SSブログ

平民の子を抱くのは死ぬより辛い屈辱。 [気になるエトセトラ]

上屋敷公園.JPG
 目白通りの北側、高田町雑司ヶ谷上屋敷(あがりやしき)3621番地(現・西池袋2丁目)で暮らしていた宮崎白蓮Click!(柳原白蓮Click!)、あるいはその夫である宮崎龍介Click!については、これまで落合地域から遠くない場所で起きたことなので、ここの記事でも何度か取りあげて書いてきた。
 1921年(大正10)10月22日に大阪朝日新聞に掲載された、いわゆる白蓮の「絶縁状」Click!についても、ずいぶん以前にご紹介している。これに対し、夫である伊藤伝右衛門の「反論」が、1921年(大正10年)10月24日の大阪朝日新聞から4回にわたり連載されはじめている。いくらご近所であるとはいえ、白蓮側の視点のみだけ掲載しているのはフェアではないので、いちおうご紹介しておきたい。白蓮の絶縁状と伝右衛門の反論は、両人の了承を得たものか同年の「婦人世界」12月号に全文が転載されている。なお、伊藤伝右衛門の反論は、大阪朝日新聞の記者が行なったインタビューにもとづきまとめたもので、本人が執筆したものではない。
 白蓮側の資料のみを読んでいると、伊藤伝右衛門が「野卑」で「カネ」のことしか考えておらず、成金特有の下品な人物像を想定してしまうわけだが、反論の内容を読むかぎり、頭がよく人間の観察眼に優れており、教養や倫理観は希薄だったのかもしれないが、ものごとを論理的かつ理性的にとらえ深く考えることができる人物だったことがわかる。また、直接カネのことに触れているのは、長い反論の中でたった2ヶ所にすぎない。白蓮批判の中でもっとも多いのが、伊藤伝右衛門をはじめ関係者に対する彼女の「平民」蔑視の眼差しについてだ。
 「白蓮事件」を、単に「大正デモクラシーを背景に、主体的に生きることに目ざめた女性」のエピソードという一面だけで眺めていては、実態を見誤るだろう。伝右衛門の批判骨子をテーマ別に分類してみると、以下のような構成になる。
 (1)「平民」への差別観について(華族の選民意識)……4ヶ所
 (2)思いどおりにならない生活へのイラ立ち(野放図な自尊心)……2ヶ所
 (3)すぐに被害者意識へ逃げこむ卑怯さ(没主体性)……2ヶ所
 (4)気まぐれなカネづかいの荒さ(浪費癖)……2ヶ所
 伝右衛門は反論『絶縁状を読みて叛逆の妻に与ふ』の冒頭、自身を大磯Click!の別荘で暗殺された安田善次郎Click!にたとえ、「安田は刀で殺されたが、伊藤は女の筆で殺された」などといっているが、それほどのことでもないだろう。また、大金を贈って白蓮を妻にしたという風説には、「柳原家には、俺としてお前の為に鐚(びた)一文送つた事は無い」と完全否定している。
 (1)の、「平民」蔑視への批判から見てみよう。伝右衛門は、結婚式の直後からそれに気づいている。帰りのクルマの中で、式の付添人が何人かいるにもかかわらず、白蓮はシクシク泣きだした。「平民」の伝右衛門が、華族である自分よりクルマへ先に乗ったので、悔しくて泣いていたのだ。
 生活をはじめてからも、「平民」蔑視はつづいた。伝右衛門は死んだ姉の子を引きとり、同じ家の中に住まわせていたが、まだ幼児なので母親代わりにいっしょに寝てやってくれと頼むと、「平民の子を抱いて寝るといふことは死ぬより辛い屈辱」だといって、また悔し涙を流した。この幼児は、女中にはなつくが白蓮が現われるとベソをかいたらしい。ときどき起こる「ヒステリイ」に対し、伝右衛門はなだめたりすかしたりしながら諭そうとしたが、白蓮はまったく聞く耳をもたなかったようだ。
上屋敷駅跡.JPG
上屋敷1926.jpg
宮崎邸19450402.jpg
  
 俺はお前のために何事でも良かれとこそ願へ、悪かれとは少しも思はなかつた筈だ。時時家庭内に起る黒雲は、お前の生れながらにもつた反撥的な世間知らずから起つたのに過ぎない。家庭といふものをまるで知らず、当然自分は貴族の娘として尊敬されるものとのみ考へて居たお前の単純さは、一平民から血の汗を絞つてやつと今日までの地位を得て、人間世間といふものを知り過ぎて居るほどの俺にとつては、叱つたりさとしたりしなければならなかつた。それを叱れば虐待だといつて泣いた。
  
 白蓮は、「伊藤」という「平民」の苗字を名のることも拒否している。第三者にも、夫のことは常に「伊藤」と呼び、自身のことは「燁子」と表現している。
 (2)の、思いどおりにならないことへの癇癪は、生活のあらゆる場面で起きていたようだ。まず、その矛先は家庭内をとり仕切る女中の“おさき”に向けられた。家事いっさいができないことを前提に、家内をマネジメントする女中頭を用意していた伝右衛門だが、白蓮はことあるごとに彼女と衝突したらしい。
  
