や“洗い場”Click!と呼ばれた湧水池が多かったので、その埋立地へ知らずに家を建ててしまい、家内の湿気やカビに悩まされてやむをえず転居したとも思えない。当該の敷地は、いくら地図をさかのぼってみても水場とは縁がなく、高燥で住みやすそうな位置にあり、周囲の環境も申し分のないほど居住には適した場所だ。
 古老に訊ねても、そこで過去に忌まわしい事件や事故、人死にがでるような出来事があったわけでもなさそうだ。念のため、いつもやっていることだが落合地域の歴史や出来事を調査するために、レイヤ状に積み重なった地図類や住宅詳細図(事情明細図)と、それらの情報をキーワードにした過去の資料当たりなど、あたかも小野不由美の小説『残穢』(新潮社)に登場する「私」のように、時代を江戸期にまでさかのぼって調査を掘り下げてみても、別に不審な出来事はなにも見つからない。事件や事故とその場所とは無縁であり、わたしのアンテナにもなにひとつひっかかってこない。その敷地は、住宅を建てるのには格好の土地であり、不動産屋の視点でいえば駅や商店街、学校も近く文句のつけようがないほどの好適地だ。……でも、なぜか人が数年と居つかない。
 このような現象を占い師Click!(八卦、陰陽道、道教、占星、望気、卜、風水……と術式の呼び方はなんでもいいのだが)あたりに話すと、おそらく「そこには龍の道が通っておるから、人が絶対に住んではいけないのだ」とか、「あの世への霊道に、家を建てるなどもってのほかじゃ!」とか、「この土地一帯の鬼門に、家など建ててはいかん!」とか、「守護天使の居心地がよくない場所なんだねえ」とか、「地相が悪すぎるのじゃ」、「地層ですか~、地層は旧石器時代から人が住んでいた埋蔵文化財包蔵地の富士山系ロームで、ダイコンとか野菜はとってもよくできますよ~」、「バカモン、地層じゃない地相じゃ!」とか、わたしには意味不明なことをいわれそうだ。
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 また、地磁気がすべての要因のように考える人だと、「磁場が悪いのだ」とか、「逆パワースポットなんだよ」とか、「気配がよくないねえ、元気を吸いとられる土地だな」とか、「気の流れが絶望的に悪いスポットだ」とか、「地磁気が狂っておる場所なんだ」、「でも、コンパスはちゃんと北を指してて、特に磁場がおかしいわけでもないですよね」、「……それでも地磁気が狂っておる、逆パワースポットなんじゃ!」とか、さらに意味不明なことをいわれそうで、その人物のほうがよっぽど怖い。
 このような、人が居つきにくい場所や、人が寄りつかない場所は、いつの時代にも存在するものだが、そのほとんどはなんらかの理由や要因が付随しているものだ。拙サイトでも、そのような伝承をたどってみると、1500年以上も前に築造された古墳時代からのいわれとみられる、禁忌エリアClick!「屍家」伝説Click!などのケーススタディもご紹介している。江戸期には、古戦場跡や古い処刑場、墓場の近くなどが、やはり「人が居つきにくい場所」「妖怪が跋扈する場所」などとして紹介されたりもしている。
 でも、落合地域にあるくだんの敷地は、大昔はおそらく旧石器人や縄文人が往来し、長く武蔵野の原生林が広がっていたエリアであり、平安期から鎌倉期にかけて街道が整備されはじめ、その後は近世にいたるまで畑地だったとみられる場所で、明治末から大正期にかけ耕地整理が実施されたあとは、普通の住宅地として開発されてきた土地だ。特になにがあったわけでもなく、落合地域のどこにでも見られる、路線価からいえばけっこうな価格のする住宅敷地ということになる。
 藤原時代の前、いにしえの土地の姿や風情は非常に見えにくいが、「いや、あすこは旧石器時代人たちがさ、北海道の珪質頁岩Click!を加工した工場の廃墟に由来する、いわくつきの土地柄なんだぜ」とか、「土器を抱えた縄文時代の母子の亡霊が、深夜になると現れて親戚のいる三内丸山までいってちょうだい、おカネないけど焼き栗1甕でいいかしらとタクシーに乗りこむ、このへんでは知られた心霊スポットなのよね~、おお怖ッ!」などというような万年単位の怪談事例を、わたしは東京地方でかつて一度も耳にしたことがない。w もはや、「人と土地との相性がよくない」としか表現のしようがないところだ。
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 いっそ、周囲を屋敷林のような緑で囲って野菜畑にでもしておいたほうが、豊穣な収穫をもたらしてくれるのかもしれない。年単位の契約で、家庭菜園として土地を周辺の住民に貸しだせば、あちこちの空き地に乱立している流行りのコインパーキングよりは実入りが多く、固定資産税の支払いには困らないような気もするのだが……。

◆写真上:いつも、うちのヤマネコからねらわれて殺気を感じているヤモリ。ヤモリ(守宮)がいる家は栄えるというが、これも昔ながらの迷信のひとつだろう。
◆写真中上:下落合の街角ピックアップ。
◆写真中下:上落合の街角ピックアップ。
◆写真下:西落合の街角ピックアップ。
なお、掲載している写真と文章とは、なんら関係がありません。

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