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大泉黒石と日本心霊学会の出版物。 [気になる下落合]

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 大泉黒石Click!の作品を読んでいると、多種多様な学術分野の専門書を読みこんで、その専門知識を作品のテーマや物語の書割(背景)として活かしているのに驚かされる。その領域は、物理学や天文学、医学、薬学、精神分析学などの自然科学分野をはじめ、洋の東西を問わず各国の文学(古典含む)などに精通しているのはもちろん、日本のみに限ってみても近代文学に限らず古典文学や歴史、詩歌、芝居、講談、映画、落語、俳句、童話、はては長唄小唄などにいたるまで膨大な知見を備えていたとみられる。
 これほど視界が広角でパースペクティブが深い日本文学の書き手は、ちょっと他には思いあたらない。おそらく日々の勉強量は膨大だったと思われ、各分野に張られたアンテナは常に磨かれていて、自身がそのときに興味のある多彩な学問領域の成果物へ鋭敏に反応していたのだろう。日本の文芸のみに限ってみれば、当時の「日本人よりも日本人らしい」趣味や表現をしており、語学能力も抜群で大正中期には長崎方言だけでなく、すでに東京方言の(城)下町言葉Click!を流暢に話しマスターしていたと思われる。
 それほど貪欲に、多彩な分野の知識を吸収・蓄積し一般の「日本人より日本人らしい」アイデンティティを確立しようと懸命に努力を重ねたのは、もちろん日本を表現の場として選択したがゆえに、多くの現場で直面したとみられる「あいの子」差別に対する徹底した反発が、生涯にわたる創作モチベーションを形成していたのだろう。もし、彼が表現の場を日本ではなく、もうひとつの母国であるロシアや、同様に青春時代をすごしたフランスやイギリス、あるいはロシアの官僚である父親が赴任していた中国(上海)など他の国を選択していたとしたら、これほど執拗かつムキになってその国の歴史や文化に執着することなく、よりコスモポリタニズム的な傾向が強まったのではないかとさえ思える。
 大泉黒石Click!が得意とした分野のひとつに、独特な味わいをもつ怪奇小説群がある。彼がイギリスに居住していたとき、サキはリアルタイムに作品を発表しつづけていた。しかも、サキは新聞記者としてイギリスを基点にロシアやパリなどヨーロッパ各地を往来しており、同時代の黒石は彼の存在を知っていて、そのエピローグが魅力的な怪奇短編作品に接していた可能性が高い。また、黒石は短編の名手であるフランスのモーパッサンに私淑していたといわれるが、米国のオー・ヘンリーも彼と同時代であり、フランス語も英語も得意な彼はパリやロンドンの居住時に通読していたのではないだろうか。
 当時の日本は、各地で心霊研究が盛んで、現代的な意味での「オカルト」とはまったく異なり、自然科学の各分野からのサイエンティフィックなアプローチで、精神によって形成された未知の存在(心霊的な存在)や、いまだ当時の物理学では解明できていない(とされた)未知の力、すなわちさまざまな精神力や思念力(念力)などに対する研究が盛んに行われているような時代だった。
 宇宙空間が未知のテーマに満ちているのと同じく、人体の内部もそれとまったく同様に未知の課題ばかりであり、いまだ解明されていない存在や能力が宿っている可能性がある……という仮説が、多くの人々に受け入れられていたのだろう。この傾向はおよそ世界各国でも同様で、日本からは1928年(昭和3)に「心霊科学研究会」Click!の浅野和三郎や福来友吉Click!が参加した、ロンドンの第3回ISF(International Spiritualist Federation)をはじめ、世界各地で国際会議や同分野の学会が開かれ、それがニュースになるような時代だった。
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 大泉黒石Click!もまた、そのような世界的な風潮に興味を抱き、和・洋書を問わず同分野の多種多様な研究書や専門書に目を配っていた痕跡が認められる。彼が著した怪奇小説の中には、明らかに京都にあった日本心霊学会Click!(のち人文書院)を意識し、その出版物に目を通していた痕跡がうかがえる。たとえば、怪奇短編『葵花紅娘記』には次のような一節がある。『大泉黒石全集』第8巻収録の、同作品から引用してみよう。
  
 本業は脳神経専門の医学士であって、佐世保市立病院に勤める傍ら、専門の学術とは密接な関係があるために、大日本心霊学会に入って心霊現象の研究をもつづけている緒方正夫――すなわちかく申す私が、自宅の書室に籠って、「隠秘学」(オカルチズム)という心霊学の書物と首っ引きを致しておるところへ、一通の手紙が舞い込んだ。……貴君にぜひ聞いて貰いたいことがあるから、まことに勝手ながら、どうか直ぐに老生の別宅までお越しを願いたい……こういう意味の文面で、差出人は山北一次郎なる老医学博士、(後略)
  
