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女子聴講生にはじまる女子学生への道。 [気になる下落合]

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 かなり前になるが、下落合2080番地の金山平三Click!と結婚した牧田らくClick!をはじめ、3人の女子学生を入学させた東北帝国大学Click!について書いたことがある。同大学では、1913年(大正2)の特定学部入試から女子へ教育の門戸を開放していた。
 では、落合地域の周辺にある大学ではどのような状況だったのだろうか。目白駅前にある学習院大学Click!は、そもそも戦前まで華族学校としての学習院Click!だったため男子のみで、当時は大学の教育機関とはまったく異なる存在だった。また、落合地域の北側にある立教大学Click!は、沿革資料が手もとにないので男女共学をいつから開始したのかが勉強不足で不明だ。わたしの手もとにあるのは、新宿区の地域女性史編纂委員会が取材・調査した、同区内の早稲田大学Click!における女子学生受け入れの経緯を紹介した史料だ。
 大学における男女共学は、1918年(大正7)に「大学令」が施行されてから、あちこちで議論がつづいていた。当時の文部省は、大学の男女共学については特に決定せず(省内でも統一見解が出せなかった)、各大学の教育方針に委任するようになっていた。東北帝大の理系が女子学生を受け入れていたのも、少なからず影響を与えていたのだろう。
 翌1919年(大正8)に早稲田大学は、「専門学校卒業生で附属高等学院修了生と同等以上の学力があると認められた者も入学を許可する」という項目を、あえて性別の表記をせずに入学規定学則へ明記した。このため、女子の入学も許可されたと解釈した、高等教育を受けたい女子学生たちの問い合わせが同大学へ殺到するが、当時の早大内部でも男女共学については意見が大きく割れていた。そこで、その折衷案として誕生したのが、同年の女子学生の聴講入学制度だった。この制度は、翌1920年(大正9)に文部省から認可され、ようやく早大に女子学生の姿が見られるようになった。
 だが、聴講生といっても希望者が全員入学できるわけではなく、ある一定の学力のある女子たちに限り聴講入学させていたようだ。そのときの様子を、1996年(平成8)に刊行された『新宿に生きた女性たちⅢ』(新宿区地域女性史編纂委員会)から引用してみよう。
  
 早稲田大学が許可した一九二〇(大正九)年度には、文学部・商学部・理工学部に合わせて一二名の女子聴講生が入学した。一万人を越す早稲田の学生数(ちなみに大正中期は全学で2,000人余)からみると微々たるものであったが、女子聴講生入学許可の一石がその後の通信講義録『高等女学講義』を生んだのである。/初年度入学の理工学部応用化学科聴講生 生田代美代子は、足掛け三年の経験から「時代の声として婦人の学問的向上が識者間に唱えられてきた折柄、早稲田に於いても大英断の下に婦人に大学開放の扉を開かれたことは私共にとり涙ぐましい程嬉しいことである。過渡期のことで止むを得ないことながら、学校当局としてはさらに英断をもって一層の徹底した解放(ママ)をお願いしたい……」(中略) しかし人数は順調に伸びたわけではなく、一九二四年度の新規聴講生は二名で、英文学専攻の石垣綾子も「埃っぽい学生服に交じって女子聴講生は三人、学生たちは慣れぬ若い女性を遠巻きにしてろくに話しかけてもこない」。(カッコ内引用者註)
  
 男女共学の実現、すなわち聴講生ではなく正式な大学生としての女子入学を強力に推進したのは、この女子聴講生制度を早くから導入した早稲田大学ではなく、同じ私学の日本大学Click!東洋大学Click!からだった。日本大学における女子聴講生の正規学生への昇格運動が、東洋大学の女子学生たちと連動し、両大学による「女子学生連盟」が1924年(大正13)に結成されている。この女子学生連盟の動向が、早大の女子聴講生たちへ直接的な刺激や影響を与え、正規学生への昇格運動や女子学生への門戸開放に波及したかたちだ。
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 だが、早大が女子聴講生ではなく正式な女子学生の入学を許可するまでには、まだまだ紆余曲折があったようだ。1938年(昭和13)4月に開かれた早大臨時理事会において、田中穂積総長が初めて「女子ノ編入資格ニ付門戸開放方針」を発表し、ようやく大学当局による女子学生の受け入れと男女共学環境への大転換がスタートしている。
 この方針転換による学則改正は、翌1939年(昭和14)2月に文部省から認可され、同年4月より早大キャンパスに女子学生が誕生することになった。同年に入試の門戸を開いたのは、政治経済学部、法学部、商学部、文学部、理工学部の5学部だった。田中総長のあとを継いだ大浜信泉総長も、学内新聞に「学問は男がこれを独占すべきものでなく本来性別のあるものでもない。文化の興隆という観点から言えば、女も大学で学び、あらゆる部門で才能を伸ばし男と協力することが望ましい。大学の課程では強いて分離教育の必要はない」との声明を発表している。
 1939年(昭和14)に入学した女子学生について、同書よりつづけて引用してみよう。
  