 お姫様育ちで、主婦としては何の経験も能力もない自分のことを棚に上げてしまひ、おさきがまめに家内に立働くのを見て、お前はムラムラと例のヒステリイを起した。おさきのする事を見、おさきの顔を見れば腹が立つといつて泣いた……しかしおさきに対する嫉妬的な、狂気じみた振舞は、ますます盛んになつて止め度がなく、毎日病気といつては寝てしまひ、食事もせずに泣き通してゐた。
  ▲
 おそらく、(1)のような姿勢とともにこんなことをつづけていれば、誰からも尊敬も好かれもせず、周囲の「平民」からは呆れられ嫌われたのではないか。その裏返しとして、被害者意識のみが大きくなり、ますますカネづかいが荒くなっていったようだ。伊藤家の財産は、いくらつかっても尽きないと思っていたらしく、伝右衛門に箱島神社のある観光地の「(丸ごと)箱島を買つてくれ」とねだり、彼を呆れさせている。
婦人世界192112.jpg
伊藤伝右衛門・柳原燁子結婚式.jpg
宮崎龍介・白蓮邸.JPG
 (3)の、被害者意識のかたまりになっていく主体性のなさは、当時の華族に生まれた女性にはしかたのない面もあるのだろうが、すべてを伝右衛門のせいにしていく没主体的な主張は、のちの「白蓮事件」にみられる自身の主体的な行為・行動と、どう整合性がとれるのだろうか?……と、つい考えてしまう。
  
 お前は虚偽の生活を去つて真実に就く時が来たといふが、十年十年と一口にいふけれども、十年間の夫婦生活が虚偽のみで送られるものであるまい。永い年月には虚偽もまた真実と同様になるものだ。嫌ひなものなら一月にしても去ることができる。何の為に十年といふ永い忍従が必要であつたのだ。お前は立派さうに「罪ならぬ罪を犯すことを恐れる」といふが、さういふ罪を恐れるほどの真純な心がお前にあつたかどうか。
  
 たとえ周囲からの強い勧めで結婚されられたにせよ、白蓮は伝右衛門を一度は選択して10年間にもわたりともに生活をつづけており、次の宮崎龍介Click!も自身が選択した人生ではないのか? 「自身の選択を棚上げなどにせず、自分自身の主体性はどこにある?」という伝右衛門の問いかけは、しごく当たり前の疑問だったろう。
 生活の後半には、白蓮自身の被害者意識が当時のジェンダーフリー思想からか、女性一般の被害意識へと敷衍化されていた様子がわかる。だが、これも自身が夫に望んだことが、いつの間にか夫から押しつけられた虐待行為へとスリかわってしまったようだ。白蓮が、伝右衛門の妾になり話し相手になってくれと懇願した“おゆう”が、病気で京都へ帰ってしまったあと、今度は舟子という女性を夫の妾にと懇願して家に入れたあとの話だ。
  
 今度の舟子(燁子が夫に勧めた妾のこと)のことも、自分としてはもう止したらといふのを、おゆうも居ないし、どうか私の話相手にしてくれと頼むから、お前の好いやうにさせたのだ。お前はそれを、金力を以て女を虐げるものだといつてゐる。お前こそ同じ一人の女を犠牲として虐げ泣かせ、心にもない躓きをさせてゐるではないか。
  
 (4)の、カネづかいの荒さについては、具体的に金額をあげて批判しているのは2ヶ所だ。ひとつは、夫婦は毎月のこづかいを500円と平等に決めていたが、白蓮は宝飾類や着物は500円の中に含まれないと考えたらしく、そのつど伝右衛門にねだっている。また、歌集の出版もこづかいの範囲の外で、歌集『踏絵』には600円の特別支出をさせている。そして、伝右衛門はこう嘆く。「それから漸くお前の文名が世の中に知れて来た。夫として罵(のの)しられながら、呪はれながら、なほお前の好きな事だ、お前が楽しむ事だとさう思つて、じつゝと耐へたことは一度や二度ではない」。
宮崎龍介と白蓮.jpg
宮崎白蓮.jpg 宮崎龍介.jpg
 反論を読むかぎり、伝右衛門は確かに品がなく知的な会話もできない男だったのかもしれないが、ことさら暴君でも残虐でも守銭奴でもなく、まともな生活を営みたかった、大金持ちだが本質的には平凡な「平民」のように見える。このふたり、上野精養軒Click!で出逢ってはならない、ましてや結婚などしてはならない正反対の相性だったのだろう。

◆写真上:宮崎邸のすぐ北側に位置する、上り屋敷公園の大きなムクノキ。
◆写真中上は、武蔵野鉄道(現・西武池袋線)の上屋敷駅があったあたりの現状。は、1926年(大正15)の「高田町北部住宅明細図」にみる宮崎邸。は、1945年(昭和20)4月2日に米軍偵察機F13Click!が撮影した空中写真にみる宮崎龍介・白蓮邸。
◆写真中下は、1921年(大正10)発行の「婦人世界」12月号で白蓮の絶縁状と伝右衛門の反論が併載されている。は、伊藤伝右衛門と柳原燁子(白蓮)の結婚写真。は、高田町雑司ヶ谷上屋敷3621番地にある宮崎邸の現状。
◆写真下は、伊藤家を出た直後の白蓮と宮崎龍介。は、ふたりのプロフィール。

読んだ!(21)  コメント(27) 
共通テーマ:地域