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再びどこだかわからない山と渓流の写真。 [気になるエトセトラ]

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 前回、箱根外輪山の最北端、金時山Click!とみられる山影や登山道を撮影した写真をご紹介したが、山ばかりを撮影したアルバムがつづいて出てきた。小学生になるかならないかの自身も写っているので、やはりわたしも歩いているはずなのだが、前回と同様にサッパリ記憶がない。海なら、どこの海か必ず憶えているのに山の記憶は曖昧だ。
 周辺の雰囲気からして、どうやら丹沢山系にあるいずれかの登山道入り口あたりの情景だと思うのだが、ひとくちに丹沢といってもかなり範囲が広い。神奈川の県北一帯を、ほぼ覆いつくしているのが丹沢山系(大山含む)であり丹沢山塊だ。写真には、山麓の小流れ(田圃の用水)にあったとみられる水車小屋や、渓谷と思われる川には大きな段差(落差工)がみられ、その途中の風景なのだろう社(やしろ)や寺院も記録されている。だが、いくら写真をためつすがめつ眺めても、わたしにはそこを実際に歩いたという記憶がまったく浮かんでこない。おそらく現代から50年以上も前、1960年代の風景だろう。
 幼い自分が写っていても、親に連れられて歩いた武蔵野各地Click!散歩コースClick!と同様に、いつの間にかすっかり失念しているので、やはりわたしは山々を登ったり歩いたりするよりも、物心つくころから“海男”Click!していたほうが性にあっていたのだろう。情けないことに、写真の中でわたしはカメラに向かって盛んにふざけたりおどけたりしているのだが、記憶の片りんすら残っていない。親にしてみれば、せっかく連れていったのにまったく情けない……とでも思っているだろうか。
 現代の写真で、それらの風景を特定しようとしても、あまりの変わりようで不可能なのは、鎌倉Click!の台山にあったとみられる大叔母の家Click!と同様だろう。家々の姿はもちろん、ヘタをすると地形までが変わってしまっているので、写真と照らし合わせようにも端緒がつかめなかったりする。アルバムにキャプションでも入れておいてくれれば、すぐにも場所が特定できるのだろうが、親父は年齢とともに整理が面倒になったものか、あるいは写真を見ればすぐにどこの風景かがわかっていたせいか、年を追うごとにプリントを並べてただ貼るだけのアルバムが増えていく。
 まず、渓流から引かれた用水の、田圃のすみにあったとみられる川葺きの水車小屋を見てみよう。(冒頭写真) もとより、いまではとうに解体されて存在しない水車だろうが、当時でさえ、すでにめずらしかっただろう水車小屋も記憶に残っていない。小屋の端には、まだ若々しい母親と幼いわたしが立っているけれど、こんな風景はかつて一度も見たことがない。いや、実際に目にしているのだからすっかり忘却したのだろう。
 つづいて、少なくと1ヶ所の寺院の写真と、1ヶ所の社(やしろ)の写真がとらえられている。寺の屋根は、当時、茅葺きを葺きなおしたばかりのようでトタンないしはスレートのように見える。もちろん、境内には誰もおらず、ひっそりと静まり返っているようだ。寺の境内にあったものか、蘭塔(僧の墓石)Click!や朽ちかけた石仏がとらえられている。如意輪観音と見まごう風化した彫刻は、下に三猿が掘られているようなのでおそらく庚申塔だろう。また、境内にはみなデザインが同一な、石仏の六地蔵も安置されていたようだ。
 蘭塔も庚申塔も六地蔵も、いずれも江戸期に建立されたもののように見えるが、年紀を確認のしようがないので不明だ。どこの寺なのかまるで見当もつかないが、廃寺Click!にでもなっていないかぎり、本堂は現在もそのままの姿をとどめていそうだ。わたしは案外、各地にある寺々の様子は記憶にとどめるほうだと思うが、おそらく子どもの印象に残るような本尊(仏像)が本堂内になく(あるいは当日は開帳されていなかったか)、また境内にも記憶に焼きつくような記念物がまったく存在しなかったのかもしれない。
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 一方、撮影された社(やしろ)のほうは、境内に巨木が繁るかなり古くからの聖域のように見える。急峻な渓谷の川沿いに建立されているとみられ、このような地形からするとタタラClick!鋳成神Click!(江戸期には朝鮮の農業神である稲荷神=ウカノミタマへ転化しているケースが多い)、あるいは丹沢の近くにある大山(おおやま)山頂の大山阿夫利社と同様に、山々の神であるオオヤマツミ(大山祇)を奉っている可能性が高いだろうか。江戸期に庚申信仰と習合した、火床の神である荒神がベースにある庚申塔もあるところをみると、鋳成(稲荷)の可能性が高いような気がする。
 鳥居の両脇を見ると、左には明治以降に造られた「忠魂碑」が建っているが、右には写真を拡大すると、おそらく「堅牢地神」と彫られているらしい大きな石碑が建立されている。もともと、仏教に由来する大地をつかさどる神の1柱であり、社(やしろ)ではなく寺に置かれるはずのものだが、神仏習合で社の鳥居脇に奉納されたものだろう。ということは、神仏習合が進んだ江戸期に建立された石碑であり、先の写真にとらえられた寺院と同社とは、非常に近接して建っているのではないか?……という想定もできそうだ。
