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下落合の板碑から鎌倉時代を想像する。 [気になる下落合]

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 落合地域に残る板碑は、新宿区内のほかの地域に比べて相対的に多い。新宿区の板碑保存を見わたすと、信濃町駅も近い南元町の一行院を中心とした一帯と、下落合の薬王院Click!を中心とした落合地域が目立つ。しかし、東京全域を見まわして比較すると、新宿区は相対的に板碑の残存率が低い。これは、江戸期から牛込地域や四谷地域の市街地化が進んでいたため、開発に不要な板碑は廃棄されるか、地震や火災などの混乱で失われるか、あるいは寺々など移転で移動されてしまったケースが多いようだ。
 現在でも、たとえば新宿区立中央図書館の移転にともない、落合地域で発掘された1基の板碑は、同図書館の移転先である大久保地域へ持ち出されてしまったのだろう。この板碑とは、下落合3丁目12番地(現・中落合3丁目)の目白文化村Click!で見つかった、暦応三年(1340年)八月日の年紀が入る室町時代の最初期のものだ。
 落合地域でもっとも古い板碑は、薬王院に収蔵されている徳治二年(1307年)十二月九日の年紀が入るもので、北条時宗の子で第10代執権に就任した北条師時の時代だ。モンゴルの元軍と朝鮮の高麗軍の連合軍が、九州へ侵攻してきたいわゆる「元寇」の悪夢や、鎌倉大地震による大混乱からようやく国内が落ち着きをとりもどしつつあったころ、下落合に拓けた村落で板碑が建立されたことになる。
 薬王院には、落合地域の各所に建立されていた板碑が、上記の鎌倉期に建立された徳治年間のものも含め、計8基が保存されている。年紀が確認できるものとしては、北関東の足利尊氏Click!が活躍する室町最初期にあたる建武五年(1338年)の板碑、足利義詮が子の足利義満に将軍職を譲った貞治六年(1367年)の板碑、足利義満が北山文化を形成する永徳元年(1381年)六月十一日の板碑、そして足利義政による東山文化が栄える宝徳四年(1452年)七月四日の板碑の5基だ。残りの3基は、より古い時代のものなのか表面が摩耗していたり、年紀の部分が欠損して時代を特定できない板碑だ。
 また、西落合1丁目の自性院Click!にはめずらしい板碑が残っている。私年号である「福徳」の入った、1490年(延徳2)の建立とみられるものだ。同板碑について、1976年(昭和51)刊行の『新宿区文化財総合調査報告書(二)』(新宿区教育委員会)から引用してみよう。
  
 最新のものは西落合自性院の福徳私年号板碑で、延徳二年(一四九〇)と推定されているものである。/<新宿区には>紀年銘の有る板碑の絶対数が少いため、造立時期の変遷をたどることができないが、全体の約半数が鎌倉末から南北朝前半にかけて集中していることは、ある程度時代の傾向を知ることができるであろう。(<>内引用者註)
  
 「福徳」は、関東地方を中心に東日本全域で使われた室町時代の私年号で、1489年(延徳元)を福徳元年とする史料と1490年(延徳2)を福徳元年とする史料が混在している。
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 以前から記事に書いているように、井上哲学堂Click!がある和田山Click!の南側には鎌倉期の遺構が見つかり、和田山および「和田」や「大和田」の地名が残る周辺には、鎌倉幕府の和田氏Click!に関するなんらかのいわれがあったとみられ、下落合の七曲坂Click!の坂下から出土した鎌倉期の板碑とともに、同坂の頼朝伝説は後世の付会が加わっていそうなものの、どこかで関連している可能性がありそうだ。
 石橋山の戦で敗れた源頼朝は、真鶴経由で房総半島へと上陸し、江戸地域を横断して大まわりをしながら鎌倉をめざしている。その途中で、和田氏が布陣したのが和田山ではないかというリアルな推測が、地元の伝承とともに成立する。「和田義盛の館があった」あるいは「敗走した和田氏の残党が棲みついた」とする、和田山周辺に残る別の伝説が史実に照らして不自然なことは、以前の記事にも書いたとおりだ。
 だが、同じ「和田」の地名がついた和田戸(山)地域(戸山ヶ原Click!の東側)にも、「和田戸氏」の館があり源頼朝が休息したという江戸期の伝承(金子直德Click!『和佳場の小図絵』Click!)が残っているが、そもそも鎌倉幕府に「和田戸氏」という氏族や御家人は存在しないし、『吾妻鏡(東鑑)』にも登場していない。ひょっとすると奥州戦役のときに、鎌倉幕府軍が戸山ヶ原あたりで休憩したいわれでもあり、そのときに和田氏と関連するなんらかのエピソードが記憶されたものだろうか。
 いつの時代かは不明だが、落合地域の西隣りにある和田山と和田戸(山)を混同し、また時代も前後してしまって混淆が生じた誤伝ではないだろうか。ただし、「和田」という地名Click!が戸山ヶ原のエリアにまで及んでいるのは留意する必要があるだろう。戸山ヶ原を通過する鎌倉街道の先(北側)から、鎌倉支道が分岐して和田山方面へと向かうのは事実なので、鎌倉街道および鎌倉支道の開拓など、「和田」に関するなんらかのいわれが、かたちを変えて伝えられているのかもしれない。
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自性院本堂1938頃.jpg
 先述のように、下落合の七曲坂Click!の坂下、すなわち下落合(字)本村Click!の東側で発見された板碑は、薬王院に保存されている1307年(徳治2)の鎌倉期年号が刻まれたものだ。(冒頭写真の右側) 年代はかなり異なるが、七曲坂には1180年(治承4)ごろの逸話とされる源頼朝伝説が、江戸時代の寛政年間まで伝わっていたことが記録されている。金子直德『和佳場の小図絵』から、原文をそのまま引用してみよう。
  