 文中では「大日本心霊学会」と仮名で書かれているが、これは同時代の人々なら誰が読んでも、京都で1906年(明治39)に渡邊藤交(久吉)によって創立された日本心霊学会のことだと認識しただろう。そして、主人公の医師「緒方正夫」が医学の脳神経学とは別に同学会へ入会し、その刊行物を読んでいたのは、今日の眼から見れば非常に奇異な感じにとらわれるけれど、当時としてはそれほど特異なことではなかったと思われる。
 大泉黒石Click!が、日本心霊学会Click!に入会して会報まで購読していたとは思えないが、同学会の出版物はひととおり読んでいた可能性が高い。短編『葵花紅娘記』が書かれたのは1927年(昭和2)だが、ほぼ同時期に話題になっていた日本心霊学会の本に、同学会の中心メンバーだった野村瑞城による一連の著作がある。野村瑞城は、1924年(大正13)以来ほぼ毎年、同学会出版部より著作を刊行しており、ことに現代(当時)医学と「隠秘学」(当時のオカルティズム)との関係性について言及した内容が多い。
 たとえば、野村瑞城が著した同時代の本には、『原始人性と文化』(1924年)をはじめ、『霊の活用と治病』(1925年)、『白隠と夜船閑話』(1926年)、『民間療法と民間薬』(1927年)、『疾病と迷信』(1929年)、『沢庵と不動智の体現』(1930年)などがある。現在でもAmazonなどで入手可能な著作もあるので、興味のある方はご一読を。これらの本を大泉黒石は書店で、あるいは京都の日本心霊学会出版部から取り寄せて読んでいたのだろう。
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 大泉黒石Click!が『葵花紅娘記』を書く2年前、1925年(大正14)に日本心霊学会出版部から刊行された、野村瑞城『霊の活用と治病』から少し引用してみよう。
  
 私は前に血の陰暗晴明、即ち血の色彩について云つたが気分にも色がある。由来『烈火のやうに憤つた』『青息を吐いた』『赤心を示した』と云ふ如く精神状態、気分は色によつて形容されることが多い。それは単純な形容に過ぎないやうであるが翻つて考へて見れば、古人は既に或心意にはそれぞれ特有の色のあることを経験的に知つてゐたのかも知れぬ。(中略) それらの隠秘学者によつて云はれた宇宙的精力説が、今日の物理学よりも進んでゐる如く、古代隠秘学者の説には驚くべき卓見、驚くべき原理の発見がある。だから古代の隠秘学者は『心の色』について知つてゐたのかも知れない。
  
 「心の色」とは、人体から空中へ放たれる「オーラ」のことで、この文章は「オーラの存在と思念に色がある」の章の一節だ。バカバカしいと一蹴するのはたやすいが、当時の学者や研究者たちは未知のテーマや分野については率直に「わからない」と認識し、ある仮説を立てては検証や再現性を試みるという、少なくとも現代よりは謙虚な姿勢で「隠秘学(オカルティズム)」に向き合っていたのは確かなようだ。今日のように、現象を既知・既存の科学(法則)へ無理やり当てはめてしまうというような、強引かつ傲慢な姿勢はあまり感じられない。当時は、既知の現象も未知のテーマも、自由に往来して研究できるフレキシビリティが、いまだ学術分野には残されていたのだろう。
 大泉黒石Click!もまた、当時の諸科学者と同様の眼で、日本心霊学会を眺めていたのかもしれない。同書の野村瑞城に限らず、黒石は日本心霊学会の出版物が扱うテーマを、自身の作品(怪奇・不思議小説)のどこかに活かすべく、片っぱしから読んでいたのかもしれないが、それは他の自然科学や人文科学の学術分野における専門書や研究書と同じような位置づけであり、特に日本心霊学会へ強い思い入れがあった様子はうかがえない。
 ちなみに、日本心霊学会が同時期に出版した本には、ほかにH.カーリングトン『現代心霊現象之研究』(1924年)、福来友吉『観念は生物なり』(1925年)、平田元吉『近代心霊学』(同年)、今村新吉『神経衰弱について』(同年)、福来友吉『精神統一の心理』(1926年)、日本心霊編輯部編『「病は気から」の新研究』(同年)、今村新吉『神経衰弱とヒステリーの治療法』(1927年)、小酒井不木『慢性病治療術』(同年)、永井潜『人及び人の力』(同年)、石川貞吉『実用精神療法』(1928年)、藤岡巌『近世生理学史論』(同年)などがある。
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 野村瑞城は「オーラは雰囲気」(前掲書)と呼ばれるものだと書き、「女には女特有のオーラがあり、男には男特有のオーラがある」とのことで、そのときどきの「心意に伴ふ色がある」とする海外の学説を紹介している。つまり、そのときの気分や気持ちしだいで「オーラ」の色は刻々と変化をするそうなのだ。でも、拙ブログへ記事を書いているとき、「あなたのオーラは黒石(硬質粘板岩)のように真っ黒です」などといわれたらイヤだな。

◆写真上:1930年(昭和5)に、北アルプスClick!の白馬岳でスキーを楽しむ大泉黒石。
◆写真中上上左は、1929年(昭和4)出版の『葵花紅娘記』(1927年)が収録された大泉黒石の短編集『燈を消すな』(大阪屋号書店)。上右は、1925年(大正14)に出版された野村瑞城『霊の活用と治病』(日本心霊学会)。は、『葵花紅娘記』の一節。
◆写真中下は、野村瑞城『霊の活用と治病』(1925年)の一節。は、日本心霊学会の中心メンバーで左から野村瑞城、渡邊籐交、ひとりおいて福来友吉。
◆写真下は、1925年(大正14)6月に京都公会堂で開催された日本心霊学会の学術講演会。登壇しているのは、京都帝大医学部の今村新吉。は、1934年(昭和9)ごろに撮影された温泉でも有名な山形県の本谷川渓谷に遊ぶ大泉黒石(左からふたりめ)。

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