 社の境内には、拝殿と思われる前に母親がポツンと写っているが、これはわたしが親父のカメラを借りて撮影しているのかもしれない。この社の屋根も、茅葺きからトタンかスレートに葺きなおされて間もないらしく、真新しい光沢が印象的だ。もし火災などで焼けていないとしたら、いまも同じような拝殿の姿で残っているのではないか。
 また、この社の鳥居前や拝殿前などには狛犬や狛狐がまったく見あたらず、単に灯籠が置いてあるだけなので、ひょっとすると秦野や伊勢原など丹沢山系の近くに散在する社に多い、ミタケ(御嶽神Click!=大神=ニホンオオカミClick!)を合祀している可能性もあるのではないか……と、いろいろ推測してはみるのだがサッパリ自信がない。
 上記のような想像をして、さっそく「稲荷神=ウカノミタマ(倉稲魂)」や「オオヤマツミ(大山祇)」、「ミタケ(御嶽神)」などをキーワードに、丹沢周辺の川や渓谷に近い社を検索して探してみると、はたしてこの3神をすべて奉り、加えて食物をつかさどる神のオホゲツヒメ(大宜都比売)やオオクニヌシClick!(子大神=大国主)などを奉っている、寄(やどりき)神社というのが中津川沿いの登山口にあることがわかった。
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 丹沢山系には、中津川と呼ばれる渓流が少なくとも東西に2本あるが、東側の伊勢原の中津渓谷Click!から宮ケ瀬へとたどる中津川ではなく、反対の西側の秦野から松田町をへて北上する中津川のほうだ。中津川沿いを、寄(やどりき)湧水源(現・やどりき水源林)へ向かう山道(現・神縄神山線)の途中に、はたして寄神社(別名:弥勒神社)があった。
 さっそく、GoogleのStreetViewで観察してみると、写真の社(やしろ)はどうやらこの場所のように思えてならない。鳥居の右脇には、神木のようなスギの巨木が生えているのも同じだ。ということは、上掲の寺写真は寄(やどりき)社に近接した弥勒寺ということになるのだろうか? ただし、周囲の風景は大きくさま変わりし、写真では右手に茅葺き農家が残り、左手には軒の低い昔の商店のような家が写っているが、現在の寄社は右手に居住タイプの駐在所が設置され警官が常駐しているようだ。
 この道路を、そのまままっすぐ山に向かって渓流沿いを北上すると、落差20mほどの滝郷の滝があるが、その周辺域は飲料に適する湧水にめぐまれており、キャンプ地には最適な場所だろう。ちなみにクルマで出かけるキャンプ場(オートキャンプ)など、当時はほとんど存在していない。(丹沢山系は国定公園であり神奈川県の自然公園でもあるので、現在でもクルマは制限されオートキャンプ場は少ないかもしれない) だが、写真を見ているわたしには、まったく憶えのない山道風景がつづく。
 写る母親の服装からして、沢沿いを登りながら滝郷の滝や清兵衛の滝まで歩いていったとは思えず(登ったとすれば写真が残るはずだ)、また親父が30kgほどはあった当時のテントやキャンプ装備を背負っていそうもないので、おそらく日帰りの気軽なハイキングだったのではないか。3人ともやたら軽装なので、寄(やどりき)橋あたりから斜面を登って、檜岳(ひのきだっか)や鍋割山稜へ取りついたとも到底思えない。
 おそらく、寄社の手前に昔からあるバス停あたりで下車し、そこから中津川をさかのぼりながら寄(やどりき)湧水源とその周辺を散策し、ときに河原へ下りて遊びながら、5km前後の山道(当時:現在は途中までクルマが上れるよう山道が拡幅され、奥まで舗装されている)を往復したのではないだろうか。だが、これはあくまで推測にすぎない。
 箱根の旧・東海道(箱根旧街道)のように、非常に疲労が激しくつらい思いをしたとか、なにか子ども心に残る楽しい出来事があったとかではなく、単に渓流沿いの山道を歩いただけでは、印象に残らないハイキングClick!のひとつとなり、記憶が薄れていったのだろう。
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 とはいえ、以上の場所特定はあくまでもわたしの推測であって、これらの写真がほんとうに松田町の中津川沿いに展開する丹沢風景なのかどうか、つまるところ不明のままだ。実際に歩いてからゆうに半世紀以上が経過しているので、どなたか(ヤマジョの方?)、この一連の写真にとらえられた風景に見憶えのある方がおられれば、ご教示いただければと思う。

◆写真上:現在では観光地に保存されたもの以外、見ることがなくなった水車小屋。
◆写真中上:境内に蘭塔や六地蔵、庚申塔などが確認できる山寺。
◆写真中下は、寄(やどりき)社ではないかとみられる社と現在の寄神社の入り口。は、同社の鳥居と拝殿とみられるが狛犬も狛狐も見あたらない。
◆写真下:山道に入るとガスがでたようで、かなり川幅のある渓流の落差工。

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