 長い道のりの末、一九三九(昭和一四)年には四名の女子学生が正規学部生の一期生として入学した。文学部国文学専攻には、学者志望の織本良子(東京女子大学卒)と中沢政子(旧姓足助・帝国女子専門学校卒)、英文学専攻には岡野恵子(旧姓小林・聖心女学院高等専門学校卒)、法学部には今北静子(旧姓古田・東京女子大学卒)が入学した。/二期生は、文学部英文学専攻に松宮澪子(旧姓清水・実践女子専門学校卒)と、英文学を研究したいという山脇百合子(旧姓横山・東京女子大学卒)の二名、法学部英法科に伊藤きよ(明治大学商学部卒)、弁護士志望で免囚保護事業を目標とする渡辺道子(東京女子大学卒)、男子と同等の勉強がしたいと考えていた園田天光光(旧姓松谷・東京女子大卒)の三名であった。
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 1943年(昭和18)になると、職業に就いて働きながら勉強したいという、30歳をすぎてからの女学生も入学してくる。また、同年には西洋史を学ぶことで、当時の「ナショナリズムに溺れている我が国を批判する視点を掴みたい」(大塚野百合)という、軍国主義によるファシズム政府へ公然と異議を唱える女子学生までが登場している。
 だが、彼女たちが実際に入学してみると、キャンパス内の施設や設備がすべて男子学生用につくられており、食堂やトイレひとつとっても女子には使いづらいものだった。1942年(昭和17)には、女子学生同士の親睦会である「早稲田女子学生会」が結成されている。彼女たちは、おしなべて入学後の成績がきわめて優秀だったが、戦時の勤労動員で製鉄所に連れていかれ、そこでは動員を中止し学業を継続したいという女子学生の申し入れをめぐり、製造現場での議論がつづけられたという。女子学生たちが落ち着いて講義を受け勉強できるようになるには、戦後を待たねばならなかった。
 さて、21世紀の今日、女子に人気の大学はどこなのだろうと、ふと思いたって調べてみたら興味深い統計を見つけた。今年(2023年)4月にリクルート進学総研が実施した、関東地方における高校3年生の女子約3,200名を対象としたアンケート調査によれば、入学したい大学ベスト10に女子大学が1校も含まれていない。また、国公立大学もベスト10には含まれておらず、最上位が12位の筑波大学と17位の千葉大学のみとなっている。
 わたしの高校時代には、女子の志望校には必ず上位に国公立大学や女子大学が並んでいたものだが、どうやら時代が大きく変わり、女子たちの意識や志向(嗜好)がかなり変化したようなのだ。先年、少子化の影響もあるのだろう、東京都立の4大学が統廃合されたばかりだが、このアンケート調査を見ると、同様に志望者が急減しつづける国立大学の統廃合も、およそ現実味を帯びてきたテーマのように思える。
 同総研の調査によれば高校3年生の女子に人気の大学は、第10位が中央大学、第8位が人気同率で慶應義塾大学Click!と日本大学、第7位が下落合にもキャンパスがある上智大学Click!、第6位は落合地域の西隣りにある哲学堂Click!井上円了Click!が、唯一科学的に解釈できなかった「真怪」Click!のすき間から嬉しくなって化けて出そうな人気の東洋大学、第5位が法政大学Click!、第4位はわたしの高校時代から女子には人気の青山学院大学、第2位は人気同率で落合地域のすぐ北側にある立教大学と明治大学Click!だ。
 そして関東地方の女子高校生が入学したい大学の第1位は、女子学生大好きヲジサンClick!だったらしく日本女子大学Click!女子学院(のち東京女子大学)Click!などの講演や卒業式に呼ばれるとホイホイ喜びいさんで出かけていたらしい、大隈重信Click!ホクホク顔Click!が目に浮かぶ、落合地域の南東側に位置する早稲田大学となっている。史料類を参照していると、いま生きていたら「いつまでも貧乏大学やなかじゃろ。そうっちゃ、ほいだら、いっそんこと在野精神むば旺盛な女子大にしたら、経営もちっとは安定するにちがいなか」などといいだしかねない、女子学生たちとニヤけ顔で数多くの記念写真に収まる大隈重信なのだ。
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 最近、高田馬場駅から早稲田界隈を散歩すると、女子学生ばかり目立つように感じていたのだけれど、男子学生とは異なり講義をサボらずマジメに出席するのは女子学生のほうが多いようだから、それでなんとなく女子大の近くを歩いているような感覚にとらわれたのだ。女子学生の絶対数が、同校の志望者数に比例して30年前の2.5倍と急増し40%近くを占めているため、男子学生が相対的に漸次減少しつづけているせいなのだろう。

◆写真上:国際聖母病院の聖母看護学校跡地にできた、下落合の上智大学キャンパス。
◆写真中上は、高校3年の女子に人気の10位・中央大学。は、人気同数でともに同率8位の慶應義塾大学と日本大学(江古田キャンパス/芸術学部)。
◆写真中下は、同じく7位の上智大学。中上は、6位の東洋大学。中下は、5位の法政大学。は、昔からオシャレな女子学生に根強い人気の4位の青山学院大学。
◆写真下は、人気同率でともに2位の立教大学と明治大学。は、1位の早稲田大学。関東地方における高校3年生の女子約3,200人を対象としたアンケート調査による入学したい大学アンケート結果のベスト10(リクルート進学総研/2023年4月実施)より。

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サンフランシスコ人

「高校3年生の女子約3,200名を対象としたアンケート調査によれば、入学したい大学ベスト10に女子大学が1校も含まれていない...」

母親は女子大卒業なんでしょうか?
by サンフランシスコ人 (2023-10-12 00:51) 

ChinchikoPapa

サンフランシスコ人さん、コメントをありがとうございます。
さあ、どうでしょうね。約3,200名の高校3年女子のうち、かなりの割合で総合大学・女子大学を問わず高等教育を受けている母親だと思いますが……。
by ChinchikoPapa (2023-10-12 11:40) 

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