 七曲り坂
 (源頼朝が)昔鼠山に陣を取し時、奥州勢の来らん時の心得にや此坂にて兵の数をはかりし事ありとも、いかにも覚束なき説なり後人糺給へ(カッコ内引用者註)
  
 鼠山Click!は、七曲坂Click!を北へ上った突きあたりにある地名だが、1180年(治承4)というと頼朝が伊豆で挙兵した年であり、石橋山の戦で破れ安房から江戸を大まわりして、10月に鎌倉入りした年でもある。つまり、和田山の和田氏布陣の伝承とまったく同じ時期の出来事として、七曲坂の頼朝伝説は語られていたことになる。
 七曲坂は、頼朝自身が開拓を命じたかどうかは「覚束」のない話で後世の付会臭がするが、七曲坂の構造は鎌倉で数多く造られた切り通しの工法と同じ構造をしている。鎌倉街道や鎌倉支道を含め、鎌倉幕府によるなんらかの開発譚が江戸期まで伝わり、鎌倉支道(雑司ヶ谷道Click!)と鎌倉支道(清戸道Click!)とを結ぶ切り通し坂として語られつづけてきた可能性がありそうだ。坂下で発見された鎌倉期の板碑も含め、目白崖線に通う最古クラスの坂道のひとつと考えてもまちがいないのではないか。
 そんな古い伝説や由緒が語られる七曲坂を、全的に打(ぶ)ち壊そうとする計画が、いまだ廃棄されずに進行中だ。少子高齢化や人口減にともない、クルマの台数が減少Click!しているにもかかわらず、いまだ戦後すぐのころに立案された道路をそのまま継承する補助73号線計画Click!だ。(ドライバーやクルマの減少および減少予測は、国土交通省などの最新統計データに詳しい) 西池袋からつづく同線は、上屋敷公園をつぶし目白3丁目から4丁目を斜めに突っ切る道幅が十三間道路以上の25m、下落合を縦断する道幅は20m(入口と出口は23m)で、七曲坂をすべて破壊して十三間通り(新目白通り)Click!へと貫通する計画だ。
もっとも、政権に都合がいいよう基礎データを改竄・捏造する腐敗が、同省が発表する統計データに浸透していなければの話だが……。旧・ソ連などの官僚テクノクラートが創作した、全体主義国家のデッチ上げデータをマネしてんじゃねえぞ!(失礼)
七曲坂下部1955.jpg
七曲坂庚申塚1690.JPG
補助73号線計画.jpg
 この時代遅れな道路計画で、目白や下落合の閑静な風情や景観はおろか、鎌倉時代に由来する切り通し坂の史蹟まで破壊されてはたまったものではない。新宿区の資料では、ちゃっかり新築した下落合図書館を避け、下落合中学校の校庭の30~40%ほどを提供し、氷川明神は本殿を削られそうな図面が引かれている。七曲坂筋の両側に建つ住宅やマンションは、ことごとく立ち退くことが前提となっている高度経済成長期を髣髴とさせるような時代錯誤の計画へ、少し気の早い気もするがいまから反対の意思表示をしておく。

◆写真上:鎌倉期から室町期まで、8基の板碑が保存された薬王院。
◆写真中上は、薬王院に保存された徳治二年(1307年)の年紀が入る板碑()と、建武五年(1338年)の年紀が刻まれた板碑()。中左は、目白文化村の第一文化村にあった暦応三年(1340年)の板碑。中右は、薬王院の貞治六年(1367年)の年紀が入る板碑。は、薬王院収蔵の永徳元年(1381年)年紀の板碑()と宝徳四年(1452年)年紀の板碑()。
◆写真中下は、2基とも薬王院が保存する年紀不詳の板碑。中左は、薬王院収蔵の年紀不詳の板碑。中右は、私年号「福徳元年」の入る自性院に保存された1490年(延徳2)の板碑。は、1938年(昭和13)に撮影された自性院の本堂。
◆写真下は、1955年(昭和33)撮影の七曲坂。は、七曲坂に設置された1690年(元禄3)の年紀入り庚申塚。は、2016年(平成28)の「新宿区都市施設等都市計画図」。

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